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オーリローリ◇第一部番外編◇

1−1 ファードルメンを探して

「特別製のキャンプだって。よく言うよ……」
 八月の陽炎が立つ午後、ステファンは見知らぬ駅で途方に暮れていた。
 
 キャンプに行こう、などと言いながらそれらしい準備も無く、オーリは着替えを入れるザックだけを投げてよこし、まるで気軽な散歩のようにすぐにも出かけようとしたのだ。それが昨日の午後。マーシャが止めてくれなかったら、暗い中の出発になっていただろう。
 それが今朝になっていきなり、オーリは汽車の旅を提案してきた。ただし、ステファン一人でという話だった。汽車に乗るのは好きだが、一人旅なんて初めてだ。リル・アレイの小さな駅でオーリから切符を渡され、乗り換え駅と目的地を教えられてもまだ不安でしょうがなく、ステファンは何度も尋ねてみた。
「どうして先生たちは一緒じゃないんですか?」
「うちの守護者は汽車が苦手なものでね。後から『飛んで』合流するよ」
 笑って目配せするオーリの後ろでは、新月でもないのに男物のシャツとジーンズという姿のエレインが、むすっとしたまま腕組みをして立っていた。
 オーリの言う『飛ぶ』とはどういう飛行術なのか。それこそステファンが知りたいことなのに、飛ぶのは一度に二人が限度、と言ってオーリはにべもなく首を振った。
 仕方が無い。竜人のエレインからすれば、人間の作り出した蒸気機関車なんてものは竜よりも恐ろしい化け物に見えるのかもしれないし、無理に乗せて騒ぎを起こされても困る(なにせあの怪力だ)。どうせ目的地で合流するのだから、と自分に言い聞かせて、ステファンは大人しく一人でコンパートメントに乗り込んだのだった。
 
 ところが、まだ小一時間も走らないうちに、汽車は嫌な音を立てて止まってしまった。大きな牛が何頭か、線路に座り込んで行く手を塞いでいたのだ。機関士と助手と車掌がなんとか動かそうとしても牛たちは動じず、牧童がやって来てどうにか連中をどかせるまで、随分と時間をくってしまった。
 おかげで乗り換え駅のプークドベリーに着いたのは、予定時間を大幅に過ぎた頃だった。おまけに外からしか開かないドアは、窓から身を乗り出して開けようとしてもなかなか取っ手が動かず、ぐずぐずしているうちに汽車が動き出す始末。大慌てで叫ぶステファンに気づいた駅員がやっとドアを開けて降ろしてくれたものの……どさくさで着替えの入った荷物を床に置き忘れたことに気づいたのは、汽笛も煙も遠くに去った後だった。
 乗り換え予定だった汽車もとうに出発したという。次の便を待てば着くのは夜になってしまう。改札は抜けたものの、泣きべそをかきそうなステファンから事情を聞いて、長身の若い駅員は目的地の駅に迎えが来ていないか電話をかけてくれると言った。が、駅名を聞いた途端に彼は首を捻った。
「ファードルメン? そんな駅の名は聞いたことねえなあ。なんかの間違えじゃねえか?」
 そんなはずはない、とステファンはポケットに入れていたメモを取り出して確かめてみた。オーリが書いて渡してくれたものだが、駅員の示す路線図のどこにも、そんな駅名はない。似たような名もないから、綴り間違えでもないようだ。
「そんな……」
 ステファンは全身から血の気が引いていく思いがした。
「災難だったなぼうや。とりあえず荷物だけは次の駅で預かってもらうように連絡しておいたよ。まあこれでも食べてひと息つきなさい」
 赤っ鼻の駅長が、呑気そうに言って駅長室から小さなキャンディー入れを持ってきた。他人事みたいに言うな、と少しうらめしく思いながら、ステファンは泣きそうなのをこらえてベンチに座り、すっぱいキャンディーをひとつ口に押し込んだ。いや他人事なんだろうけど。牛に邪魔されて到着が遅れたのは鉄道会社のせいではないけど。到着便を待たずにさっさと行ってしまった乗り換え列車と、いいかげんな駅名を書いてよこしたオーリの姿が何だかダブって頭をよぎる。
 だいたいオーリは、大人のくせに計画性が無さ過ぎるのだ。何でも思いつきばったり、駅名だってよく確かめもせずに渡したのじゃないのだろうか。
「ところでお前さんの先生はそのファードルメンとやらまでどうやって行くって言ってたね? ひょっとしたら駅名じゃなくて、どこかの通りの名かも知れないよ」
「通りの名……そうかな。先生は海の近くだと言ってたんだけど」
 ステファンは必死にどうしたらいいかを考えた。考えながらちらと駅長室の中を見て、思い切って言ってみた。
「あのう、地図はありませんか? ぼく『ファードルメン』を探してみます」

「ほら、鉄道周辺の地図だけど、これでいいかね」
 駅長はステファンに地図帳を渡すと、さっきの若い駅員を呼んで何やら言いつけた。
 地図の見方なら学校で習ったはずだ。まさか『先生は魔法を使って飛んで行きます』とも言えないし、こうなったら自分で探すしかない。不安げに地図帳を繰るステファンを見ながら、駅長は言いにくそうに言った。
「あのなあ。お前さんの乗り換える予定だった汽車は山に向かうんだよ。気の毒だが、方角違いじゃないのかね」
 そんな、とステファンが立ち上がった時、駅舎の前を荷物を担ぐ男が通り過ぎようとした。その肩の上にある荷物の文字に、ステファンの目は釘付けになる。
『ファードルメン』確かにそう書いてある。
「待って! おじさん待って!」
 夢中で追いついたステファンは、しどろもどろになりながら男にその地名の場所を聞いた。
「ああ、ファードルメンてぇのは遺跡の名前だ。今からトラックで近くまで行くからよ。乗ってくかい、ぼうず」
 藍色の作業着から太い腕をむき出しにした男は、下町訛りで気さくに答えてくれた。黒髪でひげもじゃで、見かけは熊みたいだが、悪い人には見えない。ステファンは少し迷いながら聞いた。
「そこ、海の近く?」
「まあな。三時間も走れば着くぜ」
 ステファンは唾を飲み込み、駅舎を振り向いた。さっきまで一緒にいたはずの駅長と駅員の姿が見えない。
「あれ、どこ行っちゃったんだろ。ぼくの荷物のこと頼んでおこうと思ったのに……」
「おい、乗るのか乗らねえのか」
 三輪トラックのエンジンをかけながら男が怒鳴っている。
「乗ります!」
 ステファンは慌てて駆け寄り、助手席によじ登った。荷物も心配だが、今はまず『ファードルメン』だ。
 騒々しく軋みながら旧式三輪トラックが方向を変える時、ちらと駅員の姿が見え、ステファンは驚いた。駅舎に居るのはさっきの若い長身男ではなく、白髪の年寄りだ。さらにその向こうから現れた駅長も、さっき居たのとは全く別人だ。
「おおい誰だ、駅長室から地図を持ち出したのは……!」
 駅長の声とステファンの疑問を置いてきぼりにして、トラックは土埃を巻き上げて走り出した。

 駅前を過ぎれば人家はすぐ見えなくなり、青々と草の茂る丘陵地帯に一本道がずっと続いている。
(あの駅の人……どういうこと?)
 頭が真っ白になっているステファンには構わず、髭面の男はハンドルを叩いて歌うように言った。
「へいへいオディゴス、ちゃんと走れよ。着いたらオークの酒樽ふとっちょが待ってるぜ」
 オディゴスとはこのオンボロ車のことか。今にも分解しそうに揺れるトラックの中、どこからともなくしわがれ声が返ってきた。
『うるせえ、ヘボ。地べたを走るなんざ性にあわねえんだよ。いいかげん、どこかで止めて飛ばせろい』
「まあ急くなって」
 誰と喋っているのだ。黒髪の黒髭は、呆気にとられているステファンを横目で見てニヤリと笑った。
「心配すんな、律儀に三時間も走るこたぁない。オーリたちとすぐに合流させてやるよ」
「え……」
 ステファンは目を見開き、注意深く身構えた。
「おじさん、誰? 先生のこと知ってるの?」
「『おじさん』じゃなくて『ヒューゴ』だ」
 男は口髭を曲げ、ハンドルを切った。ステファンの頭が窓にぶつかり、豪快な笑い声が響く。
「さて、『誰』ともわからない奴の車に君は乗ってしまった。ならば選択肢は二つにひとつ。このまま知らない相棒との旅を楽しむか。それとも警戒してここで旅を終了するか。人生は常に選択の連続だ。どちらを選ぶかは君の自由」
 髭男の下町訛りが、正確な公用語に変わっている。しかも、もってまわったようなこの喋り方は、誰かさんと共通するものがありはしないか。ステファンは座り直すと、まじまじと隣の男を見上げた。
「おじさん、もしかして魔法使い?」
「はっは!」
 笑い声に呼応するように、トラックが急に跳ね上がった。
『そぉら、見えてきた。ああ、やっと飛べるぜ』
 さっきから気になるこのしわがれ声はどこから聞こえるのだろう。ステファンがその疑問を口に出すより先に、灰白色の巨大な岩が見えてきた。
「着いたよ。『こちら側の石舞台ドルメン』だ」
 ヒューゴの声に促されてトラックから降りると、足元に風が巻き起こった。
 
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