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履物屋

昭和30年代。
舗装された道路は少なく、住宅地の道路は土の場合が多かった。そのため雨になると水溜りが出来、歩行が困難であった。
こういった場合だと靴より下駄の方が便利である。
この時代だと男性はもちろん女性も日常的に下駄をはいて生活をしていた。もちろん通勤通学などは靴を履くのであるが。
一般に履物は消耗品であるため、履物屋(下駄屋)はどんな町にも一軒はあった。
庶民向けの安い履物から高級品まで取り扱い、アフターサービス(下駄のすげ替えなど)も行われていた。

昭和38年。都内多摩地区にある駅前商店街。この商店街にも履物屋はあった。
昭和30年代後半になると道路事情がよくなり、少しずつだが舗装道路が増えていった。しかし末端の生活道路はまだまだ土の道路である。
土の道だと靴でも楽に歩けるのだが、当時の人にとってみると、どこかよそよそしい雰囲気があったと言う。
そのため靴履きを抵抗する人も少なくなかった。そのため下駄や草履といった古来からの履物も広く取り扱っている。
ただ、時代の流れかこの店の売り上げも少しずつだが靴の売れ行きが増えている。
下駄だと舗装道路を歩く際に底の減りが激しくなるとか歩きにくいとかいう人が増えているからである。
安価で庶民的な下駄の愛好家はまだまだ多いが、最近は時折買いに来る程度である。
子供や主婦が家の近所で履く程度の目的で買うらしい。

昭和も40年代に入ると生活が豊かになり下駄や草履は補助的履物と言う色合いが強くなりつつある時代になった。
この靴屋も生活の変化から靴を中心に取り扱うようになったと言う。

平成の時代はほぼ100%靴を履いて屋外を歩くようになった。
日本も欧米並みになったと言えば聞こえが良いが、靴では情緒は明らかに無くなった。
下駄や草履は初詣や祭りや花火といった日本の伝統的行事の際の履物にまで出番が少なくなった。
しかし古都や温泉街を闊歩するには下駄が似合うし縁日の雑踏を歩くのも下駄だと情緒がある。
下駄や草履は機能的にも優れているともいわれている。せめて寛ぎの時間だけでも下駄や草履を履いて日本に生まれた喜びを噛み締めるのも良いかもしれない。

【完】
作:K.Sさん
K.Sさんのサイト:「電網町一丁目商店街
 poto: syouyou
相互リンクしているK.Sさんから頂いた小説です。写真は私の父が撮影したものですが、大人も子供も確かに下駄履きですね。道路事情が良くなると共に変わったもの、失ったもの……昭和30年代の土のにおいを思い出します。(松果)
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