カゴをもっておつかいに
五月のさいしょの日曜日。
台所にいたお母さんが顔を出して、ゆいかをよびました。
「こまったな、ホットケーキを作るのにおさとうがちょっと足りないの。ゆいちゃん、『桐やさん』で買ってきてくれない?」
「うん、いいよ」
ゆいかはそういうと、はりきって水色のカゴを持ちました。もう三年生なのですから、お使いなんてなれたものです。
「おつかいに行くの? みいちゃんも!」
妹のみずきがぴょんぴょんはねながら言います。またか、とゆいかはいやーな顔をしました。
「もう、みずきはおるすばんしててよ。あたしがお母さんにたのまれたんだからね」
「や、いっしょに行く!」
「そうだ、二人で行くんならレモンと牛乳もお願いしようかな。ちょっと重くなるけど、持てる?」
「持てるよう。そんくらい、ひとりでもへいきなのに」
ゆいかは口をとがらせました。
今年一年生になったばかりのみずきは、何でもゆいかのマネをしたがります。
ゆいかが友だちと自転車でちょっと遠くの公園まで行こうと話していると、『みいちゃんも!』
髪が長くなったのでポニーテールに結ってもらっていると、『みいちゃんも!』
もう、うっとうしいったら。
スニーカーのつま先をトントンと地面にぶつけながら、ゆいかはため息をつきました。
外に出ると、まだ五月になったばかりだというのに、夏のような陽射しが待っていました。今日は半そでのTシャツにしておいてよかった、とゆいかは空をあおぎました。ツバメが二人の頭をかすめるようにとんで行きます。みずきはそれをうれしそうに目で追いかけています。
「ほらみずき、さっさと歩いてよね。お母さんが待ちくたびれちゃう」
つんつんした声で言うと、みずきは思い出したように走って追いかけてきました。
ゆいかの髪はまっすぐですが、みずきの髪はくせっ毛です。まだあまり長くないのにむりしてむすんでいるものだから、ポニーテールというよりは、うさぎのしっぽみたいにピョコピョコゆれています。おまけにこのごろ子どもの歯がぬけはじめた口元は、上の前歯がにゅっと目だって、これで長い耳でもあったら本当にうさぎみたい。
「おねえちゃん、みいちゃんにもカゴもたせて」
「だーめ。すぐふり回すんだから」
プンとした顔で、ゆいかはわざと早足で歩きます。
「みずき、一年生になったんだから自分のこと『みいちゃん』なんて言ってたらおかしいよ。『わたし』って言ってごらん」
「やーだよ。おねえちゃんだってときどき『ゆいちゃん』っていってるじゃん」
これは本当のことです。みずきはちっちゃいくせに、たまにドキッとすることを言うからなまいきだ、とゆいかはいつも思います。
『桐やさん』は、このあたりに昔からある小さなお店です。本当はほかの名前があるのですが、なぜか近所の人には古い屋号の『桐や』でよばれているのでした。ゆいかの家からは川ぞいの道を歩いていけば近道です。表通りまで行けば新しいスーパーもあるのに、なぜかゆいかもお母さんも、買い物カゴを下げて『桐やさん』まで行くのが気に入っていました。
古い木の塀をめじるしに角を曲がると、桐やさんが見えてきました。お店のとなりでは、屋号にもなっている大きな桐の木が明るいむらさき色の花をさかせています。木陰に入るとすずしい風がふいてきて、早足で歩いてきたゆいかはふうっと息をつきました。
「おやあ、ゆいちゃんにみいちゃん。二人とも、もう半そでさんだねえ」
お店の中でキュウリをならべていたおばさんが声をかけてきました。
「だって今日は暑いんだもん。あのう、おさとう一ふくろください。あと、牛乳とレモンも」
「お母さんがホットケーキ作るの! みいちゃん、お使いなの!」
まるで一人で来たみたいにみずきは大いばりで言います。
おばさんはゆいかの言った物を手際よくカゴに入れてくれました。
「はいよ。さとう一ふくろに、牛乳はいつものね。レモンは一コでいいかね」
「おばちゃん、『おまけのミルク飴』は?」
みずきはレジ横にある空っぽのガラス瓶を指でつんつんして言います。
ゆいかはあわてて、みずきのうでをぎゅうっとつねりました。
二人がお使いにいくと、おばさんは決まってレジ横の瓶の中からミルク飴を出して、はいおまけだよ、とくれるのです。
だからって自分からおねだりするなんて、とゆいかは恥ずかしくてたまらなくなりました。
「ああごめんねえ。今日はミルク飴切らしちゃった。代わりに『ちびちびパン』をあげようかね」
『ちびちびパン』は小さな細長いラスクのことです。おばさんはにこにこしながらちびちびパンを紙につつんで、二人に一こずつくれました。
「わぁい、これ大すきー。おばちゃん、おまけはいつもこれでいいよ」
言いたいほうだい言っているみずきのようすになきたくなる思いで、ゆいかは大急ぎでお金をはらうと、にげるように店から出ました。
「まって、おねえちゃんまってよ」
ぱたぱたと小さな足音が追ってきます。ゆいかはしらんぷりして歩いていましたが、木の塀を曲がったところで急に立ち止まり、ふり返ってみずきをにらみました。
「ばか! 自分から『おまけは?』なんて言うんじゃないよ、もうはずかしくって死にそうだった!」
「だっておねえちゃんもおまけ楽しみにしてるじゃん」
みずきは平気な顔をして、紙づつみを開けようとしています。
「まだ食べちゃだめ。お母さんに言いつけてやるんだから」
そう言いながらゆいかは自分の分をポケットに入れた……つもりだったのですが。
ポソッと音がして足元を見ると、紙づつみからすべり落ちた『ちびちびパン』が、地面にころがっていました。
「あーっ!」
今度こそ、ゆいかはなきそうになりました。『ちびちびパン』は、ゆいかだって大すきです。それに本当はみずきの言う通り、おまけをもらうのは楽しみだったかもしれません。
「あーらら落としたぁ、おねえちゃんたら落っことしたぁ」
歌うようにはやすみずきの声がカンにさわります。
「うるさい!」
ゆいかがみずきをたたいてやろうかと思った時でした。
ガサッと音がして、草むらがゆれました。見ると、黄色い縞のネコです。草の中に低くふせて、緑色に目を光らせています。
「あ、ネコちゃんだ。おいでおいで」
みずきがしゃがんで手をのばすと、ネコは半分にげるようにしながら、耳をふせてファーッとおどかすような声をたてました。せなかの毛を逆立てて、短いしっぽなんかタワシみたいです。
「みずき、だめ。引っかかれるよ!」
ゆいかはあわててみずきをひっぱりよせ、買い物カゴもうしろにかくしました。
黄色いネコは、フンフンと鼻をひくつかせてゆいかの足元を見ています。
「ネコちゃん、『ちびちびパン』がほしいのかな」
みずきがつぶやくのと同じことを、ゆいかも考えていました。少し下がってみます。
すると思ったとおり、ネコはすばやくとび出して『ちびちびパン』を口にくわえ、あっというまに塀を乗りこえて行ってしまいました。
「ね、おねえちゃん見た? あのネコ、おっぱいがあったよ」
なんだかヒミツでも見つけたみたいに、みずきがひそひそ声で言います。
「うん、お母さんネコだね。きっとどこかで子ネコが待ってるんだよ」
ゆいかもなんだかどきどきしながら同じような声で答えました。
「じゃ子ネコもいっしょに『ちびちびパン』食べるんかなあ」
「ちがうよ。お母さんが食べておちちのもとにするんだよ」
「さがしてみようよ」
みずきは言うが早いか、塀のすき間を見つけて中に入ってしまいました。
「みずき、だめ。ここはよそのおうちだよ」
あわててゆいかも追いかけました。黒い木の塀は少しかたむいて、角のところにすき間ができているのです。ゆいかが通りぬけようとすると、せまくて鼻をすりむきそうでした。
「みずきったら……」
塀の向こうは、草がのびっぱなしのあれた庭でした。どうやらここは空き家のようです。草の中にしゃがんだみずきが口元に人さし指を当てて、シーッと合図しました。
小さなニィニィという声が聞こえます。ゆいかもそうっとみずきのとなりにしゃがんでみると、草の向こうにこわれた木の箱が見えました。声は、その箱から聞こえているのです。
思ったとおり、黄色い縞ネコが、二ひきの子ネコといっしょにいました。ちびちびパンはもう食べてしまったのか、まわりを見回しながら子ネコにおちちをあたえています。黄色いネコの耳はピン、ピンとゆれてまわりの音をゆだんなく聞いていますが、目はさっきとはちがってとてもやさしい色をしています。
みずきがふりむいて、よかったね、というようにニーッとわらいました。ゆいかもニーッとわらい返しました。ちびちびパンを食べそこねたのはちょっとざんねんだけど、それがあのネコの親子の助けになったと思うと、むねの中がほこっとします。なんだか急に、ゆいかもお母さんの顔が見たくなりました。
みずきの手を引っぱって木の塀の外に出ると、ゆいかはほっと息をついて言いました。
「より道しちゃったね。さ、早く帰ろ。お母さん、待ってるよ」
「ちょっとまって」
みずきは自分の分の『ちびちびパン』を半分におると、かたっぽをゆいかにさし出しました。
「はいおねえちゃん、あーん」
「え? これみずきのでしょ、いいの?」
「だっておねえちゃんのはネコにあげちゃったじゃん。だから半分こ。ほら、あーん」
ゆいかはあーんと口を開けておいて、みずきの小さい指にカプッとかみつくまねをしてやりました。
「ひゃはははは」
前歯のぬけた顔でわらいながら、みずきものこり半分を口に放り込みます。
「あ、お母さんに言う前に食べちゃったあ」
「いいよ。家に帰るまでにまた落としちゃったらいけないもん。さ、帰ろ」
ゆいかは買い物カゴをみずきの前にさし出しました。
「みずきも持ってみる?」
「うん! 半分こだね」
みずきはうれしそうにうなずいて、ゆいかといっしょにカゴを持ちました。
ゆーらゆーら、水色のカゴが歌うようにゆれます。
半そでから出た二人のうでが、ときどき『ごっつんこ』します。
それがおもしろくてくすぐったくて、二人は大わらいしながら川ぞいの道を歩いて帰りました。
五月の空に、いいにおいの風がツバメといっしょに通りすぎていきました。
(おわり)
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