20世紀ウィザード異聞

第一章 4

 庭のテーブルに料理が運ばれ、賑やかな夕げが始まった。
 オーリの言っていた鳥料理や平べったいパン、赤い野菜煮込み、それからステファンが見たことも無い料理も並んでいる。
 こんなにくつろいだ雰囲気の食事もあるのか、とステファンは思った。食事中のおしゃべりがこれほど食欲を増すものだなんて初めて知った。
 ステファンの家でもお客を招いて会食をすることはあったが、食事の作法がどうとか、会話をふられたらどう答えなさいとか、母にこと細かく言われていたので、いざテーブルについても少しも食欲が湧かなかった。
 ここの家では、細かい作法は誰も気にしないらしい。唯一マーシャが気にするのは、会話が弾みすぎて料理が冷めてしまわないかということぐらいだ。
「ステファン、こうして食べればいいんだよ」
 半月型の包み焼きにオーリは豪快にかぶりついてみせた。ステファンも真似してみると、口の中いっぱいに旨い肉汁が広がる。香辛料をたっぷり使っているのに、不思議に優しい味がした。
 夏の日暮れはいつまでも明るく、風は涼しい。
「オーリに!」
「未来の魔法使い、ステファンに!」
 何度目かの乾杯をして――といっても杯を持てないアトラスはもっぱら酒樽に首を突っ込んでいるのだが――アトラスとエレインは上機嫌で酒を酌み交わしている。オーリは付き合い程度に時々小さなグラスを口元に運んだ。
「エレインさんは、食べないんですか?」
「ああ。彼女は人間の食べ物は、一切受け付けない。甘いお茶と酒類はいくらでも飲むけどね」
 オーリは、エレインにまつわる話をしてくれた。
「アトラスは見ての通りの竜だが、エレインは竜人、つまり竜と人との両方の特性を持つ人だ。彼女の種族は竜人の中でも特に変わっている」
「オーリ、誰が変わってるって? なぁに悪口いってんのよ」
 エレインが笑いながら振り返った。真っ赤な巻き毛が、日焼けした顔を縁取る装飾のようだ。
「君が変わった美人だって話」
 オーリはしゃらっと答え、続きを語り始めた。
「でね。僕はエレインと契約して護ってもらっている。魔法使いは結構狙われやすいからね。その、邪気というか、禍々しいモノに。代わりに僕は、魔力を供給している。こうしている間にも、エレインに必要なだけの魔力が流れて行ってるわけだ。おかげで僕は魔力を維持するために、大食漢でなきゃいけない」
 ステファンは空になった皿の山を見た。オーリはしゃべりながら何人分もの料理を平らげている。
「魔法使いって、大変なんですね」
「こんなのまだ大したこと無いさ。複数の竜だの幻獣だのと契約してる魔法使いはどうやって魔力を維持してるのか見当も付かないよ。それに大変なのは、むしろエレインのほうかな。人間と生きるために幾つもの力を封印しなきゃいけなかったんだから」
「封印したって……それでまだあの力ですか?」
「そう。だからエレインを怒らせないほうがいいぞ。本気で爆発したら、どこまで凶暴になるやら……」
 オーリは内緒話の仕草をして、横目でエレインを見た。
「こらーっ、オーリ! やっぱり悪口いってるー!」
「そうだ、ひでえぞ先生、エレイン姐さんみたいな美人に。お詫びにもうひと樽開けさせろい!」
「わかったわかった、そこにあるだけ飲んでいいから」
 オーリは笑って手を振ると、ステファンと自分の皿に骨付き肉を乗せた。
「お肉もいいけど、このサラダはいかが? 庭でとれたてのハーブを使ったんですよ。坊ちゃんも、たくさん召し上がれ」
「マーシャ、こっちよりアトラスが大変そうだ」
 オーリはフォークでアトラスのほうを指し示した。
 アトラスは、軟骨パイを丸呑みしたものの、喉につかえて目を白黒させている。
「あらまあ坊や、だめですよう、ちゃんと噛まなきゃ」
 アトラスが「坊や」だって? ステファンは呆れた。
「マーシャにあったら、大抵『坊や』か『坊ちゃん』だ。つい最近まで僕のことも『坊ちゃん』呼ばわりだったしね」
 オーリは肩をすくめ、食べずに済んだハーブサラダを脇へ押しやった。
「マーシャさんて、あの、もしかして魔女?」
「まさか。彼女は普通の人間だ。魔力は無いよ。でもこうして、魔法使いの家で淡々と勤められる人なんだ。竜だろうが竜人だろうが、分け隔てなく受け入れてくれる。ある意味、魔女よりすごいね」
 アトラスはエレインに蹴りを入れられて、ようやく喉のつかえが取れたようだ。
「バカね、人間の食べ物なんかに手を出すからよ」
「旨そうに見えたんだよう。ああ、やっぱり生肉のほうがいいや」
「ごめんなさいねえ、生のお肉はさっきのでおしまい。あとはみんなお料理に使ってしまって。こんど遊びに来たときは、いっぱい用意してあげましょうねぇ」
 生肉をいっぱい……ステファンはあまり想像したくない光景だ、と思ったが、マーシャはまるで子供にお菓子を用意するような口調だ。

 ほとんどの皿を片付け、デザートも済んだ頃、オーリは古い木製の箱を中庭に出してきた。
「わぁお、なに?」
エレインが珍しそうに覗き込む。
「音楽を楽しむ機械だよ、エレイン」
 オーリは大切そうに箱の蓋を持ち上げた。
 ステファンには見覚えがあった。典雅な装飾をほどこした箱の中に、ラシャを貼ったターンテーブルがあり、水道の蛇口と蓮の実を組み合わせたような金属が見える。側面にはハンドルが付いている――祖父の家で同じ物を見たことがあった。手動タイプの蓄音機だ。
「ステファン、魔法使いなんて便利そうで不便なんだよ。僕の場合電気系統に影響を与えやすくて、意識して魔力を抑えていないと流行の機械なんてすぐぶっ壊してしまう。だからこういう手動式のが重宝するんだ。ま、古道具屋で探すのも楽しいからいいけど」
「あ、なんだ、そのせいだったんだ」
「君も覚えがあるの?」
「ぼく、ラジオに近づけないんです。ノイズがひどくなって、しまいには真空管が割れるから」
「そりゃすごいね」
 オーリは笑いながらとクランク(ハンドル)を回したが、針を調整する時には妙に真剣な顔になった。
「懐かしい! 昔はこれでよく踊ったもんですよ」
 マーシャが眼鏡を外して黒いレコード盤の文字に見入った。
 オーリが息をつめて、盤の上にそうっと針を下ろすと、雑音と共に古い恋の歌が流れ出す。

「アトラス、踊ろ」
 エレインがアトラスの短い前足をとった。
 後ろ足で立ち上がると、アトラスは随分大きい。エレインも背が高いほうだが、ほとんどぶら下がるようにしないと手が届かない。
 アトラスは踊るというより、ただ飛び跳ねている。その度にズシンズシンと地面が揺れて、何度もレコード盤から針が飛び出すので、オーリは蓄音機を宙に浮かせなければならなかった。
「いいね、アトラス。そんな美人とダンスできて」
 オーリは冗談とも本気ともつかない羨ましそうな顔をした。
「妬けるかい? 先生」
 アトラスはエレインを振り回しながらニタッと白い牙を見せた。
「オーリも踊ればいいのに!」
「エレインとじゃ、足を踏み潰されるのがオチだからね」
 オーリは立ち上がると、うやうやしくマーシャに手を差し出した。
「あらまあ、こんなお婆さんと。エレイン様をお誘いなさいましよ」
 そう笑いながら、マーシャはまんざらでもない顔をした。
 上手い。ステファンは目を見張った。オーリもだが、マーシャはまるで乙女に戻ったみたいに、優雅にステップを踏んでいる。
「悪いね、ステファン。レディーを二人ともとっちゃって」
「ううん、ぼく、こっちが面白い」
 ステファンは宙に浮いた蓄音機を興味深く見ている。
「先生、これが止まったら、次はぼくがハンドル回していい?」
 オーリは慌てて声をかけた。
「頼むからゼンマイを切らないでくれよ!」

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