20世紀ウィザード異聞

第十章 4

 尖塔のある細長い建物の中は昼間だというのに薄暗かった。埃と煙と古い薬油の混じったようなにおいが漂っている。ゴトゴトと足音のする木の床を進んで正面の事務机に向かうと、長い灰色の髪をした魔女が顔を上げた。
「杖の申請者だね」
 オーリが口を開くよりも早く、魔女は丸い眼鏡をずりあげ、面倒くさそうに言って書類を広げる。
「ここにサインを。ああ、あんたもだよおチビさん」
 おチビと言われて少しムッとしながら、ステファンは魔女の枯れ木色の顔をなるべく見ないようにして几帳面な文字を書いた。
「なんだね、そんなにたっぷりインクをつけちゃ乾きにくくってしょうがない。お若いの、あんたが師匠だね。杖は後ろの棚にあるから、自分でお探し」
 魔女は書類にインクの吸い取り紙をぐりっと押し付けて、何やら記号を書いた紙片をオーリに渡した。
「随分と手続きが簡素になったもんですね」
 皮肉を込めたオーリの言葉など意に介さず、魔女は眼鏡の奥の黄色い眼を細めてため息をついた。
「今どきはこんなもんさね。ああ、昔は賑やかだったねえ。大勢の子が順番待ちで並んで、ちゃんと戴杖式なんてのもやったもんさ。あんたら若い者はそんなの知らないだろうね」
「いえ、わたしはギリギリ『戴杖式世代』ですよ――あった、これだ」
 オーリは棚の中から杖の箱を選び出すと、蓋を開けて中を確認した。
「ちょっと古くないですか?」
「文句をお言いでないよ。このごろは新しく魔法使いになろうなんて子は滅多に居やしないんだから、杖職人もあまり作らないんだよ。なあに、古くたって力は衰えてないさ」
「杖職人がそんなんじゃ困るな……ステフ、こっちへ」
 ステファンは促されるまま、部屋の中央で杖を捧げ持つオーリと向かい合った。
 薄暗い部屋には高い位置にある窓から光が射して、床に描かれた円形の文様を照らしている。黒いローブを着た銀髪の魔法使いは光の中で厳かな表情をして告げた。
「ステファン・ペリエリ、今よりこの杖の主となって己が魔法を極めんことを……以下省略!」
 ひやりとした感触の杖をステファンの手に載せると、オーリはいつもの顔に戻って片目をつぶってみせる。

――これが、初めての杖。
 確かに、魔女の言う通り目に見えない力を感じるが、オーリのおかげで緊張がほぐれたせいか、恐いとは思わない。ステファンは手の中で呼吸を始めたような象牙色の杖をしっかりと握り締めた。
 パン、パン、パン、と乾いた拍手音が部屋に響く。
「戴杖式の真似ごとってわけかい。さしずめあたしは立会人ってとこかね。おめでとう、おチビさ……いや、ステファン・ペリエリ。今日からはあんたもお仲間ってわけだ」
「あ、ありがとうございます」
 ステファンは頬を紅潮させながら、改めて魔女の顔を正面から見た。枯れ木色の顔は不気味ではあるが、眼鏡の奥の黄色い眼は意外と人が良さそうに見えた。
「ただし、それはあくまでも『仮の杖』なんだからね。しっかり精進して、なるべく早く本物の杖を持つことだ、自分の稼ぎでね。それと、ローブだ。だいたいあんたもね、オーリなんとかさん。杖を受け取りに来るつもりならこの子のローブも用意してやるもんだ、気の利かない師匠だよまったく」
 魔女の機関銃のような台詞が終わらないうちに、オーリは肩をすくめてステファンを連れ、部屋を後にした。
 明るい表通りに出て行く二人の年若い魔法使いを見送りながら、魔女はため息をついた。
「もう、時代は魔法を必要としてないんだ。あの子たちは『最後の世代』になるかもしれないねえ……」

*  *  *

 四日後の聖花火祭の夜。
 魔法使いも、竜人も、保管庫の中で眠っていたファントムも、この日ばかりは身分を偽らず、羽目を外して大騒ぎをする。川を挟んで対岸の村と花火を飛ばし合い、来るべき冬の前に一年に一度の馬鹿騒ぎが許される祭りなのだ。
 ステファンは自分の杖を使って小さな花火を飛ばした。初めての杖を使って最初に覚えたのがこんな過激な遊びだなんて、とエレインは呆れ顔だったが、ステファンには嬉しくてしょうがない。オーリはステファン以上にはしゃいで、川の対岸に向けてガンガン花火を飛ばしまくった。当然、こちらにも花火は飛んでくる。護岸の枯れ草には水魔どもが走り回って霜が降りているし、川があるお陰で火事にこそならないが、時折火の粉が顔に散ってくるのが結構危ない。これで毎年たいした怪我人も出ないというのだから驚きだ。
 祭りが最高に盛り上がってきた頃、凍りそうな夜空に大きな花火が綺麗な孤を描いて飛び始めた。ユーリアンたち火を操る魔法使いが飛ばしているのだ。
 歓声をあげながら、ステファンの目に父オスカーの顔がふと浮かぶ。
 二年前、父はこんな花火を見ながら、オーリの元へ訪ねて来たのだろうか。
――外なる鍵と内なる鍵、十二の魔の目といまだ開かざる目、五つの十二に時は満ちなん――
 ソロフがオスカーの意識と繋がった時読み取ったという、呪文のような韻文のような不思議な言葉。何度も読み返し、書庫の本も思いつくままに調べてみたけれど、解らないままだ。
 繰り返される『十二』という数はもしかしたら、東洋の『十二支』と関係するかも、とオーリが言ったことを思い出す。一年ごとに十二種類の動物の名前を付ける話はステファンの想像力を大いに刺激した。五つの十二、つまり十二種類の動物たちが五回巡ってくると六十年。人はその齢に、暦を一巡りして最初に還るのだという。オーリの父方の祖先たちは何と面白い考え方をするのだろう。けれど、それだとオスカーは六十年も帰らないということだろうか? とても待てない。

「そーら飛んで来るぞ、ぼっとしてないで応戦だステフ!」
 声を掛けられて我に帰ったステファンは、慌てて火の粉を避けた。すかさずオーリが杖を振り、オレンジ色の花火を飛ばす。それは飛びながら金色のドラゴンの形になって、敵陣を大いに慌てさせた。
 そうだ、今年はドラゴンの名前のついた年だとオーリは言っていたっけ。それも、あと二ヶ月足らずで終わってしまう。あの花火の光のように、つかまえようとしてもあっという間に消えてしまう、時間というものの不可思議さ。
 ねえお父さん、と心で呼びかけてみる。ぼくは自分の杖を手にしたよ、早く見せてあげたい、と。


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