20世紀ウィザード異聞

第十章 7

 翌日から巷は竜人の話で持ちきりになった。
 
 朗読番組の代わりに突然流された竜人の物語。
 あれは作り話なのか、実話なのか。それともいつもの番組の中での『劇中劇』なのか。
 昔魔法使いにくみして竜人狩りを薦めた連中は大いに慌てた。ラジオ局に抗議し、竜人が迫害された話などでたらめだ、でっちあげだと躍起になって否定する者も居たが、それは局側の人間をにんまりさせるだけだった。良くも悪くも反響が大きいということは、それだけ多くの人間があの番組を聴いたということだ。
「文句言いたい奴は言えばいいさ。絶対、ムダにはしないからな」
 録音技師の男は、竜人の声を納めたテープの大きなリールを見つめて、誰に言うでもなくつぶやいた。
 最初、番組が無断で差し替えられたことにカンカンになっていたスポンサーも、あまりの反響の大きさに態度を変えざるを得なくなった。『もっと竜人の話を聴きたい』という街の声が日に日に高まってきたからだ。
 ラジオ局で導入されたばかりの新しい録音機械はエレインの声を鮮明なままに何度も再放送し、他局も争ってあちこちで埋もれていた竜人の話を取材するようになった。

 そんな日々の中、ユーリアンが一通の電報を握り締めて飛び込んできた。
「やったぞ! オーリ、竜人たちは救われるかも知れない!」
 オーリはユーリアンから受け取った紙片に目を落とした。悪名高い『竜人管理法』が凍結されることになったことを示す文面が綴られている。
「実は『管理法』を潰す動きはお偉方の間でも前からあったんだってさ。ただ、潰すタイミングが問題だった。雑誌の記事やラジオ放送のお陰で世間が騒ぎ出したから、勢いに乗って一気に追い込んだようだ。情報源は確かだぜ。魔女出版宛に届いたものをトーニャが複写してきたんだ」
「ふうん、じゃ我々はうまく乗せられたのか、あるいは逆かな。それにしても急いだもんだ。魔女たちが、国のお偉いさんを脅かしたのかな」
 冗談を言う口ぶりではあるが、オーリの笑顔はどことなく硬い。
「なんだ、もっと喜べよ。エレインはこれで晴れて自由に……おい?」
 驚くユーリアンの目の前で、エレインが悔しそうに両眼から涙を溢れさせた。
「あたし、喜べない」
 ギリリと音を立てて、椅子の背に爪が食い込む。
「だってそのためにステファンは……」
 オーリは爆発しそうなエレインをなだめるように抱き寄せて、同じく沈痛な表情をした。
「あの子、そんなに悪いのか?」
「ああ。ラジオ局から帰ってきて、ずっとだ。ガートルード伯母があらゆる術を使って回復させようとしているけど、意識が戻らない――戻らないんだ!」

 エレインの声が電波に乗ったその日、ステファンは首都に居た。
 魔女たちの『声送り』を成功させるには、ラジオ局側にも二人の魔力を持つ者が必要だと聞いていた。声を受け取るいわば『受信機』役の魔女、そしてもう一人、語り手であるエレインの声を良く知る者。オーリは当然、エレインの傍に居なくてはいけないから、後者はステファンが引き受けることになっていたのだ。難しい仕事ではない、魔女と手を繋いでいればいいと聞いていた。ただ心を空にして、エレインの声を自分の喉に宿らせる――魔女が受信機ならステファンはスピーカーというところか。声変わり前の十一歳の少年には、適役のようにも思えた。
 初めて見る都会のラジオ局で、物珍しさに目を輝かせながら、ステファンはオーリから借りたローブにしっかりとくるまった。電気系統に影響を与えないように魔力を抑えるには、自分の小さなローブでは間に合わないからだ。前日のテストで『声送り』を初めて見た、と興奮気味に言う局員たちにキャンディなどもらいながら、どきどきしながら魔女の到着を待った。
 ところがアクシデントが起きた。
 首都の空気はあまりにも汚かったのだ。十二月に入ってから急に冷え込んだせいで、家々のストーブには大量の石炭がくべられ、その煤が吐き出されたために街の上空は一寸先も見えないほどに濃いスモッグが満ちていた。年老いた魔女はその中を懸命に飛んで来たものの、ラジオ局に辿り着く頃には消耗してもう呼吸さえおぼつかず、とても『受信機』の役は務まりそうにない状態になってしまっていた。
 放送の時間は迫っていた。『中止』の声が囁かれるのを聞いたステファンは、夢中で叫んでいた。
「止めちゃだめだ! ぼくが二人分の働きをします。魔女さん、声の受け取り方を教えて!」
 オーリが小さな弟子のあまりにも無謀な行動を知ったのは、放送終了後のことだった。
 ステファンを迎えに行ったガートルードは、おいおいと泣き崩れる魔女の横で魂が抜けたように転がる少年の姿を見て、全てを察した。

 そして一週間。治癒魔法に長けた魔女が入れ替わり立ち代り、ステファンの治療にあたってきたが、体力も魔力も充分に回復したはずなのになぜか意識だけが戻って来ないのだ。
「ステフ、ステファン」
 小さな額に自分の額を押し付けて同調魔法の姿勢をとりながら、もう何度呼びかけたか知れない名前をオーリが呼び続けていた頃、階段下から甲高い声が響いてきた。
「どいて、どきなさい! 母親のあたくしが会いにきたのです、治療中だろうが知るものですか。息子に会わせなさい!」
 勢い良く開いたドアの内側で一瞬立ち止まった小柄な婦人は、魔女達を押しのけてベッド脇に駆け寄り、ひざまずいていたオーリを突き飛ばすようにして息子に取りすがった。
「ステファン!」
 強引に魔法を中断されたオーリが眩暈してうめくのには構わず、ミレイユは両手で息子の頬を挟んで呼びかけた。
「聞こえて? 聞こえるわね、お母さんよ! 目を開けてちょうだい!」

 * * *
 
 灰色の濃い霧の中を、ステファンは歩いていた。
 前へ? 後ろへ? 右へ? 左へ?
 足元さえ不確かなこの感覚は、何かに似ている。
「参ったなあ。また迷子になっちゃった」
 立ち止まり、周囲を見渡してため息をつく。ため息は透明なつむじ風となり、目の前の霧を一瞬、晴らした。
「あれは……?」
 霧の向こうに見晴るかす、緑の渓谷。その中を駆けてゆく赤い髪。
 けれどそれらはすぐにまた、濃い霧に隠されてしまった。ステファンはしばらく茫然としたが、すぐに口元に笑いを浮かべた。
「隠してもだめだよ。ぼくにはちゃーんと見えるんだ」
 そして目を閉じ、息を詰めて意識を集中する。頬に風を感じて再び目を開くと、渓谷の様子は一変していた。
 あちこちで上がる黒煙。眩い火花と、剣のぶつかり合う音。怒号。悲鳴。
 知っている。これはオーリの絵で見た、エレインの話で聞いた、フィスス族最期の日の光景だ。ステファンは身震いし、走り出していた。
「やめて! 竜人は悪くないのに!」
 そう、知っている。この後、エレインの父も母も、誇り高き仲間も皆、全滅することになるのだ。けれどそんなことを目の前で見たくない。一人でも、二人でも生き残っていて欲しい。でないと、エレインは一人ぼっちになってしまう。
「逃げて! 魔法使いは残酷なんだ、みんな逃げてってば! エレ……」
 黒い煙にむせた。呼吸ができない。すぐ足元で火花が飛び散った。
「危ない!」
 突然誰かに腕を引っ張られて、ステファンは再び霧の中に戻った。
 咳き込んで呼吸を取り戻しながら、どうして、と抗議しようと顔を上げる。
「過去は、取り消せないんだ」
 霧の向こうで静かな声が語りかけた。どこかで聞いた声だ。
「どんな許せない過去でもだ。もっと早くに気付くべきだった。答えは現在と、未来にしか探せない」
 霧をかき分けて、その人が歩み寄る。次第にはっきりと顔が見えるようになると、見覚えのある鳶色の目がまじまじとこちらを見ているのに気付く。
「お前……ステファン? ステファンなのか?」
 間近で自分の名を呼んだ人の顔を見て、ステファンは驚き、息を飲んだ。そして次の瞬間には相手の名を呼ぶよりも先に、飛び上がって首に抱きついていた。
「お父さん――お父さん!」
「ステファン!」
 紛れもない、これは父だ。父の顔、父のにおい、父の声。なにもかも、二年間頭の中で忘れないように何度も思い出していた、そのままの父だ。
「信じられない。どうやってここへ? 一人で来たのかい?」
「うん。あのね、ぼく『声送り』って魔法のお手伝いをしたんだ。そしたら……」
「声送りだって? そんな難しい魔法を手伝ったのか。なんて無茶をするんだ、お前は」
 オスカーは言いながらも、誇らしそうに息子の頭をくしゃくしゃにした。
 けれど懐かしい温かな腕がしっかりと自分を包んだのを感じた途端、ステファンは猛烈にわけのわからない怒りを感じて、父の肩を、頭を、小さな拳で叩き始めた。
「なんで! どうして出てっちゃったんだよ! ぼくの誕生日だったのに! 何にも言ってくれないでさ! ひどいよ、ずるいよ!」
「ステファン、そうだったね」
「お、お……」
 涙と一緒に押さえようとしても溢れてくるものを飲み下し、ステファンはそれまで一度も口にした事のない言葉を思いっきり吐き出した。
「お父さんの、ばっかやろう!」
 父の腕に、力がこもる。ステファンはなおも泣き喚いた。
「お母さんもだあっ! いつもいつも怒ってばかりで、ぼくの言うことなんてちっとも聞いてくれなくて! もういい、ぼくは魔法を覚えたら悪い子になってやるんだ! エレインに、うんと悪い言葉を教わってやる。お、お母さんの、ば……」
 大きな手が口を塞いで、ステファンにそれ以上の悪口は言わせなかった。
「お前は、悪い子になんかならないよ。前に言っただろう、この世に生まれてきてくれただけで、もう既に『いい子』なんだって」
 オスカーの目が笑っている。ステファンはしゃくりあげながら、自分と同じ色の目を見つめ返した。
「ステファン、本当はお父さん達のことを、ずっと怒ってたんだね? 怒ってたのに、誰にも言えなかったんだね?」
 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、このまま父の手に噛み付いてやろうかと思ったがそれはできず、ステファンはひと言だけ返した。
「――うん」
 オスカーはもう一度しっかり抱きしめてくれた。ごめんな、という声が聞こえたようにも思ったが、もうそれはどうでも良かった。ステファンは父の肩にしばらく顔を埋めてから、腕を突っ張って地面に飛び降りた。
「でも、ぼくはもう十一歳なんだよ。自分の杖だって持たせてもらったんだ。だから――」
「だから?」
「だから。お父さんのこと、許してあげる」
 自分でもひどく幼稚な言い方をしてしまったと思い、急にステファンは恥ずかしくなって顔を背けた。
「そうか、許してくれるのか。お母さんのことは?」
「お母さんは……」
 言いかけて、ステファンはふと誰かに呼ばれたような気がして振り向いた。
 呼んでいる。オーリが、エレインが、マーシャが。いやもっと多くの声が、懸命に自分を呼んでいる。そして……
「お母さんの声だ」
 ステファンの耳に、はっきりとそれは届いた。温かな力が、胸の中に満ちてきた。
「帰ろう、お父さん。お母さんが呼んでる。早く帰らないと、お父さんも叱られるよ」
「叱られるのに、お前はお母さんを許すのかい?」
「だってさ。お母さんは、お母さんだもの」
 ステファンは半分照れくさそうに答えた。オスカーが笑ってうなずく。
「先に帰りなさい、声がするほうへ。それが出口だ」
「お父さんは?」
「別の出口から帰るよ。なに、すぐに追いつくから」
 手を振るオスカーにきっとだよ、と念を押して、ステファンは自分を呼ぶ声に向かって駆け出した。

「どうして目を開けてくれないの……」
 何度呼びかけても反応のない息子の手を握り締めて、ミレイユはさめざめと泣いていた。胸の上に顔を伏せ、何かを詫びるように。けれどひとしきり泣いた後、ミレイユは顔を上げた。そして涙をぬぐうと、やおら立ち上がり、腹に力を込めて声を放った。
「ステファン・ペリエリ! 何時までそうしているつもりです、 いいかげんに起きなさい、遅刻しますよ!」
「はいっ!」
 突然はっきりとした返事を返し、鳶色の目が開いた。
 おおお、と声をあげて魔女たちがざわめく。
「ス、ステファン?」
「ステフ、目が覚めたの?」
「坊ちゃん!」
 拍手と歓声が起こる中、オーリとマーシャが両側から駆け寄った。
 ミレイユはその場で放心したように座り込んだ。自分から声を掛けたにもかかわらず、信じられない、とでも言うように。エレインが気付いて、そっと抱え上げ、ステファンの脇に座らせる。
「お、母、さん」
 一音ずつ確かめるように言いながら、ステファンは手を伸ばして母の顔に触れた。
「この子は……まったくもう、この子は十一にもなって! 相変わらず寝起きが悪いんだから!」
 灰色とも緑色ともつかぬミレイユの目から、何粒もの涙がステファンの顔に降る。ああ、お母さんはこんな目の色をしていたんだな、とぼんやり考えながら、ステファンは妙に心地よい思いで母を見つめた。

 突然、ドンドンドンと何かをノックするような音と共に、篭ったような人の声がした。一同は顔を見合わせ、声を辿って視線を巡らす。オーリはベッドの下を覗き込んだ。
「こいつから聞こえてるんだ」
 オーリが引っ張り出したのは、古い革製のトランクだった。ステファンが家を出る時にどうしても持って行くと言って譲らなかった、オスカー愛用のものだ。
「お父さん……」
 ステファンのつぶやく声に何かを察したように、オーリが指を弾いた。火花と共に革ベルトが一斉に外れ、トランクの蓋が勢い良く開く。と、中から何者かの上半身が飛び出してきた。
「オスカー!」
 トランクの中は『保管庫』の本と同じように広い空間がひろがっている。オーリとユーリアンが左右から腕を引っ張ってオスカーの身体がすっかり出てしまうと、空間は音もなく閉じてただのトランクに戻った。
「やあ、オーリにユーリアン。ここは? 今日は何日だ?」
「十二月十二日……」
 茫然としたままでオーリが答える。オスカーはぐるっと部屋を見回し、ステファンの枕元にある小さな置時計に目を留めた。
「十二時十二分。ぴったり、計算どおりだ。やあ、ミレイユ」
「この……!」
 オーリがオスカーに掴みかかった。そのまま殴りつけるのではと肝を冷やしたマーシャが止めようとしたが、彼はそのままステファンの隣にオスカーを突き飛ばした。
「何が『やあ』だ、なにを呑気に! さあ謝れオスカー、ステファンとミレイユに。どういうわけだか全部説明してもらうぞ!」
「もう、謝ってもらったよ」
 か細い声がして、ステファンの顔が横を向いた。自分の隣に落ちてきたオスカーに手を伸ばし、これ以上の幸せは無い、というような笑顔を見せる。
「お帰り、お父さん」
「ただいま、ステファン」
 父子は笑い合い、再びしっかりと抱き合った。

「まあ、なんてこと!」
 ミレイユのヒステリックな声が部屋に響いた。
「オスカー、あなたという人はどうしていつもいつも! 出かける時も突然なら帰るのも突然なんだから! 第一ここはよそ様のお家なのよ、カバンの中から入ってくる人が居ますか、お玄関から入っていらっしゃい!」
 機関銃のような声に皆が呆気に取られている中オスカーは、
「わかった!」
 と答えて弾かれたように廊下に飛び出した。玄関はこっちだな、という声と階段を駆け下りる音が聞こえてくる。
「お母さんったら……」
 困惑するステファンをよそに、細い眉を吊り上げたままのミレイユは足音も高く玄関に向かう。マーシャが慌てて後を追った。
 玄関ベルが鳴る。マーシャが扉を開けると、笑いを堪えたような顔のオスカーが立っていた。
「突然お邪魔してすみません。こちらにミレイユというご婦人はいらっしゃいませんか?」
 マーシャが答える前に、ずい、とミレイユが進み出た。
「あたくしがミレイユですわ。ミレイユ・リーズ」
 皮肉たっぷりに旧姓を名乗ったミレイユの手をオスカーの両手がしっかりと握った。
「オスカー・ペリエリと申します。もう一度どうしても貴女にお会いしたくて、はるばる戻って参りました」
 鳶色の目に強い光りが踊っている。見上げるミレイユは硬い表情を崩さないまま、乙女のように頬を染めた。
「まあ……まあ、お二人とも。さあどうぞお家の中へ。暖炉の前でゆっくりとお話くださいまし」
 マーシャが目尻の涙をぬぐいながら笑って、二人を居間に導こうとした。オスカーが鼻をひくつかせて顔を輝かせる。
「スコーンの匂いだ。ああ、懐かしい! この二年間、何かを食べるってことを忘れていたからなあ」
「さようでございますか。ええ、もうすぐ焼きあがるところですよ。二階の皆さんもお呼びしてお茶にしましょうかねえ」
「では、あたくしもお手伝いいたしますわ」
 ミレイユはオスカーの手を振り払い、背中を向けたまま小さな声で付け足した。
「オスカーのお茶の好みは、あたくしが一番知っておりますから」

 暖炉の火が勢い良く燃え上がった。
 二階に居た魔女たち、エレイン、ユーリアンがお茶の席に着く。そしてステファンは毛布にくるまれたまま、オーリに抱えられて下りてきた。小さい子みたいで嫌だ、と彼は駄々をこねたが、一人で歩くほどにはまだ回復していない、とどうしてもオーリが許してくれなかったのだ。
 お茶をミレイユに任せて、マーシャはスコーンの具合を見た。いい焼け具合だが、もう一呼吸置かなくては。美味しいスコーンを食べるには、急いではいけない。ものごとには必要な手順と、掛けねばいけない時間があるものだ。
 そう、時間ならこれからいくらでもある。じっくり、じっくり。
 やがてオーブンから取り出されたキツネ色のスコーンは、美味しそうなヒビ割れと共に甘い匂いを放つだろう。

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