20世紀ウィザード異聞

第二章 5

 ステファンは一瞬眩しさに顔をしかめた。いつもは柔らかい北側の窓からの光が、こんなにも明るかったかと思う。その窓を背に立つエレインの髪は、いっそう赤く輝いて見える。
「だいたいオーリがいけないのよ。実体のない連中にガーリャだのアガーシャだの、名前までつけて特別扱いしてさ」
「ほうエレイン、妬いてる? 大人げないな」
「だれが! 使い魔に甘すぎると今日みたいな騒動になるって忠告してるの!」
「いやその表現は正しくないな。『使い魔』ではなくむしろ『仕事のパートナー』と言うべきだろう、うん」
「ばっからしい! もういい、オーリなんてそのうち、妖精の親玉にでも喰われちまえ!」
 エレインは巻き毛を跳ね上げると、窓の手すりを飛び越えた。
「エレイン、ここは二階……!」
 だがステファンが慌てて見た時には、もう赤い影は庭の木立の中に走り去るところだった。
「ははっ、これで一勝一敗だな」
 オーリは椅子に座ったままのんきに笑っている。
「あの、大丈夫なんですか?」
「エレインなら心配ない、いつもあんな調子だから。ステフ、君こそ大丈夫か?」
 さっき背中を打ったことを言われているのだと思ったが、オーリは別のことを言い始めた。
「アガーシャを直接手に乗せられる人間なんて初めて見たよ」
「え? 先生もそうじゃないんですか?」
「まさか。実体もない、質量もない、あえて言うならエネルギーの塊が『そこにあるらしい』としか表現しようがないやつだよ。下手するとこっちの魔力に干渉して手が弾かれる」
 ステファンは改めて自分の手を見た。
「だって、先生は捕まえてみろ、って」
「うん、アガーシャの動きを封じるくらいはできるかな、と思ったんだ。でも君の力はそれどころじゃなかった。そうだ、こいつらで検証してみよう」
 オーリは机の上のペンホルダーに右手を向けた。色とりどりの羽根ペンが一斉に震え始める。
「ああみんなじゃない、一本でいいんだ。ワタリガラス、おいで」
 言い終わらないうちに黒い羽根ペンがオーリの手元に飛んでくる。
「ステフ、やってごらん。そうだな、ヤマバトくらいがいいかな」
 半信半疑でステファンも左手を向けてみた。
「あ、そうか。君は左利きなんだ。――さあ、呼んでみて」
「ヤ、ヤマバト、おいで」
 ぎこちなく声を掛けると、一番小さな灰色の羽根が垂直に舞い上がり、真っ直ぐステファンのほうに飛んできた。が、手の中には納まらず、鋭いペン先でいきなり指を刺した。
「あいたっ!」
「こら、失礼だよヤマバト!」
 小さな灰色の羽根ペンは、ぷいと向きを変えると、自分でホルダーの中に帰ってしまった。
「ああごめん、ステフ。どうも相性が悪かったようだ。金属のペン先を着けてなくてよかった」
「これって、ぼくの魔力が弱いから、ですか?」
 ステファンは刺された手を気にしながら、こわごわペン達を見た。
「違う違う。弱いどころか、君の力が強すぎて反発したんだ。魔法っていうのは対象との関係性で意味が変わるからね」
「……よくわかりません」
「小難しいこと言っちゃったかな。例えばね、さっきわたしが発した火花だ。指先に集めると『スパーク』という魔法になるが、単独では何の意味もない。だけどエレインが心配してたみたいに揮発油――気化しやすくて燃えやすい油だ――に向けて使ったら、途端に意味を持つね」
「引火して、火事になっちゃいます」
「そうだ。一方こうしてろうそくの上で放てば」
 オーリは棚の上から燭台を引き寄せ、指を鳴らした。ポッ、と勢い良く灯がともる。
「ほら、こうして灯りを得る事ができる。まあ、マッチの代用程度の意味しかないが、平和なもんだ。どちらも同じ力なんだがね。これをもし人に向ければ?」
 スッ、と額に指を向けられてステファンは肝を冷やした。
「冗談だよ。君が寝ぼけた時にパチッとやれば目覚ましくらいの意味はあるかな。だけど杖を使って増幅すれば!」
 オーリは素早く杖を取り、窓の外に向けた。稲妻のような光が走り、何か鼠色のものが吹き飛んだ。
「こういう野蛮な力にもなり得る――何の用だ、ファンギ?」
 ステファンは急いで窓に駆け寄った。奇妙な声をあげながら、触手だらけの丸っこいものがあたふたと屋根伝いに逃げるのが見えた。
「カビを運ぶ妖精だよ。森の中で仕事をしていればいいのに、エレインの留守を狙ってきたな。マーシャに気をつける様言わなくちゃ」

「先生、で、そのカンケイセイってわからないんだけど……」
「ああそうだ、話の途中だったね」
「なぜアガーシャは手に乗せても平気なのに、羽根ペンはダメなんですか? 先生はぼくの力が強い、っていうけど、とてもそんなふうに思えない」
 不満そうなステファンの表情に、オーリはちょっと苦笑いをした。
「わたしも質問していいかな。なぜさっき、君にだけアガーシャの光が見えたのか? あの光はとても弱いんだ。わたしより夜目がきくエレインでさえ、さっきは見えなかった」
「……わかりません」
「そうだろうな、わたしも君の質問には答えられない。ただ、君は何かアガーシャと共鳴する力があるんだろうな。個性と言ってもいい。それが何なのか、をこれから時間をかけて探らなくちゃ。学ぶっていうのはそういうことだ」
 オーリは杖を壁際の照明に向け、たぐり寄せるような仕草をした。雫型をした電球が弧を描いて飛んでくる。それを掌の中に受け止めて、オーリはあちこちの角度から透かし見た。
「それにもうひとつ。さっき君がちょっと触れただけでこいつが光った。もちろん誰もスイッチなんて入れてないのに、だ。ごらん、フィラメントが切れている――うちの照明器具は、魔力の影響を受けない仕様になってるはずなんだが――面白いね、アガーシャに、ラジオの真空管に、電球か。杖の申請書に書く項目がまた増えた」
「杖? 魔法の杖、ですか?」
「嬉しそうに言うなよ。まだ仮の杖だ。新しい弟子を迎えたら一ヶ月以内にその子の適性を見極めて、ふさわしい杖を貸与してもらえるよう、ユニオンに申請しなくちゃいけないんだ。で、その後師匠に認められればやっと本杖を自分で買えるようになる。結構面倒なんだよ」
 オーリは心底面倒くさそうな表情をした。
「ユニオンって?」
「ウィッチ&ウィザードユニオン、要するに魔法をなりわいとする者の同業者組合だ。ほんの数十年前までは『ギルド』なるものが機能していたらしいけど。いまだに師弟制度が続いているのはその名残だね。わたしはこういう縛りが嫌いなんだ、もっと自由にやらせてくれればいいのに」

「お茶がはいりましたよう」
 階下からマーシャの声が響いた。
「さ、難しい話は終わりだ。ただ覚えていてくれ、君はわたしにも無い力を持っている。自信を持つんだよ」

* * *

 その夜、遅くまでアトリエの灯が消えることはなかった。
「……参ったなあ」
 オーリはひとり、描きかけのカンバスの前に座っていた。さっきから少しも筆は進んでいない。
「オスカーの息子だもの、才能があるのはわかってたけど……こうもはっきり目の前で力を見せ付けられると……いくら童心を持ち続けようとしても、本物の子供の感性には敵わないよな……」
 諦めて筆を置き、オーリは壁の写真を見つめた。
「もう取り戻せないんだろうか、アガーシャ」
 インク壷に問いかけているのではなかった。壁の古びた写真の中では、オーリに良く似た顔だちの魔女、東洋人の男、二人の間には白っぽい髪色の痩せた男の子、そして、天使のような笑顔を向ける赤ん坊が映っている。
「こういう時こそエレインが居てくれればいいのに。帰ってきやしないんだから」
 オーリは立ち上がると部屋の灯りを落とし、開け放した窓から外を見つめた。木立を涼しい風が渡っていくが、そこには誰の気配も無い。オーリはいつまでもそうして闇を見つめていた。
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