20世紀ウィザード異聞

第四章 「本の森へ」 1

 ユーリアンの言葉は的を射ていたかもしれない。
 新月を過ぎてもエレインの機嫌は良くなるどころか、ますます頻繁にオーリとぶつかるようになった。何かがエレインを怒らせ、悲しませている。それが何なのか、ステファンにはわからない。オーリはオーリで新しい仕事が忙しいらしく、楽しみにしていたオスカーのコレクション整理はなかなか進まないでいた。

「あたしにどうしろっての! オーリの言ってる事なんてわかんないよ!」
 書庫から出てきたステファンの耳に、エレインの声が突き刺さった。さんざん大声で怒鳴り散らした挙句森に消えていくエレインを見て、ステファンはとうとうオーリに抗議した。
「先生、エレインとケンカしないで!」
「どうしたステフ、泣きそうな顔して……エレインなら大丈夫だよ。あんなのケンカでもなんでもない」
「うちのお父さんも前はそういってたよ」
 ステファンの目は怒りを含んだまま、涙を浮かべている。
「『ステファン大丈夫だよ、お母さんとはケンカしてるわけじゃない、意見が合わないだけだよ』って。でも結局、離婚になっちゃったんじゃないか」
 オーリはマーシャと顔を見合わせた。
「まあま坊ちゃん、オーリ様たちは心配ないですよ、いつもすぐ仲直りなさってます。それに魔法使いと守護者の契約は絶対ですから」
「そういうこと言ってるんじゃなくて!」
 ステファンはこぶしを固めてぷるぷると震わせている。
 オーリはその表情をじっと見ていたが、やがて冷ややかに言った。
「余計な心配させて悪かったね、ステフ。でも君の両親の問題と一緒くたにされては困るな」
「オーリ様!」
「黙って、マーシャ。わたしはステフが子供だからって気休めを言うつもりはない。いいかいステフ、君が両親のことで傷ついているのはわかる。でもそれとこれとははまったく別の問題だ。誰だって辛い事のひとつやふたつは抱えている。でもそれは各々で向き合うしかないんだ。今のエレインの問題は、わたしとエレインで解決するしかないんだよ」
「大人の話だから、子供は口をはさむなってこと?」
 ステファンは鳶色の目に涙を溜めてオーリを睨んだ。
「意見するのは君の勝手だ。でもわたしたちは議論を止めるつもりはない、と言っているんだ」
 ステファンは弾かれたように階段を駆け上った。
 
 あんな冷たい言い方はない、と思った。ポケットの中で鍵束ががちゃがちゃ鳴っている。ステファンはそれを取り出すと、砦に立てこもるように書庫に飛び込み、鍵を閉めた。
 しんとした書庫の中でドアを背にすると、悔しくて涙が溢れてきた。
 どうして大人達は、いさかいばかりするのだろう。オーリは別の問題だ、と言ったが、そうは思えない。
 母ミレイユが凍るような声で父に告げた言葉が蘇る。思い出すまいとしてもそれは耳の奥で冷たい針のように引っかかり、何度も頭の中で反響した。目の前に、迷路のような書架が並んでいる。ステファンは腹立ち紛れに、書架の奥へ、奥へとやみくもに進んでいった。
 オーリがエレインをどのくらい好きかってことくらい、十歳のステファンにだって見ていればわかる。――だったら、ずっと仲良くしていればいいんだ。大声で怒鳴ったり言い争ったりするのを聞くのは、もう嫌だ。オーリの顔も、エレインの顔も見たくない。あんな突き放した言い方をするなら、もう心配なんかしてやらない。オーリは父と同じ世界を持っている人だと思っていたけど、やっぱり違う――
 無性に父に会いたい、と思った。父オスカーなら、こんな時、何と言ってくれるだろう? ステファンは書庫の一番奥にあるNo.5の『保管庫』を探した。
 
 書庫の中は、ぼうっと明るい。照明があるわけではなく、天井自体が発光しているのだ。
 何度も来ているので、書架の並びはだいたい覚えている。一番奥まで行けば、No.5の本は簡単に見つかるはずだ。
 ところが今日に限って、ステファンはなかなか奥まで辿り着けなかった。角ごとに『原色妖精一覧』や『近代魔法陣デザイン』といった派手な背表紙の本を目印にしていたはずだが、同じ本をもう三度は目にした。
(あれれ、堂々めぐりだ。書庫の中で迷子になっちゃった)
 ステファンは周りの本を見上げ、クスリと笑った。この感じは『王者の樹』の森で迷った時によく似ている。ただ、あの時のような恐怖感はない。むしろ何時間でもここに居たいような心地よさを感じる。
(よーし、お父さんの本は後からゆっくり探そう。どうせ外へ出ても先生と顔を合わせると気まずいだけだし、しばらく遊んじゃうか!)
 涙の跡がひりひりする顔を手の甲でぬぐうと、ステファンは深呼吸した。

「そうだな、まず……『妖精』!」
 言葉に反応するように、あっちこっちで微かな光が生まれた。
(まだぼんやりしてるな。もっと絞り込まなくちゃ)
 目を細くして一番近い光に神経を集中する。光はしだいに範囲を狭め、一冊の本を照らした。手に取り、ぱらぱらとページをめくったステファンは、嬉しそうに指をさした。
「みーつけた!」
 ステファンが指し示した先に『fairy』の文字が光っている。
 これは父が教えてくれた遊びだ。ステファンは小さい頃、こうして文字や単語を覚えた。ただし、母の前でやってみせると血相を変えて叱られたが。
『妖精』の言葉に反応した本は何冊もある。ステファンはそれを片っ端から取り出しては読み、飽きればまた別の言葉で本を探した。
 ステファンにとって、本を読むという行為は遊びと同じだ。こんな本の森のような書庫にいつまで居るのだろうとか、お腹がすいたらどうするのだろうとか、今は一切頭にない。ただ言葉を追いかけ、つかまえ、運が良ければ面白い文章に出会って、そのまま読みふける。こんな楽しい遊びをどうして止められるだろうか?
 

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