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20世紀ウィザード異聞

第六章 1

 
 八月の最後の日曜日、ステファンは、オーリとエレインの後にくっついて歩きながら、初めて見る大きな街に目を丸くしていた。
『カヴァンシーヒル』
 街の名を示す標識を一文字ずつ指差して読み、改めて通りを見回す。石畳の大きな街には、新旧さまざまな建物がひしめいている。
 その間を縫って路面電車が走り、車が列をなして走り抜けていく。

「そんなにキョロキョロしてると自分で田舎者です、と言ってるようなもんだよ」
 オーリが冷やかすように声を掛ける。ローブではなく、涼やかな細身のリネンスーツを着て帽子を被る姿は、魔法使いというより洒落っけのある外国人紳士という風情だ。
「だってぼく、こんなに車が多いとこ見たことなくて……あ、あれって信号機だよね?」
 今にも駆け出しそうなステファンの肩をエレインがつかまえた。
「だめよ、あんな変なのに近づいちゃ。大きな目玉ぎょろつかせて、なに考えてるんだか」
「別に取って喰われやしないよ。君たちこそ、信号機を壊したりしないでくれよ」
 オーリはやれやれ、と疲れた顔をした。ステファンはまだ大人しくしているほうだが、エレインはさっきからしょっちゅう立ち止まっては、あれは何、これは何、といちいち説明を求めてくる。
 とうとうオーリは苦情を言わねばならなくなった。
「もしもし守護者どの、君は自分の役目を忘れてるんじゃないのか? これじゃいつまでたってもユーリアンの家に着けやしない」
「なによ、だったらいつものように『飛んで』くれば良かったんだわ。そしたらこんな変な服着て汽車なんてバケモノに飲まれなくて済んだのに!」
 エレインは広い帽子のつばを引き上げてオーリを睨んだ。薄い水色の長袖ブラウスに赤毛が映える。細く絞ったベルトの下は、いつもの短いズボンではなく、裾の広いスカートを履いている。マーシャの見立てなのか、昔風のたっぷりした丈で、彼女のしなやかな脚を隠していた。
「さすがに三人で『飛ぶ』のは無理だよ。それにこんな機会でもないと、エレインのお洒落した姿なんて見られないしね」
 オーリは眩しそうな目でエレインの手を取った。その手さえもレースの手袋で覆われている。竜人特有の青い紋様を隠すためとはいえ、さすがに窮屈だろうな、とステファンは同情した。
 それにしてもエレインがここまで人間の社会に疎いとは知らなかった。確かに汽車だの信号機だのは、竜人にとっては得体の知れない生き物のように見えるのかも知れない。
「ねえ先生『飛ぶ』ってどうするの? アトラスだと街の人がびっくりするし、もしかしてほうきに乗ったりする?」
 期待を込めてステファンが訊いた。
「まさか。都市部へのほうき乗り入れは半世紀も前に禁止されてるよ。わたしの師匠は最後のほうき世代だったから、乗り方くらいは教えてくれたけどね」
「じゃ、先生はどうやって?」
「例えて言うなら瞬間移動、みたいなもんかな。でも飛ぶのは一度に二人が限度だ。結構疲れるんだよ」
「教わらないほうがいいわ、ステフ。オーリなんかしょっちゅう着地に失敗するし、慣れないと酔って吐くわよ」
 エレインの皮肉な笑いに咳払いして、オーリは道の向こうを指差した。
「ほら、あんまり遅いからユーリアンが迎えに出ている」
 同じような造りの二棟続き家が並ぶ一角で、見覚えのある褐色の青年が手を振っている。青年の腕には小さな女の子、隣には大きなお腹の女性が立っている。
 どこにでも居る、普通の幸せそうな家族という感じだ。この前会った時のような、強烈な火山のイメージは無い。
 ローブを着ない時の魔法使いって本当に一般人と見分けがつかないな、とステファンは思った。

 二棟続きの赤茶けたレンガの家は、左側がユーリアンの家になっており、隣は別の家族が住んでいるようだ。玄関の黒いランプ飾りが魔女の形をしているのが可愛らしかった。きっと夜には、この魔女が灯りを抱いて出迎えてくれるのだろう。
「あなたがステファンね? ユーリアンが誉めてたわよ」
 お腹の大きな女性に微笑みかけられて、うわ本物の魔女だ、とステファンは緊張した。黒い服など着ていなくてもわかる。切れ長の目と肩までの艶やかな黒髪は美しいが、どこか油断のならない恐さがある。
「順調そうでなによりだ、トーニャ。次も女の子なら、ユーリアンの立場はますます弱くなるな」
「その通り!」
 快活に笑いながらユーリアンは三人を招き入れた。
「トーニャはオーリのいとこなのよ。この前の手紙でしゃべってた魔女の娘」
 エレインに耳打ちされて、ああそうか、とステファンは思い出した。虚像伝言だったとはいえ、あの威圧感たっぷりの魔女の娘――どうりで恐いはずだ。

 狭い玄関と廊下の先は、涼しい風が吹き抜けるダイニングに続いていた。
「狭いけどゆっくりしてってくれ。今は夏休みだから隣の悪ガキも居ないし、この辺りは静かなもんさ」
 ダイニングの向こうは縦長い芝生の庭だ。庭の外れには林檎の木が、隣家との境には蔓バラが、目隠しのように植えられている。田舎にくらべると確かに狭いが、街の家はこんなものなのだろうか。
「アーニャ、見るたびに大きくなるね。ほら、お土産だ」
 オーリはユーリアンの腕の中に居る女の子の目の前でパチンと指を鳴らした。
 どこから現れたのか、色とりどりのキャンディーが花びらのように宙を舞う。
 女の子は歓声を上げると、小さな手を伸ばして全てのキャンディーを空中で引き寄せて捕まえてしまった。
 ステファンは茫然とそれを見つめた。あれはオスカーに教えてもらった遊びと同じだ。けれどステファンが小さいときは、吹けば飛びそうな軽い紙のハトを捕まえるのが精一杯だった。まだオムツがとれたばかりのようなニ、三歳の子が、キャンディーのような重みのあるものを、しかも複数同時に捕まえている――はっきり言って、この光景はショックだ。
「アーニャ、今日はひとつだけよ。オーリおじちゃまにご挨拶は?」
 母に言われてアーニャは床に飛び降り、オーリに駆け寄った。 おじちゃまと呼ばれてオーリは苦笑しながらも、小さなアーニャのキスを受けて満足そうだ。
 アーニャはエレインとステファンにも駆け寄って来る。勘弁してくれ、とステファンは首をすくめた。小さい子は苦手だ――案の定、キスのついでに水っ鼻をつけられてしまった。
 うへえ、と思って必死に頬をぬぐっているステファンをよそに、大人達は談笑を始めている。
 
 さっさと辞書のことを聞けばいいのに。
 オスカーの手紙の謎を解きに来たんじゃなかったのか。
 バラの香を運ぶ涼しい風も、トーニャが出してくれた炭酸のジュースも、今のステファンにはちっとも楽しめない。ユーリアンが季節を問わず熱いお茶しか飲まないとか、トーニャのベビーがいつ生まれるかとか、エレインのスカート姿がどうしたとか、そんなことはどうだっていい。
 じりじりしながらうつむくステファンの手に、ふいに柔らかいものが触れた。小さいアーニャの手だ。黒ぐろとした真ん丸い目を向けて、じーっと顔をのぞきこみに来る。
「なに?」
 わざと不機嫌な声を出して追っ払おうとしたが、アーニャは手を離すどころか、とろけるような笑顔を向けてきた。
 なんて顔をするんだ、とステファンはたじろいだ。意味もわからず魔力を使うチビのくせに。水っ鼻をつけてるチビのくせに。けれどアーニャは、その邪気のない澄んだ目を向けたまま、舌ったらずの発音で呼びかける。
「あとぼー(遊ぼう)!」

 大人達の会話は今や、エレインに化粧をさせるかどうかというくだらない話題で盛り上がっていた。
「トーニャ、うちの守護者には人間の価値観を押し付けないでくれないか……おや?」
 オーリは庭に続く窓に目を向けた。アーニャに手を引かれたステファンが、どうしてよいかわからずうろたえている。
 くくく、と笑ってオーリはエレインに耳打ちした。
「了解! 靴脱いでいい?」
 答えを待つ間もなくエレインは靴を放りだしていた。
「ま、待てエレイン! 何も裸足になれとは、おいっ」
 いくら夏とはいえ、他人の家で女性が脚をさらすなど、もっての外だ。だがオーリが焦って止める間にも、手袋と靴下までがポイポイと宙を舞う。
「はしたないって言うつもり? エレインには人間の価値観を押し付けないんじゃなかった?」
 トーニャは面白そうにオーリの表情を眺めている。
 その間にもエレインは裸足で庭に駆け出し、高々とスカートをたくし上げながらアーニャと追いかけっこを始めてしまった。
「ステーフ! ぼんやりしてないで一緒に遊ぶよ、ほらっ」
 エレインに急きたてられて、ようやくステファンも追いかけっこに加わった。
「ま、いいんじゃないか? 裏庭なら通りから見えないし。あれだけあっけらかんと脚を出すんなら、こっちも気を使わずにおくさ」
 ユーリアンはさっきから笑いすぎてティーカップをひっくり返しそうだ。
「面目ない。まったくうちの守護者は大人なんだか子供なんだか……」
 ひとり、オーリだけが顔を赤くして頭を抱えている。
「童心だよオーり、『童心』。僕らの師匠が一番重んじたことだろ? エレインには充分それが残ってるってことさ」 
「だから困るんだよ」
 オーリはぼそりとつぶやいた。  
 
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