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20世紀ウィザード異聞

第六章 2話

「それよりオーリ、例の『竜人管理法』のこと。何か対策は考えてるの?」
 トーニャが声をひそめた。
「ああ、エレインとはいろいろ議論してるよ。けど、わかってもらえなくてね。『野蛮なる竜人は竜に順ずる扱いとす』――希代の悪法だ。要するに竜人を隔離して、都合よく管理しようってわけだろう。ばかばかしい、なにが『管理』だ。もともと人間と竜人は対等なはずなのに。それに野蛮な迫害をしたのはむしろ人間のほうだろう!」
「落ち着け。悪法でも法は法、ってやつだ。お前がここで憤慨してても何も変わらないぞ、オーリ」
「わかってるさ! ああ、魔法使いなんてのはこの国じゃ無力だ。いいように振り回されて、何も意見できやしない」
 オーリは腹立ち紛れなのか癖なのか、テーブルの隅にあった紙にぐしゃぐしゃを描いている。ユーリアンはそれを目で追いながら思い出すように言った。
「他の奴らはどうしてるのかな。屈強な竜人と契約している魔法使いは多いから、皆なにかの抜け道を考えているだろうけど。確か、一定の職業に就いて申請すればいいんじゃなかったっけ」
「でも守護者は『職業』としてどうなのかしら。魔法使い自体、公(おおやけ)には認められていないんだから、その『守護者』というのも有り得ない、と言われたら」
「ガルバイヤン家全体の守護者、ってのはどうだ?」
「いいよ。職業なんて適当にみつくろって申請書類をでっちあげる。それより問題はエレインのほうだ。彼女には『カネ』の意味がわからない。何度説明しても、わかってくれないんだ。申請のときには役所でいろいろ聞かれるだろうから……困ったな。まさか『報酬は魔力です』なんて言えないし」
「なあオーリ」
 ユーリアンは大きな瞳でじっとオーリの表情を伺いながら言った。
「いっそ、結婚しちまえば?」
 
 ポトリ。
 オーリの手からペンが落ちて転がる。
 石像のように固まったまま、その顔がみるみる赤くなる。
「な、な、なにを急に……なんでそんな話に」
「急に、じゃないだろうが。法的にはどうなるか知らんが、考えたことくらいあるだろう」
「ばかな! そんなつもりで契約したんじゃない!」
 今や耳まで真っ赤になったオーリは、立ち上がって机を叩いた。
「ひと目惚れだったくせに」
 ユーリアンは落ち着き払って、オーリの心を見透かすような口ぶりでいる。
「いいかオーリ、覚悟を決めろ。エレインを守るためなら手段を尽くせ」
「そんな……無茶いうな」
 オーリは力なく椅子に座った。
「それこそ、エレインには理解しがたい話だ。いいか、竜人フィスス族を滅ぼしたのは人間だぞ。その人間と守護者契約をするってだけで大変だったんだから。それにあの一族は、普段は母親集団と父親集団が離れて暮らしてたんだ。『結婚』なんて考え方はもともと無い。ましてエレインなんて巫女みたいな育てられ方してたから……」
「何を言ってるんだか。どうして魔法使いってそういう考え方をするのかしら」
 トーニャは冷ややかに言って新しいお茶を注いだ。
「仮にエレインが理解したとして。身分を保証するための結婚、なんて誇り高い彼女が納得すると思う?」
「……どうすればいいんだ?」
「自分で考えなさい。まったくいい年をして手のかかる」
 すまし顔でカップを口に運ぶ従姉を、オーリはまだ赤い顔のまま睨んだ。


「二人とも、帽子を被った方がいいわね。取ってきてあげる」
 エレインは汗を浮かべた前髪を跳ね上げると、家の中に戻って行った。 
 八月も終わりとはいえ、日中はやはり暑い。アーニャは追いかけっこに飽きたのか、涼しい生垣の下にしゃがみこんで花びらを拾い始めた。
「あん、とぅー、ぴー、ぽぉー」
 数を数えているのか、それとも呪文のつもりなのか。小さい指が動く度に、花びらがひらひらと舞い上がる。
 さっきキャンディーを捕まえたことを思えば、花びらを舞わせることなど何の苦も無いのだろう。
 この子は家の中でこんな遊びをしても、叱られたことなんか無いんだろうな、そうぼんやり思いながら、ステファンも無意識に花びらを捕まえた。
「だぁーっめ! め!」
 急にアーニャが立ち上がり、ドン、とステファンを突いた。
「な、なんだよ」
「め! アーニャがするの!」
 口を尖らせて小さなこぶしを振ると、つむじ風のように花びらが舞う。
 ステファンは鼻の頭にシワを寄せた。――生意気なチビだ。さっきちょっとでも可愛いなんて思って損した。
「ステフ、ちょっと入って。オーリが呼んでる」
 エレインの声に救われた。あと五分、このチビ魔女の子守をさせられていたら、ほっぺたをつねるくらいはしていたかもしれない。

 ダイニングではオーリが落ち着き無く歩き回っていた。トーニャもユーリアンも、懸命に笑いをこらえているのがわかる。ステファンはこっそりとエレインに訊ねてみた。
「ね、先生どうかしちゃったの?」
「知らない。さっきからああなんだもん。熱いお茶でも飲みすぎたんじゃない?」
 エレインはさっぱりわからない、という顔で肩をすくめて、再び庭へ出た。
「あー、ステファン、待たせて悪い。さっさと本来の目的を果たすとしよう」
 咳払いして座るオーリの頬は少し赤いように見える。なるほどエレインの言うとおりかも、と思いながら、ステファンはテーブルに目を留めた。あの『忘却の辞書』が置かれている。

「保管庫の中で見たことを、わたしたちにも話してくれる? どんな小さなことでもいいから」
 トーニャの声は優しいが、目は油断なくステファンを観察している。
 こんな目で見られるのはあまりいい気分ではないし、正直言って、保管庫のことはあんまり思い出したくない。けれどオスカーの手掛かりを少しでも見つけるためだ。ステファンはとつとつと語り始めた――もちろん、ファントムの前で大泣きした事は抜きにして。
 ステファンが語り、オーリが話の合間に補足をする。トーニャは二人から目を離さないままでメモを取っている。手だけが別の生き物のように動くさまは、オーリが羽根ペンで絵を描く時と似ている。
「面白い?」
 ステファンが不思議そうに手元を見ているのに気付いたのか、トーニャはペンを止めて微笑んだ。
「トーニャは魔女出版の記者なんだ。ほら、いつかのトラフズクを覚えているだろう」
「今は『もと記者』よ。最近はデスクワークばかりで面白くなかったから、こういうのは楽しいわね。で、それから?」
「それから……いや、それで全部だ」
 きっぱり答えるオーリに、ステファンは心の中で感謝した。ステファンが勝手に保管庫の鍵を開けたことや泣いたこと、しばらく起き上がれなかったことには、少しも触れなかったからだ。
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