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20世紀ウィザード異聞

第七章 「竜人の鎖」 1

 帰りの汽車は空いていた。エレインは来る時と違って緊張感がほぐれたのか、六人掛けのコンパートメントの窓際に陣取ると、他の乗客のいないのをいいことに、またしてもあれは何、これは何と質問の雨を降らせた。
 十何回目かの『あれは何?』の後、ふいにエレインが黙り込んだ。オーリの手が額に向けられている。ステファンが驚いている前で、緑色の目を閉じてがくりと首を垂れる。
「うるさいから眠ってもらったんだ。これでゆっくり本が読める」
 オーリは平然とそう言うと、文庫本を取り出して開いた。
 書庫から持ってきたのか、随分と古い本だ。黄ばんだページをめくるオーリに、ステファンは前から思っている疑問をぶつけた。
「それ普通の文字、だよね」
 問われた意味がわからない、という表情でオーリが目を上げた。
「魔法使いにしか読めない文字って、どんなの? お父さんの手紙を見たって普通のアルファベットにしか見えないんだけど」
 オーリはうなずいて、静かな声で答えた。
「そうだよ。普通のアルファベットだ。ただし、インクに魔法が掛けられているから魔力の無い人には読めない。うちではアガーシャが守っている、あの特種インクだ。昔、魔法使いが迫害されていた時代に、自分たちだけで秘密の連絡が取れるよう作られたのが始まりと聞いている。オスカーは万年筆に入れて使っていたな」
「迫害されてたって……むかーしの魔女裁判みたいに? じゃ、今は?」
 ステファンを安心させるように、オーリは笑みを向けた。
「大丈夫、君が心配することはない。この国は魔法使いを公式には認めない代わりに否定もしない。だからわたしの一族は、祖父の代に北方での迫害を逃れて移り住んだんだよ。オスカーは遺跡を調査しながらそういう近代魔法の研究もしていたな……そう、エレインの一族のことも、オスカーを通じて知ったんだっけ」
 オーリは眠るエレインを振り返った。
 眠ってしまうと、エレインは意外と幼い顔をしている。向かいの席からその寝顔を見て、ステファンは首をかしげた。女の人の年齢なんてよくわからないが、竜人となるとなおさらだ。大酒を飲んだりオーリと対等な口をきいたりしているから随分大人のように思っていたが、本当はかなり若いのかも知れない。親も仲間も既に居ず、たった一人で人間という違う種の中に暮らして、彼女は寂しくないのだろうか。
 
 汽車は瞬く間に街を抜け、青々とした丘に差しかかった。少し勾配があるせいか、眠るエレインの身体は危なっかしく揺れる。オーリはそれを支えて赤毛の頭を自分の肩にもたせかけた。
 窓の外に木立が現れる度に陽射しと影とが交互に降る。オーリは時々本から目を上げ、肩の上の寝顔を見て微笑んだ。
 見ているステファンのほうが気恥ずかしくなるような表情だ。どうにも居心地が悪くなってきた。もしかして、いやもしかしなくてもこの場合、自分はおじゃま虫じゃないのか?
 ステファンがどこかへ逃げたくなってきた頃、ゴトゴトと音がしてコンパートメントの扉が開いた。
「ああ、こちらは静かだこと。ご一緒してもよろしいかしら?」
 ピンク色のホイップクリームが、いや、ピンクの帽子とスーツを着込んだ太った老婦人が、大きな鞄と共に立っていた。
「もちろんですよ。ステフ、手伝ってあげなさい」
 ステファンは立ち上がると、老婦人が鞄を網棚に持ち上げるのを手伝った。
「いえね、さっき座ってたところは東洋人が三人、おかしな言葉でしゃべってたから騒がしくて……あら、失礼」
 老婦人はオーリの顔立ちを見て、まさにその『おかしな言葉の東洋人』とでも思ったのか、慌てて口元を押さえた。
 オーリは気にするふうもなくニコリと笑顔を向けて再び本に視線を戻す。
 なんとも間が悪い。ステファンは席を立つタイミングを失って隣をうらめしく見た。そんなことにはお構いなくハンカチで汗を押さえていた老婦人は、窓からの風を受けてクシャミをした。
「お大事に」
 すかさずオーリが言うと、老婦人は丸い顔いっぱいに笑顔を見せた。
「ありがとう。まああー、あなたのお国ではそういう長髪になさるの? 絵になるお二人ねえ」
 そしてエレインを見ながら楽しげに言った。
「奥様も、お綺麗で」
 オーリは本を落っことしそうになった。
「お、奥様って?」
 さっきまでの落ち着きが嘘のようにうろたえている。
 ステファンは思わず口をはさんだ。
「まだ式はこれからなんです」
 オーリは目を白黒させているが、ステファンは構わず続けた。
「ええと、今から田舎に帰って結婚式の準備をするとこ。ね、先生」
 自分でもよくすらすらとデタラメが言えたもんだと思いながら、ステファンは冷や汗を浮かべた。
 オーリはわかってないだろうけど、この二人が並んでいると嫌でも人目を引く。来る時だって、何度もじろじろ見られたし、そのうちエレインの正体に気付く人が居るのではないかとヒヤヒヤしっぱなしだった。ちょっと言い過ぎたかもしれないけど、ここは相手の勘違いに便乗しちゃったほうが安全じゃないのか、と思ったのだ。 
 老婦人は指輪のない二人の手に視線を移して納得したのか、ゆったりと微笑んで言った。
「あらあ、それはそれは。やだわね、早とちりしてしまって、ごめんなさいねえ。でもご両親はさぞお喜びでしょう?」
「はあ……」
 こういう時、いつもなら軽口のひとつも叩くオーリが、ただ顔を赤くして口ごもっている。ダメだな先生、とステファンは上目遣いに睨んだ。
 老婦人はピンクの帽子をかしげてまだつくづくと二人を見ている。
 窓からの風は涼しいのに、ステファンの背中には冷や汗がどっと出てきた。どうしよう、エレインってそんなに、普通の人間と違うのだろうか。
 けれど老婦人の興味は別のことに向いていた。
「当ててみましょうか。あなた絵を描いていらっしゃるでしょ」
 オーリはぎくりとして思わずステファンと顔を見合わせた。
「ええまあ、少し。よくお判りですね」
「ああやっぱり? うちの孫と同じ手をしていらっしゃるもの」
 子供のように両手を打ち合わせて、老婦人は嬉しそうに笑った。
「お孫さん、絵描きさんなんですか?」
「いえね、まだ画学生なんだけど、小さい頃から絵の上手い子で。街の大きな美術展で一等賞を取ったこともあるのよ」
 老婦人はそれからひとしきりじゃべり続け、あの子は天才だ、将来は絶対有名になる、などと孫をほめちぎった。目の前に座っているのがプロの画家だと知ったらどうするかな、と思うとステファンはおかしかったが、とりあえず話題がエレインから逸れたのはありがたい。オーリが面白そうに相槌をうっているので、それにならって黙って聞くことにした。
 汽車はその間にも、緑の牧草地を越え、渓谷を越え、夕風が吹く頃に着いた駅で老婦人は立ち上がった。
「じゃあさようなら、おかげで楽しい旅でしたわ。眠り姫さん、お幸せにね」
 まだオーリにもたれて眠ったままのエレインにも手を振って、老婦人は降りていった。

「ふう。参ったな」
 再び汽車が動き出してから、二人はやっと安心して息をついた。
「先生、今の人って魔女だと思う?」
「いや、そんなことはない。でもマーシャといい、今のご婦人といい、魔力はなくても勘の鋭い人ってのは居るもんだ。絵のことを言われた時は驚いた。エレインの正体まで見抜かれるかと思ったよ」
「そうだよ。なのに先生ったらモゴモゴ言うばっかりだしさ。焦っちゃったじゃないか」
 口を尖らせるステファンに、オーリは参った、という顔で笑った。
「そう、君の機転には感謝してるよ。『生真面目くん』としては上出来のホラ話だった」
 眠るエレインをよそに、二人は大笑いした。
 けれどもうじき三人の降りる駅だ。オーリは魔法を解くために再びエレインの額に触れながら、急いで言った。
「あ、ステフ。さっきからの会話は、エレインには内緒だ」
「いいけど……」
 別に内緒にしなくったっていいのに、とステファンは思った。老婦人にはとっさに言いつくろったが、そうなったらいいな、と思っているのも事実だ。両親がバラバラになってしまった今、せめてオーリたちにはずっと離れないでいてもらいたいと、弟子のステファンが願ってはいけないだろうか。
 それにあの老婦人の言うとおり、二人は並んでいると本当に絵になるのだ。大叔父様のパーティでは、さぞかし周りの目を惹くことだろう。
  
 ステファンのとりとめのない思いに「終了」を告げるように汽車は汽笛を鳴らし、やがてリル・アレイの駅に滑り込んだ。
 
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