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20世紀ウィザード異聞

第七章 5

「母さまって、さっきの竜のこと?」
「竜? 竜を見たのか?」
「だって! さっきカミナリを落としたじゃないか。翼が無くて、エレインの髪みたいに赤くて。あんなに大きな竜を見なかったの?」
 ステファンは驚いた。アガーシャの光がそうだったように、自分に見えてオーリに見えないものもあるのだろうか。
 オーリは重い雲の波打つ空を見上げた。
「雷を操る、翼の無い竜? まるでフィスス族が『始母』と呼んでいる竜のようだ。まさか本当に居たのか? 伝説に過ぎないと思っていたのに……」
「先生、あの岩」
 ステファンはさっきの落雷で砕けた岩に目を留めた。何かとても嫌なものを感じる。恐る恐る近寄ったステファンは、砕けた岩の断面を見て悲鳴をあげた。 
 
 何かを叫ぶような人の顔、顔、顔。無念を訴えるかのように伸ばした手、また手。何体も折重なって、それらはレリーフのように岩から浮き出ている。
「見るんじゃない、ステフ」 
 ステファンは逃げるようにオーリの元に駆け戻った。
「先生、あれって……」
「ああ、竜人の顔立ちだったな。ここからも透視できた。――なんてことを!」 
 オーリは悔しそうに唇を噛んで辺りを見回した。
「ほんの数十年前まで、このリル・アレイは花崗岩を切り出して港まで運ぶ中継地だった。多くの竜人が苦役に使われて反乱を起こした者もいたと聞いている。彼らがどうなったかずっと不明だったんだが、まさかこの場で岩に封じられていたとは……」 
「じゃ、さっきのカミナリは、それを教えてくれたの?」
 ステファンの目には、理不尽な扱いに抵抗した末に、岩に変えられ、封じ込められた竜人たちの無念が、ひりひりと感じ取れる。耐え難くなってオーリの肩に顔を伏せた。
「あんなのひどいよ! あれも魔法使いが?」
「そうだ。魔法使いは、時に残忍にも、卑怯にもなる。それは事実だ。そしてその酷い歴史の延長上に今があるのも、変えられない事実なんだ」
 ステファンは震えが止まらなくなった。
「エレインは、あの人たちに代わって怒ったんだね」
「そうかもしれない……いや、むしろ強い怒りが引き金になって、岩の中の竜人たちと感応してしまったんだろう。エレインは本来、強い感応力を持つ『語り部』だったから。けどあの力は憑依魔法に近いんだ。繰り返し多くの竜人の言葉を受け止めて語っていると、心が壊れてしまう。それを恐れたからこそ、契約の時に力を封印したのに」 
 オーリはエレインの髪を掻き分けて左耳の後ろを確かめた。黒い小さな輝石の破片がぽろぽろと手に落ちてくる。
「封印の石が砕けている」
 信じられない物を見る面持ちで、オーリはエレインに問いかけた。
「なぜだ?」
 エレインは答えない。ただ光を映さない空虚な目を空に向けるばかりだ。
 オーリは草の中の砕けた花崗岩を見渡した。墓標のようにばらばらに点在しているように見えるそれらは、地面の下ではひと続きにつながっている。竜人の心もあるいは……
 足元で杖の転がる音がした。 
「封印だって? 仲間と苦しみを共有しようとする力を、封じるだって? なんて思い上がっていたんだ」 
 オーリは詫びるようにエレインを抱きしめた。その肩にポツ、ポツ、と雨が落ち始める。
「ごめん、エレイン……僕は竜人の痛みが、何もわかってなかった。人間は傲慢だ。魔法使いはそれ以上に傲慢だ!」 
 オーリのシャツの襟やタイには、さっき受けた傷の血が滲んでいる。けれどそんなことには構わず、彼はエレインを抱きしめたままで、何度も何度も竜人に詫びる言葉を繰り返した。
 
 緑の瞳に生気が戻り始めた。オーリの言葉が届いたように、やがて穏やかな顔になったエレインは、
「もう、眠っていい?」 
 と子供の声で聞いた。
 目隠しするように手でその顔を覆って、オーリは静かに答えた。
「ああ、眠っていい。エレインはもう、何も負わなくていい」 
 オーリの腕の中で、安心したような寝息が聞こえ始める。
 何も負わなくていい――そう言うオーリの横顔に、ステファンは何かの強い決意を感じ取った。
 
 雨はどろどろと鳴る雷を引き連れ、本格的に降り始めている。ステファンは寒さとさっきのショックで震えながら、それでも自分の上着を取ると雨の雫を払ってエレインの背に掛けようとした。 オーリは首を振って、着ていなさい、と言ったがステファンは聞かなかった。
「ぼく、何もしてあげられないんだ。エレインにも、竜人たちにも。ぼく、謝りたいんだ」 
「なぜ? 君が謝ることなんてない。竜人の歴史なんて、何も知らなかったんだろう?」
「そうだよ、知らなかった。あんなにいっぱい本を読んだのに、竜人のことは知ろうともしなかった。だから……」
 オーリはうなずき、顔を上げた。口元を無理に曲げている。目は悲しみでいっぱいのくせに、こんな時にまで笑顔を作ろうというのか。
 なぜ笑ったりできる? 今くらい、竜人たちのために号泣したっていいじゃないか、そう思うとステファンは余計に悲しくなって、雨でぐしゃぐしゃの顔になりながら、また声をあげて泣いてしまった。
「ステフ、泣き虫め。つくづく君が羨ましいよ」 
 オーリの顔には、雨で銀髪が張り付いている。
 やがてエレインをしっかりと抱きかかえたまま、オーリは立ち上がった。 ステファンはしゃくりあげながらオーリの広い背中を見上げる。 
 羨ましい? ではオーリは泣かないのではなく、泣けないのだろうか。魔法使いは、そんな不自由な中で生きていかねばならないのだろうか。  
 
 容赦なく冷たい雨は降り続いている。その雨に顔を打たせて、水色の目が天を仰いだ。
「竜よ、竜人の母よ。そこに居るのか? あの岩の中の魂は、貴女の元に還れたのか?」 
 雷鳴は次第に遠ざかりつつある。短い夏はもう終わろうとしていた。  
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