20世紀ウィザード異聞

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  第八章 3  

 ステファンは驚きで声も出なかった。
 まさか、ここでオスカーの名を聞くとは思わなかった。大叔父様と父がどこでつながりがあるのか、いやその前に、この不思議な干からびた塊りがなぜ『大叔父様』なのか、頭の中が疑問符だらけで目まいがしそうだ。なにか言葉を紡ごうと焦ったが、その間にも茶色い塊りの目と口――そう呼べるのならば、だが――は再び閉ざされ、沈黙してしまった。お供の美女たちがさっと椅子を囲む。
「眠ってしまったようだ。話の続きは後だな」 
 オーリは別段驚きもせず、冷ややかな顔でつぶやいてその場を離れた。
 挨拶の順番待ちをしていた人びとから残念そうなため息が聞こえたものの、皆オーリと同じような態度で広間の中に散っていく。ステファンが振り返ると、大叔父様は既にお供や椅子もろとも姿を消していた。
「先生、あのう、ええっと、どういうこと?」
 ステファンは迷子にならないよう懸命にオーリの後を追った。
「気にすることはない、大叔父は起きている時間のほうが短いんだ」
「そうじゃなくてさ、なぜぼくのこと知ってたの? 大叔父様ってお父さんと知り合いだったの? 第一あの姿って……百八十年も生きてるとああなっちゃうの?」
 矢継ぎ早に質問をするステファンに、やっとオーリの顔が向いた。
「最初の二つは本人に直接聞くしかないな。いつもああやって謎かけのような言葉を吐いては楽しんでるんだから、始末が悪いよ」
 広間にはいつの間にかいい匂いが漂っている。壁際のテーブルには料理やグラスが並び、人びとは主役の居ないまま思い思いの場所に立って乾杯をし、談笑を始めている。
「なるほど、ご馳走が並ぶ場にハーピーを同席させるわけにはいかない(注:1)ものな」
 オーリはそう言ってフルートグラスを手に取り、ステファンには蜂蜜色の飲み物を渡した。 
「そして最後の質問だが。昔の高名な魔法使いが四百年も五百年も生きたことを思えば、百八十歳なんてまだ壮年だよ。なのにあの姿だ。なぜだと思う?」
 ステファンに判るわけがない。質問しているのはこっちなんだけど、と困っていると、オーリは細いグラスの曲面に映る自分の顔を見ながら言葉を継いだ。
「一族を守るために、自分の魂を裏切る魔法を使った代償さ」
「ええ?」
 思わず大声で聞き返したステファンに、周りの何人かが怪訝そうに振り向いた。
「どういうこと? 先生こそ、それじゃ謎かけみたいだ。ちゃんとわかるように言ってよ!」
「よう、どうした。何を揉めてる」
 人びとの輪の中から抜け出して、ユーリアンが近づいてきた。
「大叔父がなぜあんな姿になったかという話」
 オーリはグラスの中の細かな泡を見つめながら呟いた。
「こっちへいらっしゃい、ステファン」
 トーニャは壁際の椅子にステファンと並んで座ると、皿に盛ったオードブルを勧めながら話し始めた。
「大叔父様の姿は何に見えた?」
「わかんない。木の切り株かな。それとも球根?」
「近いわね。あれは、巨大樹の種子よ」
「巨大樹……王者の樹みたいな?」
 ステファンの脳裏に、いつか森の中で見た、神秘的な王者の樹の姿が鮮やかに浮かんだ。
「私たちのお祖父様や大叔父様がこの国に移り住んだ頃はね、生きていくだけで大変だったの。魔法使いの地位を高めるために、大叔父様たちはあらゆる手を尽くしてくれたと思うわ。戦争に加担することもあった。綺麗ごとでは済まされない手段も使った。それがいいとか悪いとかじゃなく、そうしなければ生きていけない時代だったのよ。
私たちが今、魔女、魔法使いと名乗りながらも普通の市民として暮らしていられるのはね、大叔父様たちの世代が土台を作ってくれたからよ」
「けど、失うものも大きかった」
 くい、と一息に残りを飲み干して、オーリはまずそうに顔をしかめた。
「そうね。魔法といっても所詮は人の心から生まれるもの。世の中が落ち着くにつれ、自分達の過去を問うようになると、罪の意識に耐えられなくなった最初の世代は急速に魔力を失っていったわ。大叔父様はああして人の姿を捨てて、やっと自分を保っているの」
「そうなんだ。でもなんかそれって……あんまりだ。大叔父様、可哀想だ」
 神妙に考え込むステファンに、トーニャは微笑んだ。
「大叔父様は望んであの姿になったのよ。自分が亡くなったらこの岬の土に埋めて欲しい、そこから大いなる樹に成って皆を見守りたいって言ってたわ」
「あの様子じゃまだまだ樹には成れそうにないけどね。美女を侍らせたりして俗っ気が多すぎるだろう、あの爺さんは」
 皮肉たっぷりに言うオーリはラムチョップを少しかじって、再びまずそうな顔をした。
「味を感じないんでしょう、オーリ」
 トーニャは笑いをこらえるような顔をしている。
「砂を噛む思い、とはまさにこれだな。どういう料理人を雇ったんだ?」
「そうか? シャンパンもラム肉も極上だと思うが」
 ユーリアンは自分のチョップを骨だけにしてしまうと、満足げにナプキンで口を拭った。
「あなたが大叔父様に対して心を閉ざしている限り、ここでは何を口にしても同じでしょうね」
「へえ、光栄だな。じゃあ結構だ、食事が目的で来たわけじゃなし」
 オーリは憮然とした顔で、壁の天使像が持つ皿に食べさしの肉を置いた。天使は途端に顔中口だけの怪物に変わり、ラムチョップをひと呑みにすると、再びすまし顔に戻った。
「そうとんがるなよ。大叔父様が目覚めたら一緒に部屋へ伺おう。それまでは時間を有効に使うんだ、オーリ」
 ユーリアンはトーニャの腕を取ると、さっき話していたのとは別の魔法使いに近づいた。
 最初は硬い表情で挨拶をした相手も、二言三言言葉を交わすうちにたちまち笑い声を立てるようになった。そうしてものの五分とたたないうちに、ユーリアン夫妻の周りには人の輪ができてゆく。
「たいしたものだよ」
 オーリは苦笑いをした。
「彼は周りと違うことを最大の武器にして、人の心をつかんでしまうんだ。職業の選択を間違えたんじゃないかとさえ思えるね」
 ステファンは目を丸くして夫妻を見るうちに、オーリの言葉とは別なことを思った。 
――本当は皆、ユーリアンと話してみたかったんじゃないだろうか。
 なのに、何かが目に見えない障壁になって、人を緊張させ、遠ざけさせる。ユーリアンはあえてその障壁を自分から踏み越えに行ったようにも見える。
 なんで魔法使いたちは、自分からユーリアンに近づこうとしなかったのだろう。一度でも彼と会って話してみれば、誰だってその快活さに魅了されてしまうのに。

 すう、と冷たい風が流れ込んで来た。と共に、静かな衣擦れの音と重々しい気配が近づいてくる。目を向けたステファンは、思わず後ずさった。黒いドレスと円錐形の帽子を被った魔女が数名、こちらに近づいてくる。
「これは伯母上! お久しぶりです」
 オーリは自ら歩み寄って、懐かしそうに先頭の魔女の手を取った。
「元気そうね、オーレグ」
 まるで女王のごとく威厳のある態度でオーリの挨拶を受けた後、魔女は水色の目をステファンに向けた。この顔には見覚えがある。いつかオーリ宛に届いた『虚像伝言』の魔女だ。トーニャのような黒髪の半分は白くなっているが、年はまだ五十代といったところだろうか。オーリと背が変わらないほどの堂々たる体格といい、氷のような目といい、映像で見る以上の迫力だ。ステファンは恐くて動けなくなってしまった。
「この子は?」
「わたしの弟子です。ステファン、こちらはガートルード伯母、トーニャの母上だ。そして一族の魔女ゾーヤ、タマーラ、リンマ……」
 後ろの三人の魔女たちは随分小柄だ。老木のようなシワシワの顔を突き出して興味深げにこちらを覗き込む。
「は、はははじめまし、まし……」
 恐さと緊張で舞い上がったステファンがまともに挨拶の言葉も言い終わらないうちに、三人の魔女は歯の抜けた口をほころばせて取り囲んだ。
「んまあー可愛らしい。オーリャ(注:2)の小さい頃を思い出すねぇ」
「ステンカ、ひ孫と同じくらいの年だわ」
「こっちぃおいでスチョーパ、タルトはどう?」
 魔女たちはあっという間にステファンの腕を捕らえると、有無を言わさない迫力でデザートを盛ったテーブルのほうへ引っ張っていく。
「ひぃぃっ!」
 ステファンは助けを求めようとオーリを振り返ったが、彼はまだ伯母と話しこんでいる。その間にも三人の魔女は代わる代わる早口で話しかけてくる。大半は彼女らの母国語なのか意味がわからないが、どうやらテーブルのお菓子を取れ、とさかんに勧めているようだ。
 もとより食欲なんてないが、断るとどうなるかわかったものではない。仕方なくいくつか焼き菓子を皿に取って、顔をひきつらせながら口に運ぶと、魔女たちは満足そうに声を立てて笑った。その声さえ恐くて胃が凍りそうだ。それに悪意が無いのはわかるが、ステンカだのスチョーパだの、勝手な愛称で呼ぶのはやめてほしい。早くオーリの話が終わらないかな、と泣きそうな思いで、ステファンは二個目の菓子を口にねじ込んだ。

 オーリはといえば、伯母に連れられて来た別の魔女に挨拶している。随分若くて綺麗な魔女だ。少し話をしたところに、また別の魔女が挨拶に来る。数分のうちに、オーリは何人もの魔女と会話をしなければならないようだった。
 ステファンにもうすうす事情がわかってきた。これは一種のお見合いだ。厳しい監視役のように立つ伯母の傍で、オーリは苦役に耐えるような目をしている。三人の魔女にステファンを『拉致』させたのだって、邪魔者を追っ払うためだろう。
 若く美しい魔女たちは、やたら熱を込めた眼差しでオーリを見ている。話が終わった後も、魔女どうしお互いにけん制するように視線をぶつけ合う姿は、見ていて恐ろしかった。
 オーリは最初のうちこそ礼儀正しく挨拶をしていたが、次第にイライラした表情になってきた。
『もう充分でしょう、伯母上』そう口元が動いたかと思うと、魔女達には一瞥もくれず、大きな歩幅でステファンに近づいてくる。
「失礼。ちょっと所用がありますので」
 オーリはそう言って、ステファンの腕を引っ張り、三人の魔女から引き離した。
 助かった、そう思ってステファンは口の中に残った最後の欠片を飲み込んだ。これ以上あの魔女たちの勧めるままお菓子を食べ続けてたら、胃が砂糖漬けになってしまう。

 ステファンを引っ張ってテラスに出ると、オーリは吐き捨てるように言った。
「――なにが由緒正しい魔女だ、なにが血統だ! 化粧や宝石でいくら飾り立てたって、腹の中はきたない見栄と欲ばかりじゃないか。だから魔女は好かないんだ! ステフ、君にも多少は連中の心が見えただろう。エレインのほうがよっぽど高潔だ。そう思わないか?」
 一気にそれだけ言ってしまうと、腹立たしげに青い火花を敷石に投げつけた。
 そりゃ比べるほうがどうかしている、とステファンは思った。
 高く髪を結い上げ、思い切り襟の開いたドレスを着た魔女たちは、確かにぞっとするほど綺麗だ。けれどその『綺麗』と、エレインの『きれい』はまるきり違う。
 化粧なんかで飾らなくても、エレインの輝きには濁りが無い。おへそ丸出しの狩猟神のような格好で森を駆け回る姿を見ると、ステファンの脳裏にはいつだって太陽光のイメージが浮かぶ。太陽の光に勝てる宝石など、あるわけがない。

 広間の中では音楽が流れている。数人がダンスを始めたようだ。
「ぐずぐずしてたらダンスの相手までさせられそうだ。ステフ、そろそろ大叔父のところへ行こうか」
 オーリが懐中時計を取り出した時、広間の一隅がざわつき始めた。



(注:1)人面を持つ怪鳥のハーピーが王の晩餐の席に乱入して「よからぬもの」を撒き散らし、ご馳走を台無しにしたという伝説があります
(注:2)オーリャ=オーレグの愛称

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