20世紀ウィザード異聞

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  第八章 4  

 タキシードや燕尾服の紳士たちの中、大声でわめいている男が居る。口髭をたくわえた赤ら顔には見覚えがあった。
「あ、あいつ! 駅で竜人を苛めてたやつだよ」
 オーリにもそれは判ったようだ。無言でうなずき、厳しい目を髭男に向ける。
 が、男と対峙している相手を見てさらに顔を曇らせた。
「悪いがステフ、先に行っててくれないか」
 そして庭に面して続くテラスを示して手を伸ばした。
「大叔父の部屋は三階にある。広間は通らず、テラス伝いに行って四番目の部屋へ入るんだ。螺旋階段が見えるから、手すりの彫刻にこれを掲げて。そうすれば大叔父様の部屋までの道筋がわかる」
 オーリは手短に言いながら、内ポケットから光る物を出した。トーニャの家で見た水晶だ。ステファンは緊張した面持ちで水晶のペンダントを首に掛けた。
「四番目の部屋、らせん階段、わかりました。でも先生は?」
「すぐにユーリアンたちと合流する。これを」
 金色の火花と共に、オーリの手に『忘却の辞書』が現れた。ユーリアンが分解したままの形だ。オーリは銀髪を束ねていた黒い繻子の紐を引き抜くと、辞書がばらけないようにしっかりと束ねた。
「これは別に持っていたほうがいいな。内ポケットに入れておきなさい」
 最後に差し出されたオスカーの手紙をステファンがしまったのを見届けると、オーリは足早に広間に戻っていった。

「だから、場違いだといっておるのだ!」
 いささか呂律の回らない男の声に、人びとはダンスを止めて何事かと囁きあっている。壁の前の巨大な自動演奏器のみが、金銀の彫刻を揺らしながらワルツを奏で続ける。
 酒臭い息を撒き散らしてわめく男の前で、トーニャを庇うようにしてユーリアンが立っていた。
「おっしゃる意味がわかりませんね。失礼ですが、少しお酒が過ぎたのでは?」
 冷ややかな声で応じるユーリアンの純白の上着の背中には、赤い酒の染みが広がっている。
「黙れ、異国のインチキ魔法使いめが。今宵はイーゴリ老の祝いの席だというからこうして知事閣下をお連れしたというのに、お前のような輩が居ては興ざめだわい!」
 ユーリアンが何か言い返す前に、声を発した者がいた。
「お言葉ですが、彼の出身地はすでにこの国の一部では。それに彼自身優秀なソロフ門下ですし、夫人は初代ワレリー老の孫です。一族の者として、祝いの席に着くことに何の問題もないと思いますが?」
 銀髪の青年がいつの間にか背後に立って、髭男を見下ろしていた。長身から発せられる声は冷静だが、水色の瞳には怒りの色を浮かべている。
「ほう、驚いた。異国人がここにもか。北方の一族にはなんとも奇態な輩が揃っているものだな、え?」
 ざわっと周りの人びとが不快そうな反応をしたのにも構わず、髭男は太った腹を突き出して笑った。
「まあまあ、そう事を荒立てずとも。私は楽しんでおりますぞ、このような異国の徒と親しむのも座興でよろしいではないか。ときに奥方、ご主人は着替えが必要なようだ。その間私が一曲お相手など」
 知事と呼ばれた白髪の男は手を差し出した。片眼鏡の向こうから薄笑いを浮かべ、無遠慮にトーニャを見る。
「まことに光栄ですが閣下、御覧のとおり妻は身重ですのでダンスのお相手はとても……」
「いいえ、ここはお受けしなくては失礼というものですわ」
 トーニャは紅い唇をニヤと曲げて知事の手を取り、自動演奏器に呼びかけた。
「フローティング・ポルカを!」
 声に応えて、金属のタクトが宙に浮かんだまま揺れた。軽快なポルカの演奏が始まる。
 髭男と知事に不愉快な視線を投げながらも、魔女と魔法使いが中央に集まってきた。それぞれに床からふわりと舞い上がり、浮遊フロートしたままポルカを踊り始める。
「さあ、知事閣下。どうなさいました? こういうダンスはお嫌い?」
 緋色の衣装から手を伸ばしてトーニャは皮肉に笑っている。相手が魔力の無い普通の人間だということを承知の上で誘っているらしい。知事は目を白黒させて首を横に振った。
「慎みなさい、トーニャ」
 厳しい声と共に大柄な魔女が現れた。
「失礼しました閣下。躾の行き届いていない娘の、ちょっとした冗談ですわ」
「ガ、ガートルードどの! これは、こちらこそ失礼」
 知事は魔女と面識があったのか、慌てて一礼すると、逃げるようにその場を去った。
「さてと、サー・カニス。うちの娘婿が何か? それともダンスのお相手でもお探ですしかしら」
「い、いえ滅相も無い」
 カニスと呼ばれた髭男もまた、ガートルードを見て顔色を変えた。
「それは残念だこと。ではユーリアン、踊りながら話を聞きましょうか。その前に……」
 魔女はユーリアンを後ろ向かせると、何度か爪を弾いた。さっきまで赤い染みのできていた上着が、たちどころに純白に戻る。
「ありがとうございます、お義母さん」
 ユーリアンは微笑んで自分より頭一つ分背の高い魔女の手を取ると、オーリを振り返った。
 オーリはうなずき、髭男に鋭い一瞥をくれてから、トーニャを安全な壁際の席まで連れて行った。

「ほう、思い出したぞ」
 髭男はオーリを睨みながらつぶやいた。
「あの銀髪は駅に居た若造だな。あの時はよくも恥をかかせてくれた」
 ダンスに加わる人の数はますます増えてきた。賑やかな曲と歓声が飛び交う中で、オーリは何か嫌なものを聞いたかのようにピクと反応した。
「今なら母に叱られないわよ、遠慮せずに行ってらっしゃい。ここで見ててあげるから」
 トーニャは何かを期待するようにニヤリと笑った。
「相変わらず過激だね、わが従姉どのは。別に喧嘩をするつもりはない、そのくらいの分別はあるよ」
「でも、向こうから挨拶に来たら?」
 フローティング・ポルカの輪を縫うように髭男はこちらに向かってくる。しつこい奴だ、とつぶやいて真っ直ぐ相手に近づいてゆく従弟の背中に、トーニャは楽しそうに手を振った。

 カニスはフン、と口髭を揺らし、テーブルに近づいて再びグラスを手にした。オーリもそ知らぬ顔でグラスを取り、隣に立つ。
「オーリローリ・ガルバイヤン、思い出したぞ。この一族には確かそんな別名を持った絵描きが居るらしいな」
「これは光栄です、カニス卿。わたしのほうはご高名をちっとも存じ上げなかったというのに」
 嫌味たっぷりにそう言うと、オーリは杯を掲げた。
「そうとも『サー』だ! この称号を得るために苦労してきたんだからな。貴様ら移民には分かるまい?」
「分かりたくないですね。称号なんて我々には無用な飾り物だ。自由な立場で居られるからこそ『魔法使い』なんだ。そうじゃないですか?」
 オーリの目は壁の照明を受けて冴え冴えと光っている。
「その『無用な飾り』こそが力なのだ。君ら絵描きだってそうだろう、コンペで賞を欲しがらない者が居るかね? 画壇で名を上げたいと思うのは、なぜかね? 結局のところ、画商に少しでも高く買わせた者が勝ち、だからだ。世の中とはそういうものだろう」
「あなたは何もご存じない」
 オーリは『軽蔑』の言葉がはっきりと読み取れる顔を見せた。
 音楽は流行の曲に変わっている。浮かれた曲調に場違いな表情で、二人の魔法使いは睨みあった。
「ときに、あの少年はどうしました? あなたに虐待されていた、竜人の少年は?」
「ははあ、虐待とはまた大げさな。牛馬に鞭打つのと同じ、飼い主としての正当な行為に過ぎん。まあとうに売り飛ばしたがね」
「売った、だと?」
 オーリの眉がぴくりと動いた。
「そうとも。タダで管理区にやることもあるまい、炭鉱や港ではまだまだやつらの需要はあるからな。だがこれからは科学万能の時代だ、我輩には竜人の力などもう要らん。奴らを売った金でいくらでも新しい技術を買って、古くなれば使い捨てればいい。電気機械は文句を言わんからな」
「あなたは、自分が何をしたかわかっているのか!」
 カニスを睨むオーリは拳を震わせている。銀髪の周りで青白い火花が飛び交い始めた。
「おいおい、何を怒る? 誰でも考えることだろう」
「科学万能だって? では竜人と同じように、魔法使いであるあなたが『必要ない』と言われる日は近いな。契約をカネに換えるだって? ソロフ門下なら決してそんな考えは持たないだろう。竜人との契約は、お互いの尊厳を賭けた神聖なものでなければならないはずだ!」
 カニスは呆気にとられたようにオーリの顔を見ていたが、やがて腹を揺すって笑い出した。
「これは傑作だ! ソロフ門下はいまだにカビの生えた美徳を守っとるというわけか。なるほど君が連れていた美形の竜人なら、別の使い道もあるだろうしな、フフフ。おい、聞くところによると竜人はトカゲのように卵から生まれるそうだが、あの美人もそうかね? いっそ試してみるがいい、人間と竜人の交配種は……」
 鈍い音を立てて髭男がふっとんだ。オーリの右ストレートが顔面にめりこんだのだ。 
「それ以上口を開くと『座興』では済まなくなるぞ!」
 オーリの全身はいまや火花ではなく放電光に包まれ、目は恐ろしい色に光っている。
 ダンスの熱が最高潮になっている人びとが見向きもしない中、青ざめたカニスはテーブルの隙間に逃げ込もうとした。
 ピュイ、と口笛を鳴らしてユーリアンが近づいてくる。
「パートナーチェンジだ、オーリ」
 ユーリアンは、オーリの腕を引っ張ってガートルード伯母のほうへ押しやった。
「ああもうひとつ言っておこう。わたしの守護者には美しいヘソがある。つまり胎生だ。卵などでは生まれないんだ、竜人は!」
 オーリはまだ言い足りないようだったが、伯母に引っ張られてダンスの渦の中に紛れていった。
「ぶ、無礼な……」
 鼻血を流す髭男の前に、スッと白いハンカチが差し出された。
「どうぞこれを。それよりカクテルをご一緒しませんこと?」
 トーニャがグラスを手に小首を傾げて微笑んでいる。ぶつぶつ言いながらカニスはハンカチで顔を抑え、おやという表情をした。
「これは……この匂いは……」
 途端に惚けたような顔になり、両手をぱたりと床に落とす。
「あら、お気に召さなくて? ほんの少し、香水を沁みこませてただけなのに。それとも忘れ薬だったかしら」
 トーニャの紅い唇が三日月の形に微笑む。
 恐いこわい、と首をすくめて、ユーリアンはカニスを壁際まで引きずって行き、天使像の下に座らせた。天使像の怪物は目だけじろりと髭男に向け、喰うに値するものかどうかと観察し始めた。
 でっぷりとした腹のまわりに短い手足のついた様は、服を着たローストチキンのようだ。もちろんユーリアンは、カニスの頭にパセリを飾っておくのを忘れなかった。

 ダンスの波に押されながら、オーリはじっと目を閉じて立ち尽くしていた。
 伯母の小言と音楽の渦と。
 その中でようやく目を開いた時には、放電の光も恐ろしい目の光も消え、彼は思い出したように手を押さえた。
「あ痛っ……今頃になって利いてきた。魔法以外で人を攻撃したのは久しぶりですよ。フフ、結構痛いものですね」
「カニスのような小物相手に野蛮な真似をするからですよ。見せなさい!」
 伯母はオーリをダンスの輪の外に出すと、腫れた右手を見た。
「まあ、指の骨にヒビが入ってるじゃないの。画家のくせに手を傷めてどうするのです、まったくこの子は」
 魔女の口元がぶつぶつと動き、手の上に長く息を吹きかけた。たちまちに腫れは引いていく。オーリは指を曲げ伸ばして微笑んだ。
「相変わらず見事な治癒魔法だ。子供の頃から何度これで助けてもらったかな」
「えーえ、この甥には悩まされましたとも。身体は弱いしソロフのところから何度も泣いて帰るし……おまえが無事に成人した時には後見人としての役目もこれで終わると、どんなにホッとしたことか。なのに未だにこうやって手を煩わせるのだから」
「申し訳ありません、伯母上。どこの一族にも出来の悪い者が一人くらいはいるんですよ」
 ガートルードは、今は亡き妹と同じ瞳をした甥を見て、諦めたようにため息をついた。
「まったくああ言えばこう言う。せめて早く花嫁を迎えなさい、少しは大人になれるでしょうから」
「ご心配なく。心に決めた人なら居ます」
 オーリは窓の外の遠い星空に目をやった。
 
 曲はゆったりとしたワルツに変わっている。治してもらったばかりの手を差し出して、オーリはうやうやしく頭を下げた。
「では伯母上、改めて一曲お願いできますか?」
「調子の良い子だこと。ステップは心得ているのでしょうね? ユーリアンより下手だったら遠慮なくお尻を叩きますよ!」
 伯母は水色の目でひと睨みして、それでもオーリの手を取り、優雅に舞い始めた。
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