20世紀ウィザード異聞

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  第八章 5  

 オーリから託された辞書をしっかりと抱きかかえ、ステファンは庭伝いに四番目の窓に向かった。
 磨きこまれたガラスの向こうは、賑やかな広間とは対象的な、しんとした吹き抜けの階段ホールだ。黒いアイアンレースの手すりが美しい螺旋階段が目に入る。上り口では乙女の姿をした彫刻が天を指差していた。
 中に入ろうとしたステファンは、窓に鍵が掛かっていることに気付いた。
「嘘! こんなのないよ、先生」
 ニ、三度むなしく窓を揺すった後、ガラスに顔をくっつけて鍵の具合を見てみる。縦長い掃きだし窓は、中央に一つ、ステファンの背丈よりずっと高い場所に一つ、簡単な掛け金式の鍵が付いている。もっとも、上のほうは錆びて外れているようだが。
「どうしよう。先生なら、こんなの簡単に開けちゃうんだろうけど……」
 開錠なんて初歩の魔法、以前にオーリはそう言っていた。けれど、ステファンはその『初歩』すら知らないのだ。もう一度広間に帰って別の入り口を探してみようか、とも思ったが、広間はあの髭男のことでもめているに違いない。恐ろしい三人の魔女につかまるのも面倒だ。
――ひょっとして、ぼくにもできたりしないかな。
 ステファンは窓を見つめて唾を飲み込んだ。鍵は簡単な作りだ。掛け金を持ち上げさえすれば……
「やってみれば?」
 突然後ろから声を掛けられて、ステファンは飛び上がった。誰も居ないと思っていたのに、いつの間にか少年が一人、芝生の上からこちらを見ていた。年の頃はステファンと同じくらいだろうが、襟の高い黒い服に身を包み、長い金髪をきっちり分けた姿はずっと大人びて見える。
「あ、ええと、ぼく……」
 ステファンはわけもなく焦った。別に悪い事をしていたわけではないが、なんだかいたずらを見咎められたような気分だ。
「でも普通の『開錠』くらいじゃ入れないけど。その鍵、トラップなんだ」
 少年はステファンになどお構いなしに窓を指差した。カチリと音がして、掛け金が外れるのが見える。少年が少し窓を押すと、途端にカーテンのドレープが崩れ、重量感のある分厚い布がガラスの向こう側に垂れ下がった。
「ほらね。知らずに入ろうとすると、あのカーテンにつかまるよ。別にケガはしないけど、きっとパーティが終わるまで離してもらえない。あいつ退屈してるんだよ、ずっとここで番をしてるだけから」
「え、そ、そうなんだ。ありがとう……って君、もしかして魔法使い?」
「そうだよ。君もだろ?」
 怪訝けげんそうな少年の顔を見て、ステファンは自分の間抜けな言葉を恥じた。確かに、今日がどんなパーティかを思えば、自分以外にも子どもの魔法使いが居ても不思議ではない。広間では気付かなかっただけかも知れないのだ。
「すごいな。ぼくなんかまだ、見習いっていうか……七月から始めたばっかりで、杖も持ってないし」
 簡単に『開錠』の魔法を使って見せた相手を前にして、ステファンは気後れを感じた。
「ふーん、見習いか。でも杖なんて本当は必要ないかもしれないよ。要は、自分が何をしたいかってことさ。君は、ここで何をしようとしてたの?」
 少年の言葉に、ステファンは自分のするべき事を思い出した。
「ぼく、大叔父様に会わなきゃ。ね、あの階段のところまで行けないかな?」
「階段に用があるの?」
「そうじゃなくて、大叔父様に会うにはあの彫刻に道を教えてもらわなくちゃいけないんだ」
「ああ、大叔父様ってイーゴリのことか。君、彼の何?」
 ぼくは、と言い掛けてステファンは不審な目で少年を見返した。大叔父様の名がイーゴリなのは初めて知ったが、えらく気安い物の言い方をするこの少年こそ、何者だ?
「ぼくはステファン。オーリ、じゃなかった、オーレグ・ガルバイヤン先生の弟子だよ。君こそ、誰?」
「ああ、オーレグ、なるほどね。この窓のトラップのこと、知らなかったはずだ。イーゴリの部屋に行きたいなら、直接行く方法を教えてやればいいのに」
 少年に可笑しそうに言われて、ステファンはむっとした。
「だから君、誰? 直接行く方法って、わ、わわっ」
 突然身体がふわりと浮き始めた。同じく少年も宙に浮きながら、ステファンの腕をつかむ。
「フローティング・ポルカだよ。広間から聞こえるだろ? 教えてもらってないの?」
「だからぼくはまだ見習いで、ひぁああ!」
 浮遊どころか急に高く舞い上がりながら、ステファンは目を回した。腕の中の辞書だけは必死に落とすまいとしたが靴が片方脱げて落ちてしまった。
「ドジだな。そら、ガーゴイルに掴まって!」
 夢中で左手を伸ばし、軒下から突き出した冷たい石像にしがみつく。
「イーゴリの部屋はこの真上、三番目のガーゴイルの下にある窓から入るんだよ。じゃ、あとは自力で頑張るんだね」
「自力でって……ちょっとーっ!」
 石像にぶら下がって慌てふためくステファンをよそに、少年の姿は消えていた。

 なんでこんなことになってしまったのだろう。

 醜悪な石のガーゴイルにしがみつきながら、ステファンは必死に足をばたつかせた。利き腕とはいえ、左腕だけでぶら下がるのにも限界がある。幸い靴の脱げたほうの足が、壁の凹凸に引っかかった。なんとかそれを足掛かりにして体勢を立て直す。が、さっきの少年が示した窓を見上げてまた愕然とした。
 ここは一階の窓の上だ。大叔父様の部屋は三階。暗い石造りの壁面には、各階の窓の上にそれぞれ一体ずつガーゴイル像が突き出している。二階のやつは顔が欠けた鳥、三階のは翼を持つ獅子の姿だ。けれどそこまで辿り着くのだってもう足掛かりになりそうな場所は無いし、どうやって上れというのだろう。
 一度降りようかと下を見たが、足が震えた。一階部分が天井の高い造りになっているためか、今居る場所は結構な高さがある。あまり運動神経が良いとはいえないステファンが硬い石のテラスに飛び降りたりしたら、足を折るかもしれない。
 どくどくという自分の鼓動と呼吸音ばかりが妙に大きく聞こえる。それをあざ笑うかのように、広間からは軽快な音楽と楽しげなさざめきが流れてくる。 
 こんなところで独り、暗い壁に取り付いたまま降りることもよじ登ることもできずに震えている自分がひどく間抜けに思えた。
 どうしよう……どうしよう……どうすればいい?
 ステファンは泣きそうになりながら目の前のガーゴイルを見つめた。
 オーリの庭に居た奴は豚っ鼻のコウモリみたいな愛嬌のある姿だったが、こいつは悪魔のような恐ろしげな顔をした怪鳥だ。大体ガーゴイルなんて屋根から水を吐き出すための雨どいに付いているのが普通なのに、なんだって窓に付いているのだろう、こんな恐い姿をして。
 
 まてよ。
 ステファンの脳裏に、オーリの言葉が浮かんだ。
――オスカーが内緒で飼っていたガーゴイル――
『飼っていた』つまりただの石像などではなく、生きて動いていた、ということだ。実際そいつはオスカーの手紙を運んで、『事切れた』。
 死んだり幽霊になったりできるのは、命を持つものだけだ。
 今、宵闇の中に白々と浮かび上がる醜悪な顔は、どこから見てもただの石像だが、ここは魔法使いの屋敷だ。食べ残しを飲み込む天使像や侵入者をつかまえてしまうカーテンがあるくらいだ、ひょっとしたら……
「あのさ、君、もしかして動いたりできる?」
 遠慮がちに訊いたステファンに、ガーゴイルはギロリと目を向けた。
「―― 命令セヨ」
「しゃ、しゃべった!」
 口も動かさずしゃべる石像に度肝を抜かれて、危うく手を離しそうになった。
「命令セヨ。ワレニ使命ヲ与エヨ」
 ガーゴイルは繰り返した。
 ステファンは夢中で体勢を直し、ガーゴイルの背にしっかりとつかまった。
「ぼくを、大叔父様……ええと、イーゴリの部屋まで連れてってくれる?」
 何も反応が無い。ステファンは息を吸い込み、大きな声で言い直した。
「あの三番目のガーゴイルの下まで、飛べ!」
 ぶるぶるっと振動が起きた。硬い石で出来たはずの翼が広がる。それは羽ばたきもせず、いきなり垂直に舞い上がった。二番目の顔の欠けたガーゴイルを追い越し、三番目へ。一呼吸のうちに、ステファンは三階の窓に到着した。

「来たか、オスカーの息子よ」
 開いた窓の内側から大きな人影が迎えた。室内の明かりに目が眩んでいるうちに、その人はガーゴイルの背中からステファンを抱き取った。
「あ、あのう……?」
 面食らっているステファンを高く抱き上げたままで、その人は豪快に笑った。
「見たか、イーゴリ。こいつはオーレグより優秀だぞ!」
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