20世紀ウィザード異聞

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  第九章 3  

「大叔父様、あなたはいつもそうだ。謎かけのような言葉に逃げて断言することをしない。いにしえの賢者の口ぶりでも真似てご自分を権威づけてるつもりか? 不愉快だ!」
「オーリ、言いすぎ。失礼よ」
 トーニャにたしなめられてオーリは一度言葉を切ったが、ステファンの顔を見て再び口を開いた。
「ある日突然父親の存在が消える、それが子供にとってどんなにショックな事か、わかりますか? 死別ならまだ諦めもつく。だが生死も分からない、行方も分からない、そもそも『なぜ居なくなったのか』という疑問にすら、誰も答えてくれない。毎日どれだけ不安な状態と戦わねばならないか、わかりますか? それでもほんの少しでも手掛かりが見つかるならと、この子は懸命に大叔父様を頼って来たんです。それを――」
「ふむ、オスカーの話をしておるのか、それともオーレグよ、お前の父親の話かの?」
 ピシ、と音を立ててオーリの青い火花が散ったように見えた。だがそれはステファンの錯覚に過ぎず、実際は刺すような眼差しがイーゴリ大叔父に向けられただけだった。ソロフが両手を肩の位置で開いておどけるように言う。
「そう苛めるな、イーゴリ。わが弟子は忠告を早速聞き入れて大人しくしている。素直なもんじゃないか」
「ではその素直さに免じて先程の非礼は許そうぞ。ソロフ、手短に説明してやってくれぬか」
 まだ鋭い目を向けたままのオーリには構わず、イーゴリは目も口も閉じてだんまりを決め込んでしまった。 

「よろしい、では久々の講義といくか」
 ソロフ師匠は銀色の目で一同をぐるりと見渡した。手にはいつの間にか古い黒檀の杖が握られている。
「さて、弟子たちよ。事を成すには時の試練というものが必要な場合がある。オスカーの手紙を見るがいい、文字の外に何が見える?」
 皆の視線が一斉にテーブルの上に注がれた。もう何度読み返したかしれない、薄黄色の紙片をじっと見つめながらステファンが答えた。
「焦げ跡、です。メルセイの熱針で焼き切ったところ」
「それもあるな。ではその熱針の材料となるものは?」
「電気石の一種です。普通は圧力や熱を加えることによって電気を発生しますが、(注:)ごく稀に落雷を受けさせることによって高熱を発する結晶があり、この性質を利用して鉱物針を研ぎだすことができます」
 よどみ無く答えたのはユーリアンだった。
「その通り。では訊く、その電気石を抱く鉱物とは?」
「花崗岩……あ!」
 言いかけたオーリが目を見開いた。
「そうだオーレグ、お前の住むリル・アレイでかつて切り出していた花崗岩から熱針の材料は採られた。あの村は強い磁場を持つ断層の上に有るゆえに、古くから魔法使いや魔女が好んで住み着いた場所であった。そして竜人たちには悲劇の場でもあったな」
 ステファンの脳裏に、岩の中に封じられた竜人たちの顔がよぎる。
「オスカーは魔道具の小さな針一本から材料の採石地を調べ出し、竜人たちの悲劇を知り、そして私やイーゴリの元へ辿り着いた。まるで絡まった糸を手繰るようにしてな。ふふふ、面白い奴だ。そしてもうひとつ、重要なことがある。わかる者?」
 黒い杖が手紙を指し示す。
「待って……そう『罫線』よ。これには最初から違和感があったの。これってただの罫線じゃなくて、特別な意味が有るのではないかしら」
「よく気付いた、魔女アントニーナよ」
 満足そうにうなずいて、ソロフは紙片を手に取った。
「この十二本の罫線、これはおそらく『時』を象徴するものだ。オスカーが巡らねばならない時間の長さなのか、それとも――」
「時間の? じゃあ」
 ステファンは懸命に考えを巡らせた。
「お父さんが居なくなってからもうすぐ二年だから、十二時間でも、十二ヶ月でもないよね……まさか、十二年も帰って来られないって意味ですか?」  
「そうとは言ってない。そんな絶望的な顔をするな」
 ソロフが目を向けて微笑んだ。
「この紙を辞書の表紙見返しとして使うことによって、辞書の本体に書かれた言葉は守られていた。だがその片方が切り取られ、守りが失われたとなると、辞書に書かれた言葉の魔力はバランスを失って暴走し、最悪の場合、術者を飲み込むことになろう。オスカーはそれを覚悟した上で、帰る道しるべとして十二本の線を書き残したとも考えられる。その代わり、切り取られた紙片に書かれた言葉は強力な守りと拘束力を得たはずだ。そうだな、オーレグ」
「手紙に拘束力など無くても、わたしはオスカーの願いを叶えるつもりでした。現に、そこに書かれた二年という期限を待たずにステファンを迎えに行ったんだ。ではオスカーは、やはり辞書の中に?」
 沈痛な表情のオーリの隣で、突然ステファンが悲鳴を上げた。
「どうしよう! ぼくとお母さん、魔法を解いて辞書の文字を消しちゃったんだ。お父さんも一緒に消えちゃったかも!」
「慌てるな、どうもお前さんは早とちりすぎるな」
 苦笑いをしながら、ソロフは椅子の上のイーゴリに向き直った。
「どうだイーゴリ、まだ起きていられそうか?」
「むろん。お前の力を見届けねば、な」
 大叔父イーゴリは、茶色い目らしき場所を片方だけ開いて、ニィと気味悪く笑った。
「さて、では」
 ソロフは部屋の中央に立つと、足元に辞書と手紙を置き、杖でトン、と床を突いた。床に金色の紋様が浮かび上がる。一同はさっと飛びのいて、その様子を固唾を呑んで見守った。
「オスカーが今どこに居るかは判らぬ。書き記した十二という数がどういう単位の時間を示すのか、または別の意図があるのかもな。だが辞書の守りが解かれた今なら、彼の意識にまで辿り着けるかも知れぬ。やってみよう」
 足元の紋様は眩いほどに強い光を放ち、ソロフの髪が逆立つ。
「しっかり見ておくんだ、ステフ」
 ステファンの両肩に手を置きながら、背後に立つオーリが緊張した声でつぶやいた。
「あれが、本物の同調魔法だよ。師匠は今、わずかに残った手掛かりを手繰ってオスカーの意識に繋がろうとしているんだ」

 金色の光の中でソロフは目を閉じ、水に潜るように意識を集中している。
 深く。深く。さらに深く。
 やがて光の中に、人間の輪郭のようなものがおぼろげに現れ始めた。
「お……父さん!」
「オスカー!」
 二人の叫ぶ声が、同時に部屋に響いた。

(注:)『電気石』は実在しますが、『落雷を受けさせることによって云々……』というのは、もちろん作者の勝手な創作です!
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