20世紀ウィザード異聞

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  第九章 4  

 光の中の人物は次第にはっきりとした像を結びだした。少し癖のある黒髪、彫りの深い顔立ち。ステファンに似た鳶色の目が、驚いたように見開いた。
「ステファン……ステファンか?」
「お父さんっ!」
 駆け寄ろうとしたステファンをオーリが捕らえた。
「だめだ、ステフ。オスカーもそこで止まれ!」
「どうして!」
 ステファンは必死に腕を振りほどこうともがいた。
「だってお父さんだよ、あんなに探したんじゃないか! そこに居るんだ、離して先生! お父さんのところに行くんだ!」
「そこに見えるのはオスカーの『意識』だ、実体じゃない。それに同調魔法では対象に触れちゃいけない。でないと、術者の意識がこちら側に戻れなくなる。君だってファントムに助けられただろう!」
「落ち着きなさい、ステファン」
 オスカーの声に、ようやく我に帰ったステファンは暴れるのを止めた。
「……お父さん、本当にそこに居ないの? だって話ができるよ。前にぼくが同調魔法使った時は、ぼくの声はお父さんに聞こえてなかったのに」
「それは、君の同調した対象が日記の中の『思い出』つまり過去の時間だからだ。けど今見えているオスカーはわたし達と同じ時間の上に居る。そうだな? オスカー」
「ああ、そのようだ」
「無事なのか? そこはどこだ?」
 まだステファンをしっかり押さえたまま、オーリの声は震えている。
「今は答えられない。君たちの居る世界ではない、とだけ言っておこうか」
 オスカーの鳶色の目が悲しげに微笑んだ。
「杖を持つ魔法使いと違って、僕のような者が魔道具を使うとなると、いろいろ制約があってね。口外できないことも多いんだ――ソロフ師の意識を間近に感じる――そうか、これが同調魔法なのか。息子がそこに居るということは、あの手紙に託した願いを君が聞き入れてくれたということだね。感謝する、オーリ」
「なにが感謝だ、あんな手紙じゃ何もわからない。皆をどれだけ心配させたと思う!」
 オーリは銀髪を振り、怒りを抑えきれないように言った。
「こんなことなら、忘却の辞書なんて貸すんじゃなかった。オスカー、君はこうなることを覚悟の上で辞書を使ったのか? まさか帰らないつもりじゃないだろうな」
 オーリの問いには答えず、鳶色の目はただ懐かしそうに友人や息子を見ている。
 ステファンの腕を掴むオーリの手に、痛いほどの力が込められた。すぐ目の前に姿が見えるのに、手を取ることすら出来ない悔しさをこらえているのは自分だけではない、とステファンは気付いた。
「離してください、先生」
 ステファンは涙を浮かべてはいたが、落ち着いた声で言った。
「大丈夫、お父さんには触れないよ。ただもうちょっとだけ、近くで顔を見させてください」
「ステファ……」
 オスカーの手がピクと動いた。久しぶりに会えた息子を抱きしめたいのに違いないが、拳を握り締め、かろうじて押さえている。父と息子は手を差し伸べ合うこともなく、お互いの顔を見つめて向かい合った。
「大きくなった。男の子らしい顔になってきたな、ステファン」
「ぼくは相変わらずチビだよ。お父さんは、ちっとも変わってない。最後に見た時のまんまだね」
 ステファンはかなり無理をして笑顔を作った。いつか、オーリがそうしていたように。
「ああ、そうだな。ここでは時が流れていないから。空腹も、疲れも感じない奇妙なところだ。敢えて言うなら、時空の間隙、とでもいうのかな」
「オスカー、なんでそんな所に行っちまったんだ? なんとか出られないのか?」
 ずっと黙っていたユーリアンが、たまりかねたように声を掛けた。
「君は……ああ、ユーリアンだ。それと、トーニャ? 驚いた、二人ともあんまり綺麗なんで人形かと」
「冗談言ってる場合かよ、自分の状況を心配しろ。相変わらずだな、この男は」
 ユーリアンは笑おうとしてできず、視線を逸らした。
「お父さん、ひとつだけ教えて。ぼくが魔力なんて持って生まれたたから、お母さんとケンカになっちゃったの? もしそうなら、ぼく家では二度とあんな力使わない。いい子でいるように努力するよ。だから、帰ってきて。お母さんのために帰ってきてあげて!」
「ステファン、それは違う」
 オスカーは首を振った。
「お前はいつだっていい子だった。いや、子どもは皆、この世に無事に生まれたってだけでもう充分に『いい子』なんだよ。悪いのは、お父さんなんだ。いつも夢ばかりを追いかけて、遠い過去の世界ばかりを見て、現実に目の前にいる人を大切にしてこなかった。忘却の辞書を使ったのも、お母さんの心を病ませてしまったことへの、せめてもの罪滅ぼしなんだよ」
「お母さんは、病んでなんかいないよ。ごめん、せっかくお父さんが掛けた魔法だけど、なんかぼくとお母さんで解いちゃったみたいなんだ。でももう泣いてなんかいないはずだ。自分から伯母さんと話し合いに行くくらい、お母さんは元気になったんだよ!」
「ミレイユが? そうか……良かった」
 オスカーは目を閉じ、安心したように微笑んだ。

「もう、あまり時間は無いぞ」
 ソロフの顔が苦しそうに歪んできた。
「待ってください師匠。オスカー、あの十二本の罫線の意味するものは何だ? もう辞書の魔法は解けているんだ、君が戻るためにこっちから働きかけることはできないか?」
「残念ながら、その問いにも答えるわけにはいかないな。だが僕は必ず帰る。それまで息子を頼むよ――ああ、視界が薄くなってきた。ステファン、いいかい、いつも顔を上げるんだよ。自分の力に誇りを持つんだ。ミレイユに伝えてくれ、ずっと愛していると。けどこれからは自分の幸せのために生きて欲しいと。オーリ、大切なものからは決して手を離すな。そしてユーリアン、トーニャ。子供は、希望そのものだ。きっと――」
 そこまでしか声は聞こえず、オスカーの姿はかき消えた。
「待って、待って、お父さんっ!」
 夢中でオーリの腕を振りほどいたステファンは、オスカーの残像を捕まえようとするかのように、むなしく空間に手を伸ばした。

「フフ……フ、ちと無理が過ぎたな」
 ソロフの身体がぐらりと傾く。
「師匠!」
「ソロフ先生!」
 同時に駆け寄ったオーリとユーリアンに両側から支えられ、老いた魔法使いは深々と椅子に身体を沈めた。
「オスカーめ、自分の言いたいことだけいいおって。私やイーゴリへの礼は無いままか……」
 ソロフは荒い息を吐きながら、それでも満足そうな目をしていた。
「先生、ご無理をさせてしまいました。オスカーに代わって感謝します」
 オーリは目をしばたたかせながら、老師匠の両手をしっかりと握った。

「ステファン?」
 トーニャの手が背中に触れて、我に帰ったようにステファンは目をぬぐった。
「お父さん、必ず帰るって言ってたよね」
「ええ、そうね」
「ぼくのこと、いい子だって言ってくれたよね?」
 振り向いたステファンは、もう泣き顔などではなかった。
「もちろんよ。皆、そう思ってる」 
 ステファンはトーニャに笑顔を向けると、部屋を横切り、ソロフの白髪頭に飛びついた。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう! お父さんに会わせてくれて。ぼく、何て言ったらいいか――とにかくありがとうございます! 先生の先生、やっぱりすごいや。大叔父様も、ありがとう!」
「ふははははっ」
 ソロフはステファンの頭をなでながら、心底嬉しそうに笑った。
「見たか弟子たちよ、これが本物の『童心』だ。このくらい真っ直ぐに自分を表してみよ。どんなにか生き易くなるだろうに。なあイーゴリ、そうは思わんか?」
 椅子の上の茶色いイーゴリは、答えない。どうやら眠りについてしまったようだ。

「師匠も少しお休みになったほうが……」
「そうだな。では今日最後の講義だ。座りなさい、弟子たちよ」
 ソロフの言葉に全員が居ずまいを正してソファに座った。
「オーレグ、お前が指摘したようにオスカーは今、過去でも未来でもなく、我々と同じ時間の上に居る。だがその一方でこうも言っていた。『ここには時間が流れていない』とな。さて、これがどういうことか判る者?」
 一同が戸惑って顔を見合わせる中、オーリが口を開いた。
「以前オスカーと議論したことがあります。時間とは静かに流れる川の水のようなものだ。けれどそこに舟を浮かべて乗り込んだら? 中の人間は『川と共に流れている』が『舟の中で同じ状態を留めている』とも言える。つまり――そういうことですか?」
「おおむねその考え方で正しい。オスカーの息子、言っていることが判るか?」
「わかんない」
 ステファンは正直に答えた。
「ではもっとはっきり言おう。オスカーはおそらく、過去と現在を自由に行き来する能力があったのだろう。舟に守られたまま、川を遡ったり下ったりするようなものだ」
「まさか!」
 ステファンが叫ぶ隣で、オーリが眉を寄せた。
「いや。うすうすわたしもそう思ってはいた。彼は時々過去の出来事を実際に見てきたように克明に話していたからな。もしそれが自分の身内に関する重大な出来事なら、過去を変えてしまいたい思いに駆られるかも……」
「おいおい! 大変なことをさらっと言うなよ」
 ユーリアンが頭を抱えた。
「過去を観る能力を持つ者は確かに居るよ。けどそれは同調魔法に近い力だ。観ることはできても、干渉するのはタブーだろう。オスカーはそのタブーを犯して過去の何かを変えようとしたとでも?」
「推論ばかりしててもしょうがないな。でももしそうだとしたら、彼が今の状態になったのは辞書のせいばかりじゃない……?」
 沈痛な空気が流れる中、パン、パン、と手を叩く音が響いた。 
「ふふ、時の試練とは面白いものよ」
 ソロフは疲れた顔をしながらも誇らしげに弟子達を見回している。
「手のかかるヒヨッコも一人前にものを考えられるようになったな。大丈夫、オスカーは戻ってくるとも。それを信じて待つのもまた『試練』だ。わかるかな」
 皺だらけの大きな手がステファンの肩に置かれた。
「でも、いつまで?」
「はっきりとは断言できぬが、そう遠い未来ではなかろう。さっき彼の意識と繋がった時、戻ろうとする明確な意思を感じたからな。これは一種の時限魔法かも知れぬ。オスカーのことだ、無鉄砲な若造のような魔法は使うまい。何らかの条件を付けてこちら側に戻る方法は確保しているはずだ」
「……じゃあ、待ちます。ソロフ先生が言うんだもの、信じなきゃ」
 ステファンが神妙な顔をしているのを見て、ソロフは笑いながら手を振った。
「まだ不安かな。よろしい、ではお前に良い物を与えよう。何か書くものを」
 ソロフに促されて、トーニャが小机にあった紙とペンを差し出した。皺だらけの指が走り、幾つかの文字が記されてゆく。
「先生、これは?」
「なに、ただオスカーをしゃべらせておくだけというのも癪なのでな。奴の意識と繋がったついでにちょっと見えたものを記憶しておいたまで」
 老師匠は走り書きの紙片をステファンに渡した。
「ええと……『外なる鍵と内なる鍵、十二の魔の目といまだ開かざる目、五つの十二に時は満ちなん』って、すみません、これ何かの詩?」
「さてな。詳しくは解らぬ。何しろこっそりオスカーの頭の中からくすねた言葉だからな。帰ってからよく思索せよ。この年寄りからの宿題だ」
 ソロフは悪戯っぽく肩をすくめてみせた。
 またひとつ謎が増えちゃった、と思いながらも、ステファンは紙片を手紙に重ねて大切にしまった。

「ときに、オーレグよ。お前の父シウンとオスカーは、似たところがあるな。お前はオスカーに自分の父親を重ねて見ていたのではあるまいな?」
「それはないです、ソロフ先生」
 オーリは苦笑した。
「確かに共通点はあります、魅いられたように遺跡の研究に没頭して、家庭を顧みないところとかね。ですがわたしの父はただの壁画絵師です。東洋人ということもあって祖父や大叔父には随分嫌われていた。オスカーのように魔力でもあれば受け入れてもらえたのでしょうが」
「え、先生のお父さんって魔法使いじゃなかったの?」
 驚くステファンに、オーリは悲しげな目を向けた。
「ああ。絵が描けるという以外これといって特別な力の無い、ただの男だよ。わたしが五歳の時にこの国を追われたというから、あまり覚えてないんだけどね」
「それについては少し訂正しておこう」
 ソロフが手を挙げた。
「お前は自分の家族が離散することになった原因を、イーゴリのせいと思っているようだがな。あの絵師の才能を惜しんだゆえに国外に脱出させたのは、お前の母オーリガだ。お前も知っておろう、二十年前に魔法使いがどういう扱いを受けていたか。魔力を持たぬ彼にまで我々と同じ荷を負わせるわけにはいかぬと、オーリガは考えたのだ」
「母が? そうなのですか?」
「私は覚えているわよ、オーリャ」
 トーニャが幼名で従弟に呼びかけた。
「叔母様は言っていたわ。『シウンは壁に心を刻み、私は息子に心を遺す。いつか時が満ちる日、オーレグは全てをわかってくれるはず』とね」
「時が満ちる日……」 
 オーリは唇を噛んで自分の手を見つめた。ソロフがうなずきながら、歌うように言う。
「時の試練とはまことに、不可思議で面白いものよ。あたかも巨大樹の成長を見守るがごとし。時代は変わった。魔女も、魔法使いも、これからは魔力だけに頼るのではなく、どう生きてゆくかが問われることとなろう。さあ、弟子たちよ、私の講義は終わりだ。あとは各々が自分の進むべき方向を見誤らないことだ」
 語り終えると、満足そうにソロフは目を閉じた。

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