20世紀ウィザード異聞

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  第九章 5  

 部屋を辞しても、しばらくの間誰も口をきかなかった。皆、それぞれに思うところがあったのだろう。螺旋階段の古いカーペットを踏みながら、ステファンは上着の上からポケットを押さえていた。父オスカーの頭の中にあったという不思議な言葉がそこにある。
 必ず帰る、と父は言っていた。けれど、いつ? この不思議な言葉が、何かヒントを与えてくれるのだろうか。 
 そう遠いことではないではないとソロフは言ってくれたが、その日まで父の顔を忘れそうで怖くなる。
「そういえばぼく、お父さんの写真を持ってなかったっけ」
 思い出したようにつぶやくステファンにユーリアンが声を掛けた。
「オスカーは自分の写真を撮ることには興味なかったみたいだしなあ。あんなに遺跡の写真を撮りまくってたのに」
「案外そういうものだよ。わたしだって自画像は練習用にしか描いたことはない――いや、家族の絵もか」
 オーリは何か考え込むように口をつぐんだ。
「そういえば僕も他人の家ばかり設計して、自分の家は借家のままだよ。何だ、『遠い夢ばかり追って』って言われそうなのは、オスカーばかりじゃないな」
「まったく。男ってどうしてそうなのかしら」
 辛らつなトーニャの言葉に、一同は苦笑し合いながら階段ホールに降り立った。
 
 分厚いドアの向こうからは広間の音楽が聞こえてくる。
「どうする? 今なら最後のワルツくらいには間に合うと思うけど」
 ドアを指差すユーリアンに、トーニャは首を振った。
「やめとくわ。お母様に会ったらまた小言をいわれそうだし、アーニャのことも気になるから帰らなくちゃ」
「アーニャならもう眠っているだろう。明日の朝まで預かるよ。どうせお腹のベビーが生まれたら静かな時間なんて無くなるんだろうから、今日くらい水入らずで過ごせば?」
 気を利かしたオーリの言葉に夫妻は顔を見合わせ、笑った。
「そうだな、娘の様子ならトーニャの鏡で見られるし、何よりマーシャさんが付いててくれるから心強い。じゃ、帰りますか『奥様』」
 おどけたように腕を組みながら、ユーリアンは片手を挙げてオーリに感謝を示すと、海岸に続く庭へ向かった。

「家族、か」
 夫妻を見送るオーリは、何かを思い出すように呟いた。
「そうだ、さっきソロフ先生が言ってたけど、先生のお母さんって? 今どこに住んでるの?」
「さあね、あの辺かな」
 オーリは星々の煌めく夜空を指差す。つられて空を見上げたステファンは、はっと顔を曇らせた。
「ご、ごめんなさい。天国に行っちゃったんだね」
「謝ることはないよ。母とアガーシャが事故で亡くなったのは、もう二十年も前なんだ」
 オーリは暗い庭に出て歩き始めた。
「あまり多くは覚えてないけど……優しい人だった。でもひどい時代だったから、魔法を人前で使うところは見た記憶がないな。母が『賢女』という、魔女界では最高位の称号を持つ人だったと知ったのは、ずっと後になってからだよ」
「じゃあ、アガーシャは?」
「彼女はある意味、一族の犠牲者だ」
 庭の外れに建つ岩壁に向かうと、音も無く海岸への道が開いた。来る時のように名乗りを上げなくとも良いようだ。
「ここなら悪口を言っても大叔父様には届かないな」
 オーリは皮肉な表情で岩壁の間を進む。
「魔法を使う連中なんて、偏屈なんだよ。だから一族で固まって、限られた中から伴侶を選ぶのが常だ。でもそうやって血の濃い者同士が結婚を繰り返した結果、アガーシャのように一つの力だけに特化したような魔女が生まれることもあった」
「一つの力だけって……あんな赤ん坊の姿なのに?」
「だから、それが彼女の力だった。つまり『一生無垢な赤ん坊で居る』ってことさ」
「一生ずっと? 二百六十年も生きたのに、成長しなかったの?」
「ああ。まさに『童心』の権化さ」
「皮肉なものだね、オーレグ」
 突然の声に驚いて二人が振り向くと、岩壁の入り口に黒い服の少年の姿が見えた。
「あ、ソロフ先生……」
 黒い服の少年――ソロフの『童心』は、道には入ろうとせず、入り口に立ったまま涼しい声で続ける。
「現実主義の魔女の最長老が、成長しない赤ん坊アガーシャだった。対して『童心』を重んじたはずの魔法使いの長老は干からびた姿でどうにか命を保っている。ステファン、君ならどっちがいい?」
「どっちもやだ。ぼくは何百年も生きたくないし『童心』なんてよくわかんない。普通に成長するんじゃダメなの?」
 ステファンの言葉がおかしかったのか、少年は笑い声をたてた。
「ところでオーレグ、君もまだこの姿が見えるんだね。大丈夫、失ったものはいつか取り戻せるよ。より遠い血とより近い魂を伴侶に生きるんだ。オーリガもシウンも果たせなかったことが、君にはできるはずだよ」
「そう願いたいですね」
 オーリが応じると、軽く手を振って少年の姿は消えた。
「ソロフ先生、見送りに来てくれたんだ。でも心の一部だけ飛ばすなんて器用だね。眠ったんじゃなかったの?」
「あの師匠なら眠りながら北極までだって行けるさ。やれやれ、口調まで子供に変わるんだからまったく……」
 オーリは苦笑いしながらも、ソロフの去った方に向いて目礼した。
 
 岩壁に挟まれた道を抜け、海岸に出ると、ユーリアンたちの姿はもう無かった。ただ遂道の入り口を示す白い紋様だけが、人影に反応するかのように微かな光を発している。けれどオーリは遂道に向かおうとはせず、海風に吹かれて白い月の浮かぶ夜空を見上げた。
「……そうだな、久しぶりに飛んでみるか」
「え、飛ぶって?」
「こんな月のいい夜に遂道なんて面白くないだろう。ステフも自力で飛ぶことを覚えたんだよな?」
 振り返ったオーリは悪戯っ子の顔になっている。ステファンはいやな予感がして後ずさりした。
「ちょ、ちょっと待って。飛んだといってもぼく全然知らずに……ガーゴイルもここには居ないし」
「誰がガーゴイルなんて使うと言った!」
 がし、と脇腹を抱えられたと思うと、次の瞬間には二人とも海の上に高く飛翔していた。
「ひぇええええええ!」
 ごうごうと風の舞う音がする。周り中の景色が渦巻きのように歪む中、ステファンは振り落とされないようにしがみつくのがやっとだった。
「死ぬ死ぬ死ぬーっ!」
 大げさではなく本当にそう思った。呼吸ができない。上下左右の感覚もむちゃくちゃ、熱いのか冷たいのか判らない強い風の中をオーリは飛んで行く。これはひどい。アトラスに乗って飛んだほうがまだましだ。

 時間にしてどのくらいだったのか、突然硬い地面を靴の裏に感じて、ステファンは前のめりに転んだ。ようやくどこかに降り立ったのだ。ホッとした途端、吐き気が込み上げてきた。
「おえ……」
 頭の中がぐらんぐらんだ。でたらめに揺れる視界の中に、見覚えのある白い家と灯りが見えた。
 玄関ドアが開き、真っ赤な髪が篝火かがりびのように踊り出る。
「オーリ! ステーフ!」」
 真っ直ぐに走ってくるのはエレインだろうか?
 たった二時間ほど留守をしただけなのに、十年ぶりに会うみたいにに両手を広げて来る。
 冗談じゃない。この状態であの怪力ハグなんてされたら、死ぬ。
 ステファンは焦ったが、秋バラの植え込みの前でエレインは急に立ち止まった。
 何か言葉を飲み込むかのように口を引き結んで、バツが悪そうにオーリを見ている。目を真っ赤に泣き腫らしているように見えるのは、月明かりのせいだろうか。
「より遠い血とより近い魂……」 
 そうつぶやいたオーリもまた泣き笑いのような顔を見せた。ステファンの目の前で一足に植え込みを飛び越え、そのままエレインを抱きしめる。
「ちょ、ちょっとオーリ!」
 驚きながらもいつもの怪力で突き飛ばすわけでもなく、エレインはただ固まった。
「なに、いきなり……離しなさいよ」
「やなこった!」
 出発前にエレインから言われた言葉をそのまま返し、オーリは離すどころかいっそう腕に力を込めた。

 もう、勝手に感動の再会劇でもなんでもやっててくれ、とステファンは頭を振った。とにかく胃の中がでんぐり返りそうで吐き気が治まらない。何か薬草茶を出してもらわなきゃ……
 よたよたとステファンが玄関に向かうと、マーシャが出迎えてくれた。
 
 オーリとエレインがその後何時頃家に戻ったのかは、知らない。
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