20世紀ウィザード異聞

プロローグ 1

 七月の雨が降る田園の中に、オーリローリ・ガルバイヤンは降り立った。
 刈り入れの終わった大麦の畑に代わって、この季節を彩るのは果樹園の緑だ。青々と葉の茂る葡萄棚の向こうに、古びた黄色い壁の屋敷が見える。
「来たよ、オスカー」
 彼は呟き、瑞々しい草の香を胸に吸い込むと、雨の中を歩き出した。
 長身の背を包む季節はずれな黒いローブに、彼の長い銀白色の髪に、雨は降りかかる。が、少しも濡れている様子はない。

 その日、十歳のステファンは落ち着かない様子で家の中を行ったり来たりしていた。
 今日の午後、大事なお客が来る事は、母親のミレイユから聞かされていた。
 父オスカーの親友であり、画家でもあるという人物だ。
 母がこのお客をあまり歓迎していないであろうことにはうすうす感づいていた。それというのも、かの画家のもう一つの肩書きが「魔法使い」という、世間的にはあまり信用されていない類いのものだからだ。
 ステファン自身は、わくわくして仕方なかった。
 父の親友が「魔法使い」なんて! いったいどんな人だろう?
 目の前で、何か不思議な魔法を見せてくれるだろうか?
「あなたのためなんですからね、ステファン!」
 母は神経質な声をあげた。
「来年は上の学校に上がる年なのに、まったくおかしな癖を止めないから! おかげで魔法使いだなんて怪しげな人間をお客に招かなくちゃいけない。おお、いやだいやだ」 
 玄関先から小間使いが呼ぶ声がした。どうやらお客が到着したらしい。
 ステファンはキッチンに追いやられた。

「まあ、お待たせしてしまって」
 玄関に出迎えたミレイユは、驚いた様子を見せた。
「今お着きでしたの? 失礼しましたわ、車の音がちっともしなかったもので。雨の中、大変でしたでしょう?」
「こんにちは、ペリエリ夫人」
 長身の若い魔法使いは礼儀正しく会釈した。
「ちっとも大変じゃありませんよ。この田園風景を見ていたら、雨もまた楽し、です」
 小間使いがローブを受け取ろうとすると、彼はそれを制して、
「失礼。魔法使いのローブなど触るものではありませんよ。本来なら外さずに居るものですが」
 と、自らコート掛けに向かった。
 魔法使い、と聞いて小間使いは顔色を変えた。が、ミレイユは気にしない振りでわざとらしく咳払いをすると、客間に案内した。

 青い蔓草つるくさ模様のティーカップに自らお茶を注ぎながら、ミレイユは客人を注意深く見た。ゴブラン織りの椅子に深く腰掛け、壁の古い肖像画を見るともなしに見ている表情は、一見穏やかで人が良さそうに見える。
 だが魔法使いなんてやからは信用ならないと聞いている。いつ懐から杖を取り出して妙な術を仕掛けられるかわかったものではない。
 とりあえず無難な話題から始めた方が良さそうだ。
 
「ガルバ……ガルバイヤン先生はオスカーと、骨董コレクション関係でお付き合いいただいてましたわね?」
「そうです。発音しにくい名でしょう? オーリで結構ですよ。皆、そう呼びます」
「ではオーリ先生。お忙しいでしょうにこんな田舎にお呼び立てしてしまって」
「いえ、丁度仕事に区切りがついたところですから。その後オスカーからは、何か連絡でも?」
 カップを手にしながらオーリは尋ねた。
「ちっとも。まあオスカーの行方が分からなくなるのはいつものことですけれど、今回ばかりは弁護士も困っておりますし、どうしたものかと」
「わたしのほうにはこんな物が届いていますが……」
 オーリは半分焼けたような紙片をテーブルに置いた。
「何ですの? 古代文字か何か?」
 ミレイユは細い鼻骨の上で眼鏡をずり上げて紙片を見た。
 青いインクで書かれた、図形とも紋様ともつかない奇妙な文字列が紙の上に並んでいるが、途中で紙が焼けてしまったようだ。
「少し古いものですが、間違いなくオスカーの文字ですよ。あちこちを巡ってわたしの元へ届いたようです。何らかの原因で半分は焼けてしまって、差出人住所どころか消印すら確認できませんでした」
「またいつもの、オスカーの謎ときごっこですかしら。まったく!」
「わたしは職業柄、文字の解読くらいできますよ。お望みなら内容を……」
「いえ結構」
 ミレイユはぴしゃりと言った。
「オスカーの趣味に付き合うつもりはありませんし、興味もありませんわ。事情は知りませんけど、真面目に連絡をとりたいのなら、あたくしか弁護士宛にちゃんとした手紙をよこすなりできたはずです」
 オーリは落胆したようにため息をつき、
「もしかしたらこれが何かの手掛かりになれば、と思ったんですが……いえ、お気になさらずに」
 と紙片を内ポケットにしまった。
「そうだ、彼のコレクションは? どうなってます?」
 話題を変えるようにオーリは身を乗り出した。
「コレクション? ――ああ、あの何とか言う古い道具類ですわね。全然、手付かずで部屋に積み上げたままですわ。あれもどうにかしないと」
 コレクションといっても、彼女の夫の集める物は、怪しげな魔法道具やカビの生えそうな古書ばかりだ。
(それより先に話題にすべきことがあるだろうに、これだからコレクターは!) 
 ミレイユはじろりとオーリを睨んだ。
「もったい無いなぁ。どうです、わたしの保管庫をひとつお貸ししましょうか? なんなら彼が帰ってくるまでに分類くらいしておきますよ」
「それはご親切に」
 いんぎん無礼に答えながら、ミレイユの胸にふと疑念が湧いた。
「あのう、ちなみに。あれらにどんな価値がありますの? 例えば、ですけれど、売り払ったとしていかほどの……」
「二束三文ですね」
 オーリはにべもなく答えた。
「個人のコレクションなんてそんなものですよ。まして古魔術に関しては、真贋の見極めが難しいのでね、市場でもそんなに人気はありません」
「あら……そうでしたの」
 がっかりした表情を隠さないミレイユに苦笑しながら、オーリは語りだした。
「まあ、この科学時代、魔法だの魔術だのいってもあまり存在価値はありません。
呪文なんて使わなくても、人は望むものをカネを使って手に入れ、列車や車を使って移動出来るでしょう。飛行手段さえ手に入れたのです、ホウキに乗れなくても。
いずれ遠くない未来、人間は月にさえ向かうでしょうし、やがては自らの発明で、新しいウィザードやウィッチと呼ばれる存在を作り出すのでしょうね……」
「芸術家さんの想像力にはついていけませんわね」
 ミレイユは話を遮った。ホラ話に付き合うつもりなど無い。
 が、オーリは淡々と話を続けた。
「想像も夢想も仕事のタネですから。魔法使いといってもひとつの技能職と思っていただいて結構です。剣と魔法の時代なんて遠い昔話、現在では一般の社会に溶け込んで仕事をしているのが普通です。
わたしなどはこうしてしがない絵描きをやって食いつないでいるのが現状ですよ」
「ご謙遜けんそんを」
 追従笑いを浮かべて、そろそろ本題に入らねば、とミレイユは思った。
「それでその、手紙は読んでいただけまして?」
「ああ、ご子息のことで相談があるとか?」
 オーリは姿勢を正し、にこやかに言った。
「なんなりと。他ならぬオスカーの家族の為ですからね、わたしにできることでしたら、伺いましょう」

 ミレイユはさっきから、さりげなく厳しい目でオーリを観察していた。
 仕立ての良いスーツ、良く手入れのできた靴を身につけた彼は、一見紳士然としているが、どこまで信用して良いものやら。
 目の色こそ水色だが、やや黄色みを帯びた肌色や淡白な顔立ちからすると東洋人との混血のようだ。ガルバイヤンなんてどうせペンネームだろうが、どこの国の出身だろう?
 それに、白っぽい髪色や落ち着いた言葉遣いから最初は分からなかったが、こうして近くで見ると、まだ二十代半ばくらいの若造ではないか。なにが「なんなりと」だ。
 しかし、息子の『あの問題』に関しては、他に相談できそうな人間もいない。
 ミレイユは思い切って切り出した。

「実は、息子の教育のことですの。そのう、息子にはいろんな物が『見えて』しまうというか、妙な癖がございまして」
「というと?」
「有り得ない事ですけど! パイの中身当てから始まって、コートの毛皮になった動物がどんな顔だったとか、まだ読んでもない本が怖いとか、気味の悪いことばかり言いますのよ。そんなことは言っちゃいけません、と何度叱っても、答えはいつも同じ……」
「『だって見えてしまうんだもの』」
 オーリはまるで自分の事のようにさらりと言葉を継いだ。
「え? ええ、その通りですわ」
 ミレイユは怪訝そうな顔をしたが、構わずオーリは話を促した。
「いつからです?」
「さあ……いつからでしたかしら。最初は空想遊びかと思っていたもので――ほら、子供はよく空想と現実をごちゃまぜにしますでしょ? だからさほど気にもしていなかったんです。それが」
 ミレイユは言葉を区切ると、ゴクリとお茶を飲んで続けた。
「ある日、取引先のお客様が古い剣を持っていらしたんです。なんでも由緒有るお屋敷のものとかで、オスカーの骨董好きを知って、まあご自慢にいらしたんですわね。ところがまだ包装も解かないうちに、ステファンがじっと見て言うのです、『外は年寄り、中はよその子』って。実際、オスカーが見てみると剣とさやは別の時代のものでした――というより、真っ赤な偽物だったのですわ」
「ハッハハハハハ」
 オーリは手に持ったお茶を揺らして、さも愉快そうに笑った。
「笑い事じゃありませんのよ! お客様は恥じ入るやら、気味悪がるやらで、もうどんなに困ったことか」
「で、そういうことが頻繁に?」
「ええ、学校でも気味悪がられて、試験の時など別室に移される程ですの。そのう、カンニングが簡単にできてしまうので」
「是非お会いしたいですね、その才能あるご子息に」
 含み笑いをしながら、オーリはカップを置いた。
「さ、才能ですって?」
「ええ、芸術の才、弁舌の才などよりもっと稀有な才能です」
 ミレイユは疑わしげな眼を向けた。
「何だか知りませんけど。ステファンには、もっとしっかりした子で居てもらいませんと。もっと賢くて、もっと常識的な……そのためには、こんな田舎ではなくて、ちゃんとした処で教育を受けさせることが大事ですわ、そう思いません?」
「オスカーには、ご相談なさらなかったのですか?」
「相談もなにも、ろくに家にいませんものね、あの人は! やはり育ちが違うといいますか――いえ、今でこそこういう田舎暮らしですけどね、もともとあたくしの父方は名家の親戚筋ですのよ。世が世なら……」
「お察ししますよ、ペリエリ夫人」
 オーリは相づちを打ったかに見えるが、明らかにこの話題を中断させたがっている。
「あたくし、この姓が嫌いですの!」
 カチャン、と音を立ててティーカップを皿に置いたミレイユは、咳払いをすると、眼鏡をハンカチで拭き始めた。
「いずれ息子にはあたくしの旧姓『リーズ』を名乗らせるつもりです。ほら、折角『ステファン』という響きの良い名に『ペリエリ』ではあまりにも、ねぇ」
 ミレイユは細い眉を寄せて、拭きあげた眼鏡を透かし見ながら一人でしゃべり続けた。
「ご存知のように、あたくし達は今、裁判で争っている最中でしょう? ああ、離婚はもう決定してますの。あとは財産の分割と、息子の親権のことで。そういう環境が、あの子をおかしくしてしまったのかもしれませんわ……ああ可愛そうなステファン!」
 ハンカチで目を押さえたミレイユの様子には目を向けず、さっきからオーリは客間のドアを注視している。
「大丈夫、おかしくなんてないですよ。なんならわたしも『当てっこ』をしてみましょうか?」
 オーリはいたずらっっぽい笑みを浮かべて呼びかけた。
「ステファン、そんな所で困ってないで、入っておいで!」
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