戻る | 目次 | 次へ

◇イブラーゼ島◇

2−4 侵入者

 風が足元を吹きぬける。
 洞窟の外は、ファードルメンの周辺よりさらに奇怪な石柱が並ぶ草原だった。なだらかな下り斜面になっている草原のずっと先は、岬に続いているようだ。三人は眩い緑に目を瞬かせながら辺りを見回した。
「なにやってんだ、ぐず。早く取って来いって」
 ジャン−ケトが指差す先で、草の中に白い輪が見える。帽子はその輪の中に落ちているのだ。ステファンはまごついていた。隣で、キップが怖いものでも見つけたようにつぶやく。
「よりによってあんなとこに……」
「あれ、妖精の輪ってやつ、だよね。 ぼく、本では読んだけど実際にに見るのは始めてだ」
 ステファンも気味悪い思いで草の中の輪を見た。青々とした牧草がそこだけ白く、何者かが踏み固めたようになっている。
「あの輪の中に踏み込んだら、妖精の国に連れて行かれて、足が磨り減るまで踊らされるんだ……って、おばあちゃんが言ってた」
 もごもご言うキップの頭を、ジャン−ケトがはたいた。
「バカか? 迷信深いやつらめ。草の中にキノコが見えるだろ。胞子の酸のせいで草が丸く枯れただけじゃん。ほら目玉屋、さっさと取って来いって」
「やだよ。迷信だって思うなら、自分が踏み込んでみれば? 曲げ屋のジャン」
 さっき洞窟の中で驚かされた仕返しというわけではないが、ステファンは思わずちょっと煽るような口調になった。
「お、おう。そんくらい、どうってことないさ」
 ジャン−ケトは胸を反らしたものの、まるで熱い湯にでも入るように恐々と爪先立ちになって輪の中に足を踏み入れ、指先で帽子をつまむと大急ぎで飛び出してきた。

「いーけないんだ、いけないんだ」
 いきなり甲高い声が聞こえて、三人は飛び上がった。
 今まで誰も居なかったはずの草原に、人影が動いた。くすくす笑いと共に、五、六歳ほどの小さな女の子が二人並んで、こちらを見ている。
「侵入者、しんにゅうしゃー」
「男の子はここへ来ちゃいけないのにー」
 二人の声に引き寄せられたように、帽子は手を離れて再び風に舞った。女の子たちはそれを難なく捕まえると、代わる代わるおもちゃのように指先で回しながらはやし立てた。双子なのか、同じ背丈で揃いの鼠色の服を着、同じように黒髪をお下げに編んでいる。爬虫類を思わせる黄色い目と、幼いくせに年寄りのような皺くしゃな顔をしているところまでそっくりだ。唯一見分けがつくとすれば、リボンの色がそれぞれ水色と黄色になっていることくらいだろうか。
「か、返して。それ、ぼくのだ」
 気味が悪いのを堪えてステファンが手を伸ばすと、水色リボンの子が睨むような目を向け、鋭く言った。
「執行者憑きってどの子?」
 明らかに、敵意を含んだ声だ。冷水を浴びたようにステファンが立ち止まったのを見て、キップが小声で言った。
「風向きのせいだよ。ぼくらが洞窟の中で話してたこと、この子たちにも聞こえちゃったんだ」
 だからといって、こんなわけのわからない小さな子にまで敵意を向けられなくてはいけないか。『執行者憑き』とはそこまで忌み嫌われるものなのか。ステファンが唇を噛み締めていると、ジャン−ケトが明るい声をあげた。
「なんだ、キップにもこいつらは見えてるんだ。じゃ、少なくとも妖精じゃないな。おいチビ、いいからその帽子を返しな」
 彼が一歩踏み出そうとするのを遮るように、今度は黄色いリボンの子が両手を広げ、通せんぼをした。
「ストップ! そこは玄関じゃないわ」
「はあ?」
「こっちへ回って。ここがドアね。お客様のお帽子はここに掛けるの」
 そう言うと、背伸びをして白い石柱の上にステファンの帽子を乗せる。黄色いリボンの子は駆け出して、草の中を指差し、説明を始めた。
「ここが客間よ。こっちがテーブル、これは椅子。お隣はキッチンだから、お客様は入らないでね」
 小さな指が示す先には、なるほど平らな大小の石が点在している。彼女らはそれをテーブルや椅子に見立てているようだ。ステファンは頭が痛くなる思いで顔をしかめた。
「ええっと、あのね。君たちの遊び場に入っちゃったのを怒ってるなら謝るよ。でも、ままごとに付き合うつもりはないから。帽子だけ返してくれれば……」
 だが双子は聞いちゃいないようだ。お世辞にも可愛いとはいえない顔を振り振り、二人でスキップしながら、お茶会、お茶会、と歌うように言う。
 草の上の『キッチン』には、玩具のようなティーセットとギンガムチェックの布包みがある。包みの隙間からは、艶々としたキツネ色のパイが顔を覗かせている。何食わぬ顔でそれを見ていた少年たちのお腹が、一斉に鳴り始めた。
 
 三人は顔を見合わせた。
「なんだろ、あの子たち。先生たちだったら、こんな罠は張らないと思うんだ。分かり易すぎる……」
「そうだね。アップルパイで釣るとかさ、お伽話じゃあるまいし」
 一人の女の子が、パイの包みを開いた。たった今焼きあがったかのように、ふんわりとしたシナモンとバター、甘いリンゴ煮の香りが漂ってくる。ジャン−ケトは鼻をひくつかせ、そわそわし始めた。
「ちっきしょう、美味そうな匂いだなあ……」
「うーん、岬に来てるっていう魔女ってことも、考えられる。だったらやばいよね」
 そういうキップも、目はアップルパイに釘付けになっている。ステファンが考え込んでいる横で、ジャン‐ケトがパチンと指を鳴らした。
「おい、パイを食うくらいかまうもんか、行こうぜ。あの子らがたとえ魔女だとしても、チビのままごとに付き合ってやるだけじゃん。どうってことないさ」
「うん。それに二人とも、金髪でも美人でもないし。空も飛んでないしね」
 今朝の紙飛行機の文面を思い出したのか、キップがニヤニヤ笑って応じた。

 そうだ。アップルパイを食べるだけ。帽子を取り返したら、すぐに引き返せばいいんだ。ステファンは自分で自分に言い訳をすると、他の二人に続いて石の『テーブル』の前に座った。 
Copyright (c) 2010 syouka All rights reserved.

-Powered by 小説HTMLの小人さん-

inserted by FC2 system