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◇イブラーゼ島◇

1−2 ソロフの兄弟

「ここが、ファードルメン?」
 ステファンは目の前の巨石を見上げてたじろいだ。
 これは自然の造形か、それとも巨人が創ったモニュメントか。二つの台座の上に平らな石が危なっかしい均衡でどうにか乗っかった、とでもいうような形で、夏の陽射しの中に濃い影を作っている。随分古い物なのか、表面が雨風に削り取られた様子の巨石は、草の海に半分沈みかけた難破船のようにも見える。
「違う。『こちら側のドルメン』つまり乗り換え駅みたいなもんだな」
「乗り換え駅?」
 風が急に強くなり、ステファンは慌てて帽子を押さえた。
「そうとも、ここが本当の乗り換え駅だ」
「いやー、荷台は暑かった」
 風の中で同時に二人分の声が聞こえる。ステファンは振り返って口をあんぐり開けた。さっき降りたばかりのトラックが消えている。代わりにそこに立っていたのは、背の高い若い男と見覚えのある赤っ鼻。
「あーっ、さっきの駅に居た……」
「駅長と駅員でござい」
 赤っ鼻がふざけた敬礼で応えた。
「な、ななな……おじさんたち」
「オディゴスは上手く消せたようだな、ドゥギー」
「ああ。荷物は尻尾に括り付けておいた」
 驚いて口を無駄に開閉するステファンの目の前で、ヒューゴと長身男は親しげに言葉を交わしている。
 ステファンはやっと事情を察した。――グルだ。この男たち、駅長でも駅員でもない。ヒューゴはただの荷運び人ではない。もしかして、ステファンをここへ運ぶために三人がかりで芝居を打った? 『人さらい』という言葉が頭を掠める。
 逃げ出そうかと後ずさりするステファンの足元で、大きな影が動いた。消えたはずのトラックが、影だけ地面に映っている! 
『じゃ、もういいのかい。ああ、せいせいするぜぇ』
 何も無い空間から例のしゃがれ声が聞こえたかと思うと、影はみるみる形を変えた。小山のような塊りからぬうと長い首が突き出し、続いて両側に長く伸びる――翼?
「うわわっ」
 突然の強い風を受けてステファンはひっくり返った。翼を持つ影は大きく何度か羽ばたき、風を巻き上げながら一気に遠ざかってしまった。
ドラゴンだ、竜が飛んでく!」
 ステファンは逃げ出すことも忘れて空を見つめた。
 長身男が驚いたように口笛を吹く。
「へえ、見えた? 完璧にやつの姿は消したはずなんだがなあ」
「ううん、姿が見えたんじゃなくて、イメージが頭に……」
 思わず答えてしまってから、はっと我に返り、ステファンは男たちを睨んだ。
「なんだよおじさんたち! いい大人が三人がかりでぼくを騙したの? こんなの、こ、こんなのって」
「騙した? 人聞きの悪い。サバト・キャンプにこのくらいの『どっきり』はつき物だよなあ、マール」
「その通り。オーリのほうの首尾はどうだか、早く知りたいもんだ」
 髭面のヒューゴに目配せをして、マールと呼ばれた赤っ鼻はポケットからペンのような物を出した。見る間にそれは、肘から先ほどの長さに変わる。オーリが持っていたのと同じような、魔法使いの杖だ。
「それに『おじさん』てのはやめな。ヒューゴは三十過ぎの家庭持ちだから仕方ないとして、俺やドゥギーはまだ独身だ。ま、オーリよりはちょっと年くってるが」
「ついでにオーリの名誉のために言っとくとな、『ファードルメン』というのはちゃんと実在する地名だ。もっとも、鉄道じゃ行けないな。海の向こうだから」
 長身男のドゥギーもまた、杖を取り出した。ヒューゴはいつの間にか平らな巨石に上り、風向きでも測るように杖を天に向けている。
「じゃあ、おじさ……あなたたちはオーリ先生の友達、ですか?」
 杖を持つ魔法使いが三人も揃うと、妙に威圧感がある。ステファンは自然と言葉遣いを改めた。
「そう、同じ時期に同じ師匠の下で育った学友だ」
「悪友、じゃねえか?」
 ドゥギーとマールに挟まれるようにして、ステファンもまた巨石に向かった。正直言ってまだ半信半疑だが、逆らえるような雰囲気ではない。
 草の中に埋もれて一見ではわからないが、巨石の脇には、上部の平らな石に向かって階段が刻まれている。やはりこれは、誰かが創った建造物なのだ。
「さて、風向きは良し。準備はいいか、ソロフの兄弟たち」
 髭のヒューゴが厳かに言うと、他の二人も杖を天に向けた。ステファンは三人の輪の中に護られるような形になった。
「何が始まるんですか……」
「飛ぶんだよ」
 ドゥギーがこともなげに答えた。
「飛ぶ? もしかして飛行術ってやつ?」 
「ちょっと違うけどな。怖いかよ、ぼうず」
 マールがからかうようにこちらを見ている。
「まさか」
 ステファンは精一杯平気そうな顔を作って震える足を踏ん張った。どうやって飛ぶのか見当もつかないが、こうなったら腹をくくるしかないではないか。
 風が音を立てて足元を吹きぬける。石舞台の上から見下ろす丘陵のずっと先に、海が輝いている。
「ファードルメンへ」
 ヒューゴが低く唱えると、他の二人も声を合わせた。
「ファードルメンへ!」
 ふいに周囲の景色が消える。ステファンは光の渦の中に放り込まれたような感覚を覚えた。
――ううっ怖くない、怖くないっ!
 泣きそうな思いを堪えて、ステファンは必死に歯を食いしばった。ファードルメンがどんな所か知らないが、オーリに会ったら思い切り文句を言ってやろう、そう考えながら。
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