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◇第二部◇ステファンの杖

1.査定の魔女

 夏が終わる。
 ステファンは奇妙な思いに耽りながら、カレンダーの新しいページに目をやった。
 いつもの年なら、ひとつ学年が上がるごとにいじめっ子の数が増えるだけの、憂鬱な九月だ。だけど今年は違う。静かな森の中の、気まぐれな魔法使い――本業は絵描きのはずだが――の元で、静かに毎日が過ぎてゆく。学校へ戻りたいとは思わないが、本来なら新学期を迎えるはずの日にこうしていつもと同じ朝を迎えていると、自分は他の子どもとは違う道を選んだのだな、ということを実感せざるを得ない。
 雄鶏の声が一段とけたたましく、早く鶏小屋の戸を開けに来い、と催促している。少し短くなったズボンのサスペンダーを引っ張り上げながら、いつものように裸足で裏庭に出ると芝草の露が少し冷たい。季節は正直だ。
 
 雌鶏の腹の下から取り出したばかりの玉子を抱えてステファンが戻ると、珍しくオーリがキッチンに立っていた。手伝い妖精たちが朝食の用意をしながら、邪魔くさそうに彼の足元をすりぬけてゆく。
「や、ステフ。丁度良かった、そいつを割ってベーコンの隣に流し込んでくれないか」
 不器用にフライパンを揺するオーリの手元では、厚みの不ぞろいなベーコンが何枚か、香ばしげな音を立てている。
「先生が作るの? マーシャは?」
「……ちょっと使いに行ってもらったよ。たまには師匠の手料理もいいもんだろう」
 オーリはそれだけ答え、熱ちぃ、と叫んで手を振った。
 
 なにがいいものか。
 折角産みたての玉子を使ったというのに、一体どうやったらこんな不味いベーコンエッグが出来るのか。炭を浮かべたような玉子と歯の折れそうなお焦げベーコンをミルクで流し込みながら、ステファンはテーブルの向かいで澄ましているオーリを恨めしく見た。
 そういえばエレインの姿も見えない。
 まてよ、とステファンは食事の手を止めた。以前にも似たような空気の時があった。最初の『課題』を言い渡された時と、似てはいないか。
「食事が終わったら、後片付けは妖精に任せて庭に来なさい。話がある」
 ほらやっぱり、とステファンはカップを下ろした。嫌な予感ほど、的中するものだ。
「先生、今度はなんの課題ですか?」
「課題じゃないよ。『査定』だ」
 ベーコンの最後のひと塊を口に放り込み、オーリは苦そうな顔をした。

 庭の古井戸の周りには、薄紫の秋の花がもう蕾をつけていた。
 豚っ鼻のガーゴイルが危なっかしく井戸の縁に立っている。自分の仕事に忠実な彼は、夏にアガーシャが脱走して乗り回されてからもなお、頑固にここを定位置として譲らない。
「男爵、お客が来たら教えてくれ」
 オーリはガーゴイルの頭を掌で軽く叩き、ステファンのほうに向き直った。
「さてステファン・ペリエリ。先月君の杖を申請したことは覚えているね」
「はい」
 いつもはくだけた愛称で呼ぶオーリがこんな風にきちんと名を呼ぶ時は、何か重大な話がある時だ。ステファンは緊張して背筋を伸ばした。
「今日はその杖をもらうための査定だ。査定官は三人。この井戸を通って来る」
「あ、あの。サテイって何か試験みたいなことするんですか?」
「君は心配しなくていい。普通なら書類審査だけで済むんだが、わたしには最初の弟子の資質を見極められなかった『前科』があるからね、試されるのはわたしのほうなんだ」
 オーリは苦笑いをして自分の杖を見つめた。
「先生、それってアドルフのこと? ぼくも『執行者グメルマ憑き』だから、アドルフみたいに悪い事するんじゃないかって思われてるのかな」
 心配顔のステファンの肩に手を置いて、オーリはきっぱりと『ノー』を告げた。
「そんな判断をするような査定官なら、こっちが願い下げだ。いいかい、生まれついての力が人の価値を決めるんじゃない。要はどんな風に使うか、なんだ。執行者憑きだろうがなんだろうが、君はいい奴だ。それはこの一ヶ月あまりでわたしが充分に見てきた。心配するんじゃない。堂々と聞かれたことに答えればいいんだ」
 『いい奴』――不思議な響きだ。『いい子』と言われるよりちょっと大人扱いされたようで気恥ずかしくさえあるが、オーリの明るい水色の目を見ていると不思議に自信めいたものが湧いてくる。
 ステファンはここしばらくの日々を思い出していた。
 外の雑音から隔てられたようなこの家で穏やかな日々を過ごしていると、自分の中に潜んでいる『あいつ』(オーリは執行者と言っていた)のことなんて、嘘じゃないかとさえ思えた。
 そう、恐怖にさえ出会わなければ『あいつ』が出てくることはないのだから。
 エレインに言われた通り、毎日森を走り回って身体を鍛えた。あやふやながらもいくつか呪文も覚えた。それらは決して楽な作業ではなかったが、自分で意識しないうちに何かを破壊してしまう恐ろしさに比べたら、何でもないことだ。どうかこのまま日々が過ぎて、あんな禍々しい力は無かったことにしてしまいたい、とステファンは密かに思っていた。

 ふいに、耳慣れない音が庭に響いた。
 硬い石と石を擦り合せるような。音を辿ったステファンが顔を上げると、豚っ鼻のガーゴイル男爵の首が百八十度回転して井戸のほうを向くところだった。
「待ち人来たり。男爵ありがとう」
 オーリの言葉が終わらないうちに、古井戸の縁石の上に何かが動いた。朽ち葉色の、長い爪を持つ物体が数本。探るように井戸の縁を移動するそれらには、ひとつひとつ違う色の貴石が光っている。思わず後ずさるステファンの目の前で節足動物のようにうごめき、さらに同じようなものが数本現れて石を掴む。
「――やれやれ着いたわい。井戸の管理は怠り無いようじゃの、ガルバイヤン」
 ひしゃげた声が井戸に反響したかと思うと、中から黒い頭巾がぬうと現れた。
 派手に驚いて尻餅をついたステファンには構わず、オーリが井戸に歩み寄り、礼儀正しく手を差し伸べた。
「恐縮です、ゾーヤ査定官」

 これは悪夢か。それとも趣味の悪い仮装集団か。
 井戸の中からは同じような黒い頭巾を被った老婆がもう一人、そしてまた一人、オーリに手を引かれながら這い出てきた。
 ステファンは立ち上がることも忘れたまま、三人の老婆を代わる代わる見た。
 水位が下がったとは聞いていたけど、それでも古井戸の中には水があったはずだ。にも関わらず揃いの頭巾も長い服の裾も濡れていないし、古いモップの先のような鼠色の髪、枯れ木のような膚色はあまりに異様だ。もしかしたらこれが話に聞く魔女という者たちなのかもしれないが、絵本で見るような曲がった鼻をしている者はいない。いや、オーリが最初に手を貸した老婆などは鼻すらない。かろうじて顔の真ん中に鼻腔らしき穴が二つ並んでいるのみだ。二人目には前歯が無く、三人目は……まぶたが無い。
「おんや、奇態な」
 瞼の無い黄色い目がぎろりと動いてステファンを見据えた。
「ここの芝生は変わっておるのう。人の子の顔をした宿根草が生えておるぞ」
 自分のことを言われているのだと気づいたステファンがようやく立ち上がり、しどろもどろに名乗ろうとした頃には、既に老婆たちに取り囲まれてしまっていた。
「ステフ、お世話になる査定官の方々だ。ちゃんと挨拶して」
 だから今、挨拶をしようとしているのだが。作り物のような黄色い目玉や、絶えずふいごのように鳴る平らな鼻に囲まれ、しかも値踏みするように頭の先から足の先まで至近距離でじろじろと見られて、ステファンの口は恐怖のあまりまともに動かなくなってしまった。
「シュテッファーン・ペリェーリィ」
 歯の無い口が妙な発音で呼びかけた。
「ふんむ、目はオシュカーゆずーりー、よのう」
 何と言われたのか理解するのに数秒かかったが、自分の目が父譲りだと言われたのだと気づいて、ステファンは少し落ち着きを取り戻した。
「あ、あの、おとうさ……父をご存知なんですか?」
 ホウホウと不気味に笑って、三人は手を叩いた。さっき井戸の縁石を這っていた節足動物のような指が一本、ステファンの顔に向けられる。
「我ら査定の魔女を何と心得る。ひと目見ればお前さんの素性など隅から隅まで見通せるわい。のう、リンマ」
「小僧の目にはまだ何も見えてないようだわい。のう、タマーラ」
「ほっほっ、宝の持ちぐしゃれよのーう、ゾーヤ」
 代わる代わる生臭い息とともに言葉を吐く魔女たちに、恐怖よりも怒りが勝ってきたステファンは無言で睨み返した。
 何も見えてないって? こんな黄色い目玉に言われたくない。それに、師匠のオーリは最初に会った時、この父譲りの鳶色の目のことを誉めてくれたのだ。魔法使いの目だ、と。
 それにしても――とさっきから黙っているオーリのほうをちらりと見る。査定で試されるのは師匠のほうであって、弟子のステファンは聞かれたことに答えれば良い、と言われたはずだが。これではまるで意地悪くからかわれているだけのように思える。査定って、こういうものなのだろうか?
 黙って立つ長身の魔法使いの顔には何の表情も読み取れない。しびれを切らして、先生、と呼びかけようとした矢先、ステファンは額に冷たいものを感じた。
「では本題にはいろうかの」
 いつの間にか魔女の指輪が額に押し付けられていた。冷たい石の感触がそのまま頭の中に沁みてくるようだ。
「これって何の……わ、わぁ?」
 不意に視界が暗くなる。同時に足元の地面が消え、奈落に引き込まれるような感覚を覚えた。
「先生! オーリ先生――!」
 ステファンは落ちながら、真っ暗な中で懸命に手をもがいた。
 
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