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◇第二部◇ステファンの杖

2.両刃の読心術

「――お目覚めね。まあ罪の無い顔して」
 
 誰かの声がすぐ近くに聞こえ、ステファンは何度となく瞬きを繰り返した。
 眩しい。声の主を確かめようとするのに、よく見えない。
「どれどれ……おや黒い瞳じゃないんだねえ」
「ね。だからね、今度の子は大丈夫だって」
「分かるもんかね。魔女の産んだ子なんてみんな同じさ」
 ぎょっとして、ステファンは今度こそはっきりと目を開いた。
 いつも目覚める直前に聞こえる、あの台詞だ。誰が言っているのだろう。
「この子の瞳はわたくしに似ているのですわ、叔母様、お姉様」
 別の声が聞こえ、さっきまで自分を覗き込んでいた人影が離れた。
「ほ、そりゃあ良かったこと。賢女オーリガの目を受け継いで、さぞ優秀な魔法使いに育つだろうよ」
「でも顔立ちはあの東洋人に似てしまったようねえ。おおいやだ、黒い髪に黄色い膚だなんて」
「子どもが父親に似て、何がいけませんの?」
 
 姿の見えない人たちの会話を聞きながら、ステファンは自分の置かれている状況がわからずうろたえた。視界に入るのは薄い天蓋布とその向こうにぼやけて見える天井。周りを木の枠で囲まれたここは、いったいどこだろう。
 どうやら自分は寝かされているらしいと気づき、起き上がろうとするのだが、身体が思うように動かない。じたばたと手足を動かすうちに、また誰かの顔が覗き込んだ。
「お前はシウンが残してくれた宝ですもの。おいで」
 逆光で目の色までは見えないが、誰かに似た顔立ちの人だ、漠然とそう思って見上げている間に白い手がふわりとステファンを抱き上げた。
「おおよしよし、いい子ねオーリャ」
 オーリャ? オーリャって誰だ。
『あの、あなたは誰なんですか? それにぼくの名前はステファンだよ!』
 懸命に答えようとしているのに、言葉にならない。代わりに口の端から飛び出したのは、赤ん坊の声だ。

 なぜ? 何が起こった? 

 喚けばわめくほど言葉にはならず、喉は耳触りな赤ん坊の泣き声を発するばかり。ステファンを腕に抱いた女の人は明るい窓辺に近づいて微笑み、あやすように腕を揺らした。
 陽射しの中でその瞳が綺麗な水色をしているのが見て取れる。ふと恥ずかしくなって目を背けると、窓枠の縁飾りが目に入った。壁に半ば埋め込まれるようにして、山羊の頭の形をした真鍮の飾りが二つ、窓の両端で向かい合っている。

「わかっているだろうけどねオーリガ。お前が外の血を入れようとしても無駄なこと。『執行者憑き』に一度目をつけられて逃げおおせた例はないんだよ」
 『執行者憑き』という言葉に、ステファンはびくっと反応した。頭の中に冷たいものが流れ込み、再び視界が暗くなってゆく。明るい水色の目をしたその人がこちらを向いた。何かを賢明に言い聞かせていたようだがその言葉は聞き取れず、ステファンは再び闇に引き込まれるのを感じた。

 ◇ ◇ ◇ 

「――なんとまあ、お粗末なことよの」
 しわがれた声と共にドンと背中を押され、ステファンは地面に膝と両手をついた。
 周囲を見渡すと、もと居たオーリの家の庭だ。まだ朝露の残った草が冷たい。古井戸の縁に手を掛け、どうにか立ち上がってみると、査定の魔女たちが薄笑いを浮かべてオーリを見ていた。
「オーリローリ・ガルバイヤン。お前さんは魔力を持つ相手の記憶を読むということがどういうことか、解ってなかったようじゃの」
「……返す言葉もありません。これは完全にわたしの落ち度です」
 魔女に囲まれたオーリは、悔しげに歯を噛み締めながら赤い顔をしていた。
「な、なに……先生、ぼく今、夢を見てた?」
「ちがう、『夢』じゃなくわたしの古い『記憶』だ!」
 吐き捨てるように答えるオーリの周りで青白い火花が散った。こんな表情のオーリは初めて見る。ステファンは自分が何かまずいことをやらかしたのではと不安になった。
「いんや、お前のせいではないぞ、小僧」
 瞼の無い魔女がステファンの心を読んだように首を振った。
「他人の心を読むにはまず、自分の心を閉じておかねばならぬ。ほれ、今のわしのように。古い記憶の扉をこじ開けて読み取ろうとするなら、尚のこと。でなければ、自分の側の記憶も相手に覗き見られることになろうよ。読心術とは本来、そういうもの」
 戸惑っているステファンに向き直って、鼻の無い魔女も口を開いた。
「つまりの、ステファン・ペリエリ。お前は自分でも忘れていたほどの古い記憶を読まれたことがあろう。その時迂闊にもこの男は、自分の心を閉じておかないまま弟子の心と繋がってしまったがために、自分の一番古い記憶を逆に読み取られてしまったというわけよ。査定の手始めとして、お前が自分の魔力を自覚した一番初めの記憶を探ろうとしたが、余計な記憶が混じっておったのでは正確に判断しかねるのう」
「え、じゃあさっきぼくが見た女の人って」
「母だ。とうに死んだ人だ」
 オーリは短く答えて自分の掌にいらいらと杖の先を打ちつけた。
「じゃ、オーリャっていうのは?」
「わたしの幼い頃の愛称だ。もういい、その話は」
 ヒュ、と杖が空を切る。オーリは魔女に冷たい水色の目を向けた。
「不手際は認めます。だが時間が無い。査定を進めてください」
「ほっ、ほっ、まあそう急がずとも良いわえ。そうじゃの、次は……」
 三人の魔女はそれぞれに首を巡らし、同時に一点を指差した。
「あの修練場を使おうぞ」
 修練場――エレインがいつも剣の練習などしている場所だ。ステファンは先日垣間見た紅い竜の姿を思い出してぞくりとした。 
 庭と森の間に建つ古い石造りの建物に五人は向かった。
 あちこちの植え込みの陰から妖精たちの気配がする。三人の魔女が古井戸から現れた時からずっと、彼らは姿を隠している。怖がっているのか。それとも面白がっているのか。どちらにしてもあんまり愉快なことではない。どうせ後でからかいのタネにするんだろうから、堂々と出てきて見物でも何でもすればいい。ステファンは腹立ち紛れに、花々の陰に隠れている者に向かって思い切りあかんべえをしてやった。
 そんなステファンには構わず、オーリは眉をひそめて魔女たちと話していた。
「失礼ながら査定官。あの修練場はうちの守護者の管轄です。いろいろ物騒な輩も棲みついていますし、彼女の留守中に立ち入るのはいかがなものかと――」
「ほ、ほ、何を白々しい。お前はその『守護者』の契約主じゃろうが。守護者のものは主のもの、この家に棲む者どもは誰一人、主であるお前には逆らえぬはず。そういう契約じゃろう?」
 せせら笑うような魔女の言葉に、ステファンは意外な思いで目を瞬いた。
 ここに棲む者は誰一人逆らえない? オーリの権限がそんなに強いとは初耳だ。 
 だって、妖精はあの通り生意気だし、アガーシャみたいに勝手気ままなやつもいるし、エレインに至っては――契約主のオーリを平気で馬鹿呼ばわりするし。魔力が消えてるはずの新月にさえ、彼女はそのう……ちっともオーリの思い通りになってないように見えるけど。
 黙って背中を向け、修練場の扉を押し開くオーリの長髪をステファンはしげしげと見つめた。あの黒と銀のまだら模様の頭の中はどうなっているのだろう。本当に魔女の言う通りなら、オーリはもう少し尊大な魔法使い然として振舞ってもよさそうなものなのに。
 
 朽ちかけた外観には似合わず、修練場の中は床石も壁板も古いなりに磨きこまれていた。 
 半円形の窓から差し込む光の帯の中、細かな塵が舞っている。しんと冷えた空気の中で、縦長に黒い枠が床に描かれている部分は、剣術の試合で使うピストにも見える。壁際に並んだ剣や槍、古い甲冑類は、じっと息を潜めて人間たちを伺っているような気配だ。ステファンはその中に腕だけの甲冑、ルゥカーの姿を見つけて思わずぶるっと震えた。
「ここで何をさせるつもりです?」
 オーリの声が低く反響した。
「ほ、知れたこと。お前さんがソロフの処で最初に杖を手にした時と同じことをすればよい」
「しかと見せて貰おうかの、弟子の教育ぶりを」
「さっきの不手際で評価が落ちたからのう。ここで挽回するが良いぞえ、ひゃ、ひゃ、ひゃ」
 三魔女の笑い声を苦い表情で聞き流して、オーリは壁に向いたまま声を掛けてきた。
「ステフ、剣を習ったことは?」
「え、学校の授業で少し……」
 いやな予感がした。初等学校では紳士のたしなみとして必要、とか言われて剣術の授業を受けさせられていたが、ステファンはこれが大の苦手で、なんとか口実を作っては授業から逃げよう逃げようとしていたのだ。
「結構。じゃ、これを」
 ステファンの不安を無視するかのようにオーリは細い剣を投げてよこした。
「わ、わっ」
「練習用の剣だ、刃は無いよ」
 そうは言っても……手にとってみて、戸惑った。学校で使う競技用の細い剣とは全然違う。刀身は長くはないが、楔型にすっくと伸び、振っても『しなり』がない。だいいちこの柄は? 競技剣の柄ならピストルを持つような形に指を曲げて引っ掛ければよく、ステファンの小さな手でも安定して握ることができたが、これは真っ直ぐだ。おまけにドラゴンの装飾があるつばはひんやりと重く、指先から禍々しい感覚が伝わってくる。
「あのう、ぼく、こういう剣使ったことなくて」
「だから?」
 オーリの声には、言い訳をさせる隙がなかった。
「もともと魔法使いの杖は剣を模したものと言われている。杖を使いたければ、まずこの程度の剣には慣れてもらおう。わたしもソロフ師匠からこうして教わったんだ」
 ぞく、とまた背筋に寒いものが走る。こちらに向き直ったオーリの目は、光彩の加減だろうか、いつもとは別人のような冷たい冬空の色をしている。
「それとも君は、我々の杖を格好いい小道具、くらいに思っていたのか?」 
 
 とんだことになってしまった。
 ステファンが渋々防具を着けて来ると、ピストの中央で待っていたのは、がらんどうの甲冑だった――いつもは腕の部分しか無いルゥカーの、これが全身像なのだろうか。古い型の細剣を帯びて、頭、胴体、腕、脚の各パーツが宙に浮いている。もしも透明な人間が武装したら、こういう感じなのかもしれない。
「反則規定なし、制限時間なし、有効範囲は全身。うち流のルールだ。まず、君の今の力を見せてもらおう」
 一方的に言い渡すオーリの声にステファンは絶望的な気分になった。
「心配するな。今日は査定だ、ファイティングじゃない。攻撃権は常に君に有る。ルゥカーはもっぱら防御のみとする」
 頭の中で、嫌だ、という声がする。でもオーリはじっと見ている。やるしかない。

 型どおりに剣を顔の前で掲げ、ルゥカーに剣先を向ける。
 ステファンは一歩踏み出した。
 授業で習った通りに左手を後ろに投げ出し、その反動で身体を伸ばして右手を突き出してみる。
 ところが次の瞬間には剣先を払われ、バランスを失って転びそうになった。
――なんだって? 
 ステファンの胸の中でいやな音がした。
 気を取り直し、もう一度剣先を向け、二歩、三歩と進みながら突く。
 今度はしっかり胸元を狙ったつもりだったが、虫でも払うように軽くなされ、再びステファンはよろけた。
 魔女たちは何も言わないが、失笑しているのが分かる。ステファンはちらとオーリのほうを見た。腕組みをしたまま壁に寄りかかり、相変わらず冷たい目で無表情にこちらを見ている。
 きっと呆れているんだろうな、とステファンは歯をかみしめた。腕力が弱い上に基本的な型すらできてないのは自分で分かっている。でもこんなグリップが真っ直ぐで指の引っかかりすらない剣、持ち方すらよく分からないのにどう扱えと?
 いやそれ以前に、手が剣を、剣が手を拒否している感じだ。
 けれどそんな事を口に出したら、弱虫の言い訳だと笑われるだけだろう。

 何度体制を立て直し、何度攻撃しても、ルゥカー本体にはかすりもしない。これが授業なら、一ポイントも取れていないと教師から怒号が飛ぶところだ。だがオーリはひと言も声を掛けて来ず、それがかえって不気味だ。
 けれど空しい。こんなの何になるんだ、とステファンは汗の垂れてくる頭を振った。
 杖を持ちたいとは思うが、なんで剣術なんか。自分は何をやっているんだろう。がらんどうの甲冑相手に無様な姿晒して、こんなの本当に魔法と関係があるんだろうか。
 とうに息は上がっている。足元がおぼつかず、何度か転んだ。
「攻撃権は君にあると言ったはずだが。それとも闘争心というものが無いのかな」
 這いつくばって剣を拾う背中に、初めてオーリの声が降ってきた。あんまりだ、とステファンは唇を噛んだ。涙が滲んでくる。こんな剣使ったことないのに、闘争心なんて言われたって。ステファンは金属臭のするマスクの内側からオーリを睨んだ。
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