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◇第二部◇ステファンの杖

7.ステファンの杖

 来た時とは違い、拍子抜けするほどに静かに魔女たちは去って行った。
 オーリは緊張が解けたようにしばらく壁に寄りかかって目を閉じていたが、急に顔を上げてしかめっ面をした。
「まったく君というやつは! こっちは気を使って厳しい師匠を演じてたのに『フリをしてる』なんて言うから焦ったぞ。あの三魔女がどんなに怖いか知らないだろう」 
 ステファンは反論しようと口を開きかけたものの、おぇ、と小さく呻いて口元を押さえた。
「なんだ、まだ眩暈してたのか――そういう時はガマンするよりもいっそ吐いちまったほうが楽なんだがな」
 オーリの表情が同情するような苦笑いに変わった。そんなカッコ悪いことできるか、と思いながらステファンは首を振るのが精一杯だ。
 開け放した扉から新鮮な風が吹き込んでいる。止まっていた時間が動き始めたようだ。青々としたハーブの匂いが胸の中を吹き清めてゆく。オーリもまたその風を吸い込んでいたのだろう、せいせいしたように伸びをしてからステファンの隣に座った。
「でもたいしたもんだ。僕がステフくらいの頃は自分が何を考えてるかなんて到底言葉にできなかった。悔しくてよく癇癪かんしゃくを起こしたけどなあ」
「うそ、ぜんっぜん駄目だ!」
 ようやく吐き気から解放されたステファンは床に寝転び、両手両足を投げ出すと思い切りわめいた。
「あーっもう、あんなことしか言えないなんて! もっといっぱい言ってやりたかったのに。くそばばあとか、馬鹿にすんなとか、えーとえーと」
「うん、その手の語彙はまだ乏しいみたいだな」
 オーリは魔女の姿が消えたことをしっかり確認してから嬉しそうに言った。
「あとでエレインに聞いてみるといい。とびきりの悪態語を教えてくれるはずだから」
「ふつうそんなこと勧めないよ、大人は」
 ふてくされた顔でステファンは起き上がった。回復するにつれ、子どもっぽい師匠に改めて腹が立ってくる。
「だいたいあの魔女のことだってさ、先生知ってたんでしょう。査定って本当はどんなだか言っておいてくれたら、ちょっとは怖い思いしなくて済んだのに」
「悪いがそれはできないな。教える側には守秘義務ってのがあるんだよ」
 オーリは長い髪を掻きあげ、ふと難しい顔をした。
「あの三魔女はね、査定する相手の力を恐怖によって引き出そうとするんだ。だけど強い恐怖なんてロクなもんじゃない。僕は代わりに『怒り』で引き出そうととしたんだが……」
「それ、前にも言ってたね先生。七月の、最初の課題のとき」
 ステファンは、査定官の前で剣を取らせて挑発するような態度を取ったオーリの姿を思い出した。
「そう。恐怖は人を萎縮させるが怒りは時に心を解き放ってくれるからね。それに君はどうも剣術が苦手のようだから、ルゥカーにも手伝ってもらってへろへろに弱らせてからなら、執行者が出てきても危険は少ないだろうと踏んだんだ。君が急に眠りに落ちたのは計算外だったけど、結果的にはうまくいったんじゃないか?」
 平気な顔でこんなことを言う師匠に、ステファンは口を尖らせた。
「先生だって充分怖かったよ」
「そりゃどうも。でも『恐怖』ってほどじゃなかったはずだ。そのくらいの信頼関係はあると思ってたが」
 呆れる。ステファンはため息をついて黙ろうとしたが、すぐに大事なことを思い出した。 
「それじゃ、ルゥカーは! ぼくのためにあんなバラバラにされちゃったんですか」
「バラバラ? 君の目にはそう見えたのか。ほら、ちゃんとそこに立ってるよ」
 オーリの指差す壁を見て、ステファンは驚いた。最初にこの修練場に来た時に見たままの姿――つまり甲冑の腕だけの部分が宙に浮いて剣を持つ姿――で、ルゥカーはそこに居た。思わず駆け寄って顔を近づけてみたが、古い金属の腕は、まるで何百年もそうして同じ形を保っているように鈍く光り、壊された形跡など見られない。
 どこまでが夢で、どこまでが現実だったのか。分からないまま、ともかくもホッとしながら、
「よかった、無事だったんだ」
 と思わずつぶやいた。ルゥカーは確かに生き物ではないけれど、少なくともステファンを庇って立ちはだかった時は、まるで生きている騎士のようだった。オーリには悪いが、あの甲冑姿はじつにカッコよかった。

「ひとつ聞きたい、ステフ。君は夢の中で長く『あいつ』と会話してたね。樫の扉から出てからは査定官でさえ追えなくなってしまったのは、何か強烈な思念に邪魔されたからなんだが。『あいつ』は君に何と言ってた?」
 ステファンは振り返り、答えようとして戸惑った。目が醒めた時には確かに鮮明に覚えていたはずだが。記憶に残っているのは夢の光景ばかりで、そこで交わした言葉など逃げ水のようにどこかへ消えてしまった。ただ不愉快な思いだけが曖昧にこびりついているけれど。
「よく覚えてないんです」
 罰が悪い思いで答えると、オーリはただ頭をポンと叩いただけで、それ以上問う事はしなかった。
「そうか……じゃあもう出ようか。査定の結果がそろそろ分かる頃だ」
 扉の向こうには明るい陽の光りが踊っている。ステファンはうなずくともう一度ルゥカーに向かい、オーリに聞こえないように小声で言った。
「ええと、あの時はありがとう。ぼく、本当は剣って嫌いだけど、いつか誰からも庇ってもらわなくてもいいように強くなるから。そのうちまた勝負してくれる?」
 答えるべき声を持たないルゥカーはしんとしている。当然だろう。ステファンはため息をついて出口に向かおうとした。
 その時、背後で金属の触れる音がした。振り返ると、ルゥカーは剣を掲げ騎士の敬礼の姿勢を取っている。ステファンは満面の笑みを浮かべて手を振り、外へ駆け出した。

 明るい戸外に出て、ステファンは戸惑った。
 オーリの様子がなんだかいつもと違って見える。何がおかしいのだろうとしばらく首をひねり、ようやく気づいた。
「先生、今朝はヒゲ剃りさぼったんだ?」 
 実際、オーリの顔は何日も徹夜したみたいにくたびれて見える。加えてシャツもズボンもくたくた。いつも家の中でさえ身なりをこざっぱりと整え、糊の効いたシャツにヴェストを着こんでいるようなオーリが、だ。
「心外だな、これでも身だしなみには人一倍気を使ってるよ。仕方ないだろう、四十時間くらい修練場の中に居たんだから。みっともない“午後のかげり”ってやつが出たんだよ」
 オーリはアクビをかみころしながら、まばらにヒゲが目立つ顎をなでた。
「よ、四十時間って……ほとんど二日だ。そんなに?」
「心配するな、外では多分一時間と経っていない。言っただろう、あの建物の中の時間は外の時間と切り離されているんだ」 
 改めてステファンは周囲を見回した。足元の庭草はまだ朝露を帯びたままだ。太陽もまだ午前の位置のまま、のどかに輝いている。
「君は運がいいよ。今日はあの魔女たち奇跡的に早く帰ってくれたけど、僕の時はまるまる一週間粘られた。おかげでその後しばらく悪夢にうなされたな」
「それって執行者憑きじゃないかって疑われてたから?」
「まあね。僕は癇癪持ちでよく物を壊す悪童だったから、疑われてもしょうがなかったけど」
 可笑しそうにオーリは笑ったが、ステファンは笑えず、立ち止まった。
 言ってしまおうか。言うまいか。
 唇を噛んでうつむくステファンの様子に気づいてオーリも立ち止まった。
「あのね先生。ぼく、ずるいやつなんだ。今まで悪いことはみんな『あいつ』のしわざだって、ぼくは何も知らないのにって、そう思おうとしてたんだけど」
 足元で白い影が走り過ぎた。妖精たちが耳をそばだてているのかも知れない。ステファンはぎゅっと拳を握り締めた。
「ぼくだって相当、悪いことや怖ろしいこと考えるんだ。あの夢の中でよくわかった。ぼく、最後のほうでは剣の授業で人の喉を突こうとした。防具で隠れていない喉をだよ。あれは、卑怯者がやることだ」
 そこまで言って、ステファンは恐る恐る顔を上げてみた。さぞ軽蔑されるだろうな、と思ったのだが、オーリは笑いをこらえるような困った顔をしている。
「わ、笑い話じゃないんだよ先生。本当に、殺したってかまわないくらいに思っちゃったんだ。それにあの人、ぼくが剣を向けた人って……」
 誰だっけ、とステファンは口ごもった。確かに憎たらしい剣術の教師を相手にしていたはずだが、夢の最後の場面で顔を向けた人は別の誰かだった。ステファンのよく知っている、とても懐かしい顔だったようなような気がするのだが。
「思い出せないのは、今は思い出す必要が無いからじゃないのか」
 オーリはこともなげに言って、頭をがし、と掴んだ。
「生真面目ステファン、いいかげんにしろよ。夢の中でくらい、何をやらかそうが自由だろう。そこでたとえ世紀の大悪人になったとしても、一体誰が罪に問うって言うんだ?」
「でも、査定官には見られちゃったよ。ぼく、悪い心を持ってるって知られたから、杖なんてもらえないんじゃないかな」
 ほとんど泣きそうなステファンの顔を見て、今度こそオーリは吹き出した。
「おいおい、君は何になろうとしてるんだ。天使か? 聖人か?」
「ちがう。ぼくは魔法使いになりたいんだ」
「じゃ、問題ないだろ。もし夢の内容で判断されるっていうんなら、このオーリローリだって杖をもらえないどころか、エレインにしょっちゅう懺悔しなくちゃいけなくなる!」
 オーリはまた笑い出した。最後のほうの意味はよくわからないが、つられてステファンも半分笑った。
「確かに魔法使いの心っていうのは、普通の人間よりも闇に近い処にあるかもしれない。その闇に時々片足を突っ込みながら、悠々と日なたに戻って来られるのが本当に力のある魔法使いさ。ステフ、君もそうなりたいと思わないか?」
 日なたに戻ってくる――オーリは何気なく言ったが、心強い言葉に思える。ステファンは何度も口の中で繰り返し、うなずいた。

 古井戸の傍まで来ると、ガーゴイル男爵が口に何かを咥えているのが見えた。少し黄ばんだ羊皮紙だ。オーリは急いで手に取り、難しい顔をした。
「査定の結果が出たよ」
 ステファンは緊張しながら次の言葉を待った。直立不動の肩先にどこからか小さな黄金虫が飛んできて留まったが、気にしてはいられない。黄金虫はしばらくステファンを伺うようにじっとしていたが、ふいに飛び立つと、井戸の中に真っ直ぐ飛び込んだ。
 あ、とステファンが口を開こうとした矢先、井戸の中から怖ろしい声が響いた。
「くそばああとは何たる言い草ぞ。ステファン・ペリエリ、お前にはこれをくれてやる!」
 声が終わらないうちに、何か光る物が井戸から飛び出した。
「しまった、魔女め聞いていたのか――ステフ、キャッチだ」
 オーリに言われて反射的に手を出すと、光は長く伸び、杖の形となってステファンの元に降りてきた。瞬間、生き物のような鼓動を掌に感じる。
「先生、これって」
 確認するようにオーリを見上げると、水色の目が力強くうなずいた。
「おめでとう、『言の葉の杖』だな。それが君に与えられた、最初の杖だ。ちょうど君の肘から中指の先までの長さになっているはずだよ」
「言の葉……」
 まだ掌の上で震えるように光っている象牙色の杖を、ステファンはつくづくと見た。比べてみると、確かに肘から中指の先までとぴったり同じだ。
 
 これが魔法使いとしての、最初の杖。
 オーリの元で修行すると決めた時から欲しくてならなかったはずだが、なぜか嬉しいとか、感激とかいう思いが湧いてこない。
「こわい」
 正直な感想が口をついて出た。
「そうだ、杖は怖いものだ。けど、それはもう君の一部だ。今日を境に、見習いだろうと修行中だろうと関係なく、君は魔法使いとして扱われる。逃げることも、投げ出すことも許されない。覚悟はいいな?」
 オーリの声は静かだが、厳しかった。
 じっと見るうちに杖の光は消え、代わりに手と体温を共有するように温かくなってくる。
「……はい!」 
 ステファンは両手でぐっと杖を握り締めた。
 お父さん、と心で呼びかける。
 ぼくは自分の杖を手に入れた、これでやっと始まりだね、と。

 ◇ ◇ ◇

「あらあら、お二人とも庭においでだったんですか。オーリ様、ステファン坊ちゃん、美味しいプラムケーキをいただいてきましたよう。お茶にいたしましょう」
 マーシャの声がキッチンからゆったりと響く。途端にステファンは自分がひどい空腹だったことに気づいた。
「助かった、干からびずに済んだみたいだ」
 オーリも同じ思いだったらしく、ステファンの背を叩いて家に向かった。
 その後ろ、林檎の植え込みから飛び出してきた者が居る。
「こらーっ、オーリ! 終わったんなら早く言いなさいよ!」
 そして青い紋様のある腕でオーリの首を捕らえながら快活に呼びかけてくる。
「ステーフ、杖は無事にもらえた?」
 
 エレインの輝く赤毛に目を射られた思いで、ステファンはちょっとどぎまぎした。そして首を捕らえられたまま悲鳴をあげそうなオーリに同情しつつも、真新しい自分の杖を、思い切り高く掲げて見せた。 
 
(第二部終了) 
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