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◇第二部◇ステファンの杖

6.査定終了

 例えば、銃のように撃ち抜くこと。
 例えば、玩具を壊すようにバラバラにすること――誰を?
 ステファンは自問自答しながら黙々と斧を振るった。じっと見守る『あいつ』が満足そうに笑っていることに妙な苛立ちを感じながら、それでも手を止めず、タガが外れたように無茶苦茶に扉を壊し続けた。

――数分後。
 ステファンは陽の光が溢れる昇降口に立っていた。
 目の前の床には、さっきまで階段と外界を隔てていた扉が散々に叩き割られて転がっている。ステファンが手にした大きな斧は、見た目よりもずっと軽かった。重厚に見えた扉は紙細工のように容易く破れた。明るい外に出てみると、扉を失った校舎の壁には、かつて自分を脅かした恐ろしげな者たちの気配など微塵もない。ただ黒々としたカビの跡が残る古い壁紙が見えるばかりだ。こんなものがなぜ怖ろしくてならなかったのか。ステファンはほんの少し前までの自分を鼻で笑ってやりたくなった。
『ね、爽快だろ? 壊すって素敵なことだよね』
 すぐ隣ではしゃいだ声を立てる自分と同じ顔の少年に、ステファンは無言でうなずき返した。
 本当は、爽快などという気分とは程遠い。確かに扉が音を立てて崩れるのを見た時は、ざまあみろと叫びたい気分だった。けれど明るい陽の光の下で見る扉の残骸は、ただ醜く古い『物』に過ぎず、自分が立ち向かう相手ではなかったように思えて、新たな不満がふつふつと湧いてくる。
「つまんないよ、こんなの」
 ステファンは独り言のようにつぶやいた。
『じゃ、もっと何か壊す? 聖堂のステンドグラスとか、鐘楼とか。なんなら祭壇でもいいよ』
 無邪気に笑いながら罰当たりな事を言う顔を見て、こいつは確かに『悪魔の兄弟』なのかもしれないな、と頭の隅で思いつつ、ステファンは正直な思いを吐いた。
「そんなんじゃ全然足りない」
 そう、足りないのだ。現金なもので、ここが夢の中だと分かった途端、じわじわとステファンの中で何かが溢れ始めたようだ。こんな斧を振り回して物を壊すくらいでは、到底満足できそうにない。何かをもっと決定的に傷つけ、壊さなくては。
『あ、そうかあ。物はいくら壊したって、血を流さないんだもんね。そいつはさ、首切り斧なんだからそれなりの使い方をしなくちゃ』
「首切り斧?」
 言葉の持つ禍々しさにぞわっとして、ステファンは急いで斧から手を離した。
『離しちゃダメだよ。あーあ、消えちゃった』
 二人の目の前で、大きな斧は市松模様の敷石に吸い込まれるように消え、その場所から赤黒い染みが広がってゆく。ステファンは後ずさり、汚らしいものに触れたように両手をズボンで拭いた。

『おいペリエリ、また逃げる気か? さっさと並べよ!』
 急に襟首を引っ張られ、誰かに怒鳴りつけられた。顔を上げたステファンの目の前に、見覚えのある顔が並ぶ。あ、と声を上げそうになり、ステファンは頬をひきつらせた。
 細長い窓と高い天井、軋むような足音が響く埃っぽい室内に、剣を持った生徒たちが並んでいる。エレインの修練場ではない。紛れもなくここは学校だ。それも――
『剣術の授業だねえ。おまえ、よく逃げてたっけ』
 耳のすぐ傍で声がした。『あいつ』がステファンの肩に顔を乗せるようにしてしゃべっているのだ。
「なんだよ!」
 ステファンは忌々しい顔を払いのけた。
「これは夢なんだろ? なんでよりにもよって剣術の授業なんか……思い出すのも嫌なのに」
『だってさ。おまえが望んでるんだもん、この場面をもう一度やり直したいって』
 鳶色の目がさも面白そうにくるりと視線を動かした。同じ方向を目で追って、ステファンは一番会いたくない人物の姿を見てしまった。
 グレーの防具とぴっちりとした剣術着に身を包み、威圧感のある態度で生徒に指示を与えている中年の教師だ。やたら眉間に皺を寄せる髭づら、やたら広すぎる額の上でぺったり張り付いている焦げ茶色の髪は忘れようもない。
「だれが望んでるって? 冗談だろ……」
 軍人出身であるこの教師がステファンは大嫌いだった。紳士であれ、とか紳士たるものは、とか口癖のように言っているわりには、彼は弱い者いじめを平気でする。体格が小さく力の無いステファンのような生徒は格好の餌食となり、授業中に他の生徒の前で『悪い見本』として集中攻撃されることなどしょっちゅうだった。いや生徒に対してだけではない。自分より弱い立場の教師をつかまえては、わざと生徒たちの前で攻撃口調の議論をふっかけ、やりこめては悦に入っているような奴だった。
 
 教師の指示で、生徒たちは二人一組になって練習を始めるようだ。その時になって初めて、ステファンは自分の持つ剣が皆と違うことに気付いた。生徒たちが持っているのは細くてよく曲がる競技用の剣だが、ステファンのだけは、オーリから渡されたままの楔形の刀身を持つ剣だ。相変わらず刃は付いていない。
「ちょっと待って。なんでぼくだけこれなの?」
 ステファンは声を殺して誰に問うでもなく聞いた。
『他のやつらは、自分が何を持たされているのか気にしてないからさ。剣なんて所詮、学校の授業でしか使わないものだって思ってるんだ』
 ステファンの隣に立つ、ステファンと同じ顔が、ふと大人びた表情をして言った。
『おまえは分かってるよね。自分が何を持ってるのか。だってそれは、おまえだけの剣だものね』
 言われた意味が分からず、ステファンが戸惑っていると、野太い声が飛んで来た。
『おいっ、そこの! 何をしているかっ!』
 そしてステファンの顔を見ると、教師はにやりとして剣を取った。
『ステファン・ペリエリ、お前のような劣等生は我輩が直に指導するべきだな。諸君、模範演技だ。注目!』
 ステファンの顔がカッと熱くなった。わざとだ、と思って見回した時には、既に他の生徒たちが練習を止めて集まり始めていた。皆、これから起こることを予想してか、冷やかすような哀れむような目でステファンを見ながら、クスクスと笑って肘を突っつきあっている。だがどうしたわけか、ステファンの剣が特異な形をしていることも、すぐ隣に同じ顔の少年が立っていることも、誰も指摘しない。
『大丈夫、誰もおまえの剣なんて見えていないよ。このぼくのこともね』
 例によって肩の上に顔を乗せるようにして、くっくっ、と『あいつ』が笑いながら言った。
『やっちゃえよ。どうせ夢なんだから、好きに暴れていいよ』
 
『剣を掲げたまえ、ペリエリ君。級友たちの前で模範的な剣技を見せてもらおうではないか』
 教師は鷹揚に言って口髭を曲げている。もちろんマスクは着けていない。ステファンは型どおりに剣を掲げて相手を睨んだ。
 いつもいつも、この教師はこうだ。ステファンが弱いのを知っていて、わざと晒し者のような扱いをする。どこまで恥をかかせれば気が済むのだろう。ステファンを見下ろす髭の上のテカった鼻が、ひどく醜く見える。
 ふと、オーリを思い出した。こうして同じように剣を掲げて向かい合っていても、オーリはまるで違った。少なくとも、あの水色の目の魔法使いはいつだって真剣に向かい合ってくれた。
――反則規定なし、制限時間なし、有効範囲は全身。
 オーリから言い渡されたルールを思い出し、ステファンは密かに笑いをかみ殺した。まるで子どもの夢の中のような、まるきりでたらめなルールだ。
 そう、ここは夢の中。だったらいっそ。
 号令を待つこともなく、ステファンはいきなり相手の懐に飛び込んだ。型もなにもあるものか。そのまま垂直に剣を突き上げ、醜い喉元の醜いコブを狙った。喉仏というやつだ。
 その刹那、顔を向けた相手を見て、ステファンは凍りついた。

 ◇ ◇ ◇

「ステフ、呼吸しろ!」
 いきなり胸を強く叩かれて、ステファンはゲッと息を吐き出した。そのまま這いつくばり、咳き込みながら肺にどうにか空気を吸い込む。誰かに引き起こされてやっと片方目を開くと、まずオーリの顔が目に飛び込んできた。その周りには三人の魔女の顔が。どうやら、ここは元居た修練場の中らしい。
「すまない、わたしと査定官で君の心に潜って追っていたんだが途中で見失ってしまった。大丈夫か?」
 オーリが肩を揺さぶっているのが何とか分かる。声もすぐ傍で聞こえる。なのに頭がちっとも動かず、答えることもなくぼうっとしていると、歯のない魔女の両手が伸びてステファンの頭を左右から挟んだ。指輪の冷たい石をこめかみに押し付けられ、途端に意識が鮮明になる。ステファンは両眼を開き、二人の手を振り払って座ったまま後ずさった。
「先生、ぼく……ぼく」
 ついさっきの夢の中の光景が頭の中に蘇る。
「人を刺そうとした、いや刺しちゃったかも知れない!」
「なんだって?」
「あいつだ、『あいつ』が現れたんだ!」
「ほほう」 
 鼻の無い魔女が身を乗り出してきた。
「それから? お前の執行者は何をやらかした」
「……言いたくありません」
「言え」
 黄色い目も見下ろしている。ステファンは幼い子のように怯えを感じて首を振った。
「言わぬか、小僧」
 魔女たちはそれぞれの指輪を目の前にかざした。何色もの光が飛び交い、ステファンを取り囲む。さっき見た夢のいろんな記憶がごちゃまぜになって一気に押し寄せ、ステファンは頭を抑えて金切り声をあげた。千人の声を一度に聞いているように意味の繋がらない言葉が頭の中で反響して気が変になりそうだ。
「やめろ、子どもにすることじゃない!」
 立ち上がったオーリを魔女の長い杖が遮った。
「執行者憑きはしぶといでのーう。なあに、この程度の揺さぶりで精神こころが壊れるようなタマではないわい、お前の弟子は」
 にたにたと笑う鼻の無い魔女をオーリは刺すように睨んでいたが、すぐに目を転じてステファンに呼びかけた。
「ステフしっかりしろ、その記憶は全て夢の中の事だ、怖がるな!」
 オーリの声を意識の隅で聞きながら、ステファンは冷たい石の床の上で小さな竜のようにのたうち、叫んだ。止めようとしてもそれは止まらず、身体中がひとつの音になったように叫び続けていると、やがて口からいくつもの黒い光の粒が飛び出してきた。
「ふんむ、なるほどのう、ふんむ」
 魔女は杖を振って黒い光を集め、吟味するように三つの頭を寄せ集めて見入った。

「もう充分でしょう!」
 オーリの手がステファンの頭を捕まえ、胸に抱え込んだ。
「まだ十一にもならない子の心をこれ以上えぐってどうしようというんです。強すぎる恐怖なんて子どもに害を与えるだけだ!」 
「フ、フ、自分の時のことを思い出したか。ガルバイヤン、顔が青いぞえ」
 オーリの黒いヴェストに顔を押し付けられたまま、ステファンはまだ小竜のように唸りながら大人たちの会話を聞くともなく聞いていた。
「わたしが『執行者憑き』の疑いをかけられた時は十三だった。ソロフ師匠が居たから耐えられたんだ。相も変わらず冷酷だな、あなた方は」
「ひゃ、ひゃ、覚えておったか。そう、師匠も師匠なら弟子も弟子じゃった、まったく強情でのう」
「そうしてお前もソロフのように弟子を庇うつもりじゃったのかえ? 無駄なことよ。お前は『シロ』じゃったがこの子はまこと、生まれながらの執行者憑き。普通はそうと分かった時点で教育は諦めるもんじゃがの。アドルフのようにさっさと矯正施設にでも放り込むが得策よ」
「諦める? 馬鹿な」
 オーリが笑った呼吸音が、ステファンにも伝わった。
「アドルフでさえわたしは諦めたわけじゃない。やむなく矯正施設に送ったのは単にわたしの力が足りなかったせいだ。ましてこの子はわたしが兄のように尊敬してきたオスカー・ペリエリの息子だ。どんな力を持って生まれようと、一流の魔法使いに育たないわけがない」
「ふん、くだらん根拠じゃの。まるで賭けではないかえ」
「ええ、賭けです。それもすぐには結果の出ない、息の長い賭けです」
 もちろん勝つつもりでいますが、とオーリが続けるのを聞き、ステファンは唸るのを止めて顔を上げた。黄色い目の魔女がニヤリと笑うのが見える。
「えらく自信があるようじゃの」
「これでもポーカーは強いほうでね」
 しれっとしたオーリの答えを聞いて、魔女は愉快そうに笑い出した。
「面白い。その賭け、わしも乗ろうぞ」
 
 三本の杖の先で、黒い光の粒は次第に小さくなり、消えた。
 ステファンはぐるぐる回る視界の気持ち悪さに耐えていた。魔女たちの魔法から解放された後も、夢の中で味わった恐怖や怒りが泥のようにまとわりついて、吐き気さえ覚える。
 けれどこのままオーリに庇われているだけでは嫌だ。
 自分は確かに子どもだし、無力かもしれないけど、何も考えてないわけじゃない。魔女たちに何かひと言くらい言い返してやりたい。でないと、学校と同じじゃないか。苛められても何一つ反撃もできず、惨めな思いを胸の内に溜め込んでいた頃と変わらないのでは嫌だ――そこまで考えて、息を大きく吸い込んだ。

「査定官さん」
 ステファンはオーリから離れ、まだふらつく両足を踏ん張って立った。
「ぼくは……確かに執行者憑きだし。『あいつ』が怖ろしいことをする奴だって、知ってます。だけど、ええと」
 オーリの水色の目がじっと見守っている。ステファンは吐き気をこらえながら懸命に言葉を探した。
「先生は、危険な力でも封印はしないって言ってました。ぼく、最初はなぜかわからなかったけど、今はちょっとだけ分かる。ぼくもあの力、ええと、『執行者』は嫌でたまらないけど、消えちゃえなんて言えない。言っちゃいけない気がするんだ」
 三人の魔女はじっとステファンの目を見ていた。
「それが、お前の考えかの」
 一瞬、まずいことを言ったかな、という思いがちらと頭をかすめた。執行者憑きというものがどんなに忌み嫌われているか、さっきの会話を聞けば嫌でも分かった。もう少し魔女たちの気に入るような上手い言い方をしたほうが良かったのかもしれない。けれどステファンは真っ直ぐに顔を向けて答えた。
「そうです、これがぼくの考え」
 ステファンがうなずくのを見ると、魔女たちは黒い服の裾を翻し、背中を向けて告げた。

「では、これにて査定は終了する。見送りは要らぬぞ」
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