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新月が巡り来るたびに

 明け方の浅い夢の中で、オーリローリ・ガルバイヤンは風の音を聞いていた。
 海に囲まれているこの国では、雪に降りこめられるということはないにしろ、やはり冬は太陽との縁が薄くなる季節だ。鎧戸を閉めた窓の向こうは、まだしばらく冷え冷えとした闇が居座っているのだろう。
 だが、それも悪くはない。愛する者と共にあるなら。
 十二月の遅い夜明けは、恋人たちに優しい――はずだったのだが。

「起床ーーーーーっ!」
 突然響く大声に夢の名残を引っぺがされ、オーリは跳ね起きた。
「遅い遅ーい! いつまで寝てんの、ぐーたら魔法使い!」
 部屋の照明が灯り、燃えるような赤毛を照らし出す。オーリは眠い目をしょぼつかせた。
「エレイン……もう起きてたのか」
「もう、じゃないわよ。居間の大時計が八つ鳴ったのはちゃんと確認した。そら起きてっ、マーシャがいない分、あたしたちがちゃんとしなきゃいけないんだから」
 家政婦のマーシャには、大晦日をまたいで二週間の休みを取ってもらっている。弟子のステファンも両親のもとへ帰した。となると、確かに家の中の雑用は自分たちでしなくてはいけないわけだが。
「……勘弁してくれよ守護者どの、君は働き過ぎ」
 オーリは苦笑し、枕に再び沈みながら手を伸ばした。
「竜人には『休暇』って概念が無いのか?」
 そのままエレインを抱き寄せようとする。が、逆に腕を取られて床にぶん投げられてしまった。
「ぐぇっ、わ、わかった起きる。今服を着るから!」
 目を回すオーリには構わず、エレインはすたすたと部屋を横切り、赤毛を跳ね上げて出て行った。
「はあ……なんてこった。せっかく二人きりだっていうのに毎朝これじゃ」
 オーリはぐらぐらする頭を振り、仕方なくシャツを羽織った。

 ステファンを送り出した後、やっとの思いで心を告げて『新月の祝い』を共に迎えたのはつい三日前のこと。エレインの一族、竜人フィススの流儀に則った、伴侶を決める儀式だった。彼女はとびきりの笑顔を見せ、オーリの想いを受け入れてくれた――はずだった。
 ところがその翌朝。オーリはすっかり冷え切ったベッドの片側を恨めしく睨み、記念するべき第一日に味気ない思いを噛みしめることになったのだ。
 エレインときたら、相も変わらず陽が上るよりも早く起きだして暗い森を駆け回ってきたらしい。昼は昼で「馬鹿オーリ!」を連発しながら剣を振り回して守護者としての態度を崩さず、そして日没には――あろうことか、アトリエの梁の上でひとり眠ってしまった。
 ようするに、今までと何も変わりない生活に戻ってしまったではないか。 これで「伴侶になった」と言えるか? 新月の夜に甘い夢を見た、と思ったのは幻か。やっと二年余の想いが通じたというのに、その態度には納得いかない、と抗議するオーリにも、エレインは片眉を上げて「はぁ?」と言ったきりだ。

「で、この有様か」
 訪ねて来たユーリアンはひとしきり腹を抱えて笑った後、足の踏み場もないほどに散らかった家を見回し、どうにか座れそうな椅子を探してきた。
「エレインが悪いんだよ。マーシャの代わりに掃除をするとか言っては、あの怪力で家じゅうボロボロに壊しまくるんだから」
「今更だろ。お前たち二人が家事能力ゼロってことはよく解ってる。オーリ、僕が言ってるのはお前のことだ。真っ暗な穴倉でいじけてる熊みたいな顔になってるぜ」
 辛辣な親友の言葉にいつもの軽口で応えることもなく、オーリは脚が折れて傾いたソファの上でクッションを抱え込み、「ううう」とうめいた。
「なぜだ? 僕らはちゃんと新月の日に、フィスス族の古老に聞いた通りに誓いを立てたぞ。このオーリローリはエレインに伴侶として認められたはずだ! たった一日で態度を変えるってどういうことだ?」
 情けない顔でぼやく親友を見やりながら、ユーリアンは褐色の頬を歪め、「お前が悪い」と言った。
「そうやって家の中で冬眠のクマみたいに籠っているから、エレインは『魔法使いの守護者』という立場を離れられないんだ。ヘボ画家が仕事に追われてるわけでもなかろ? さっさと彼女を連れて旅にでも出ちまえ。僕ならそうする」
「できればそうしたかったさ。でもエレインは人間の乗り物が苦手なんだ。おまけにあの怪力だろ。宿で騒動を起こしでもしたらと考えると……まだ世間の竜人に対する偏見は強いし」
「過・保・護。加えて心配性」
 鼻に皺を寄せてユーリアンはからかい気味に言った。
「エレインよりもお前が、自分の安全圏から抜け出したくないってのが本音だろう。違うか? 臆病オーレグ」
「なに……」
 少年時代のあだ名を出されて、オーリが気色ばんだ。ビリッと青い火花が散る。
「お、やるか銀髪ヒヨッコ」
「身長差を忘れたか、子持ちのおっさん」
 拳闘のポーズをとって立ち上がった二人の足元で、つぎはぎだらけのティーポットが転がる。

「なにじゃれてるのよ」
 冷やかな声が背後から響いた。エレインが箒を抱えてドアにもたれている。
「やあエレイン。いーやいや冗談だよ、冗談。こいつが情けない顔してるもんでね」
 ユーリアンが笑って拳を開き、ひらひらと振った。
「いいからそこどいて。掃くんだから」
 箒を槍のように構えたエレインを見て、二人の魔法使いは慌てて飛びのいた。
「じゃ、僕はこのへんで失礼するか。まあオーリ、気長に頑張るんだな」
 冷やかし気味に言って、ユーリアンはオーリを引っ張り、耳打ちした。 
「ひょっとして、『伴侶』って考え方が、人間と竜人では違うんじゃないか?」
「ど、どういう風に」
「知るか。フィスス族に関しちゃ、お前のほうが詳しいだろう。『竜王の愛娘』と守護者契約を結ぶんだからと言って、彼女らの習慣や伝説まで調べまくったのは誰だよ」
「……うう、どうだったんだろう、あまり記憶にないんだ。まだ資料は残ってるはずだが」
 悩むオーリの肩をポンと叩くと、褐色の魔法使いはにやにやしながら、
「グッドラック」
 とだけ言い残して薄煙と一緒に姿を消した。

 ◇ ◇ ◇

 エレインの一族、竜人フィススは母系社会だった。
 最長老の大母を中心に、母親集団(ベ・ラ・フィスス)は強力に結びついていて、父親たちといえどもおいそれとは近付けない。子を守る為なら、母たちは父親集団(エ・レ・フィスス)にさえ容赦なく刃を向けた。
 緋色の竜を母として、人間を父として生まれた祖先を持つフィスス族は、輝く赤毛の美しい容貌とは裏腹に、性格は極めて好戦的だ。月の魔力の恩恵を受けながら大地を住処とし、樹の上で眠り、豊かな森と湖を守るために他種族と闘い続けた。
 ただ、月の光が消える新月の夜には、彼女らの猛々しい竜由来の気質は消え、人としての心が戻ったという。武器を置いた彼女らが唯一、エ・レ・フィススを伴侶として平和に迎え入れたのが「新月の祝い」と呼ばれる日だ。
 月ごとの小新月と八月の大新月、「祝い」の日があったゆえに細々とフィススの子孫は残され、エレインはその最後の娘というわけだ。
 だがそれにしても、とオーリは思う。
 婚姻制度が無い社会に「夫婦」という言葉が無いのは当然として、なぜ「伴侶」なのか。単に子孫を残す為だけなら「子の父」「子の母」と呼び合えばいい。新月の日以外は顔を合わせることすらないのに、「伴侶」と呼び合ったからには、そこにはやはり、特別な絆があったとしか思えない。
 だとしたら、自分はエレインの伴侶として認められるに何か足りないのか。
 いくら考えても資料をひっくり返しても、答えはわからない。
「ひょっとして、守護者契約を結んだことがまずかったのかな。僕は何か、決定的なミスをおかしているのかも……」
 うだうだ考えるうちに、二週間は瞬く間に過ぎた。

 もちろんこの間、オーリは何度もエレインの気持ちを和ませようと思いつく限りの努力をしてみたのだが、全て徒労に終わった。世間が年越しパーティーで賑わった夜には、エレインの好きなワインを用意して蓄音器で小粋なダンス音楽などをかけ、歯の浮くような甘ったるい『決め台詞』まで囁いてみたのだが。エレインからは、
「気色悪い。脳みそ沸いてんじゃない?」
 という冷たいひと言と、蹴りを返されたのみだった。

 休暇を終えて戻ってきたマーシャは、家の中の惨状を見て全てを悟ったのか、
「おや、まあ」
 とため息をついて、それ以上余計なことは言わず、手際良く片付けを始めた。
 こうしてステファンが戻ってきた頃には、ガルバイヤン家には昨年と変わりなく、まこと平穏な日常が戻っていた。
 オーリの心の中以外は。
「うーん、伴侶うんぬんの前に、僕は酷い契約主だったのかもしれないな……」
 オーリは呟き、しばらくすると電話口に向かって誰かと交渉をはじめた。
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