20世紀ウィザード異聞

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  第八章 パーティ 1  

 九月になると、急ぎ足で秋はやってくる。
 
 駅での一件以来、寒々とした日々が続いていた。
 エレインは一度砕けた封印石を、自分から望んで再び耳に着けた。日に何度か森を巡り『守護者』としての務めを果たしているのは、これまでと変わらない。少なくとも、表面上は。けれど以前のように屈託の無い笑顔は見せなくなくなったし、なんとなくオーリと距離を置くようになり、アトリエにすらほとんど近づかない。
 マーシャが言うには、彼女はこの家に来てから初めて、まともに自分の部屋を使うようになったという――皮肉なことではあるが。
 オーリはといえば、妙に無口になってしまった。エレインの姿が見えない空っぽの天井の梁の下で、毎日カンバスに向かって何かと格闘するように描きなぐっては消し、また描いては削り、結局何も形にならないまま筆を置く、という毎日を繰り返している。
 
 ステファンはオーリにもらった本を何度となく読み返した。
 前にマーシャが言っていた、竜人の話を描いた絵物語だ。装飾的な描き方をされてはいるが、鮮やかな赤毛の竜人はエレインの一族、フィスス族をモデルにしているのだろう。美しい本なのに、出来上がる直前に出版差し止めにされてしまったので、手元にあるのは試し刷りのこの一冊だけだそうだ。戦後の慢性的な紙不足のため、というのが出版されなかった表向きの理由ではあるが、オーリが言うには、人間を侵略者として描いている内容がまずくてさる筋から横槍が入ったのではないか、ということだ。
 『作・絵 オーリローリ・ガルバイヤン』と書かれている奥付を見ると、一九五一年とある。昨年、つまりオスカーがいなくなった翌年だ。
 ふと思った。オスカーは、エレインたち竜人と会った事があるのだろうか。

「坊ちゃん、ステファン坊ちゃん」
 一階から響く声にステファンは我に返り、慌てて立ち上がった。
 ぐずぐずしているとマーシャは着替えの手伝いを、なんて言い出すにきまっている。小さい子ではあるまいし、それは勘弁してもらいたい。
 けれど、今日着なければならない服は、前立てがフリルだらけのシャツだの、カフスだの、どうしたら良いかわからないものばかりだ。、結局ほとんどマーシャの手を借りるはめになってしまった。
「ほら坊ちゃん、カマーバンドが逆ですよ。このヒダが上に向くようにしなきゃ。そらそら、蝶タイはこんな結び方じゃおかしいでしょうに」
「だってぼく、パーティなんて出たことないし。なんでこんなややこしい服着なきゃいけないの?」
「そういう決まりごとだらけなのが世の中なんです。――はい、ようございますよ」
 マーシャにポンと背中を叩かれて、ステファンは鏡の前に立った。
「嫌だなあ、ペンギンみたい。ぜんぜん似合ってない。それに、こんな風に前髪を分けたらオデコが広いのが目立っちゃうよ」
「いいえ、よくお似合いです。さあ、そろそろ急がないと」
 
 マーシャに急きたてられて居間に下りて行くと、先にタキシードに着替えたオーリが、暖炉の傍でユーリアンと共にいた。
 まだ九月とはいえ、夕方になると急に冷え込んでくる。暖炉に入れられた小さな火がオーリの横顔を淡く照らし出すと、心なしか頬骨の陰影が濃くなり、いつもより大人びて見える。額を出して長い銀髪を全て後ろに撫でつけ、一つに結んだ姿は、映画で見た東洋の武人を思わせた。
 ユーリアンはまだ平服のままだ。膝の上ではアーニャが、不思議そうな顔をしていつもと違うオーリを見ている。
「よっ、ステフ。似合うじゃないか」
 ユーリアンに気さくに声を掛けられて、ステファンは照れくさそうに笑った。
「本当にまあ助かりましたよ、ユーリアン様のお洋服を貸していただいて。お仕立てがしっかりしていますから、魔法で縮めてもおかしくなりませんわねえ」
「もともとユーリアンは肩幅が貧弱だからな。ステフのサイズに合わせるのは楽だったよ」
 軽口を叩くオーリは、いつもの顔になっている。
「それより、本当に子守をお願いしてもいいんですか?」
 ユーリアンはマーシャの手に娘を預けながら気遣わしげに聞いた。
「ええ、ええ、喜んで。このマーシャ、小さい魔女さんの相手なら心得ておりますから」
「それは保障する。トーニャも小さい頃はマーシャの言う事だけは聞いてたよな」
 声を立てて笑い合う二人の魔法使いに、ステファンはホッとした。こんなオーリを見るのは久しぶりだ。
 あと、エレインの笑顔さえここにあれば。
「でもオーリ様、靴はそれでよろしいんですか?」
「別にいいよ、これだってエナメルだし。オペラパンプスなんて履いて気取るような集まりじゃない」
 オーリは長い足を組み替えて靴紐を結び直した。
「お前らしいな。さて、じゃそろそろ僕も着替えに帰るとするか。楽しみにしてろオーリ、ソロフ門下一の伊達男はお前じゃないって事を証明してやるから」
 いたずらっぽい笑みを浮かべて、ユーリアンは愛娘にキスをひとつ残し、薄い煙を残して消えた。
「パパ、いってらちゃーい」
 アーニャは慣れているのか、目の前で父親の姿が消えても驚きもせずに小さな手を振る。
 
「ふうん、面白い仮装ね、魔法使いさん」
 ステファンは驚いて振り向いた。いつの間に来たのか、エレインが壁にもたれて皮肉な視線を向けている。
「あ、あのね、本当はエレインが行くべきなんだよ。どうしてダメなの?」
「ははっ、何言ってるの。魔法使いや魔女が集まる場に守護者なんて要らないわよ。それにアーニャだってあたしと遊ぶのを楽しみにしてるでしょ」
 それは嘘だ、とステファンは思った。アーニャはさっきからアクビを繰り返している。もうすぐ小さい子どもは寝てしまう時間だ。
「行きたくないというんだから、無理にとは言わないさ。ただ、マーシャには悪い事をしたな。折角ドレスを見立ててくれたのに、無駄になってしまった」
 それも嘘だ。エレインのドレスを注文したのは他ならぬオーリ本人だ。本当は今だって一緒に行きたいと思っているに違いない。 
「ドレスは大切にしまっておきますよ。いつか着ていただけますよね、エレイン様?」
 マーシャが気遣うように話しかけてもエレインは答えず、眠そうなアーニャの手を引いた。

 オーリは立ち上がり、杖を振って床の敷物を壁際に寄せた。丸い大きな紋様が床に浮かび上がる。
「大叔父の家まで直接つながる遂道を開く。少し時間がかかるぞ、古いからね」
 床に白く輝く紋様は、話に聞く魔法陣というものかもしれない。オーリはじっとそれを見ていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「ステフ、マーシャ、悪いがちょっと外してくれるかな。遂道が開くまでの間、エレインと二人で話したい」
 マーシャはうなずき、有無を言わさずエレインの手からアーニャを引き取って部屋を出た。

 キッチンに場所を移してからも、ステファンは気が気でならなかった。ここ数日のエレインの態度に、オーリは怒っているに違いない。またケンカになりはしないだろうか。
「大丈夫ですよ、坊ちゃん。お二人はきっと大丈夫です。オーリ様を信じましょう、ね」
 不安顔のステファンをよそに、マーシャは落ち着いた顔でアーニャをあやしながら二階へ連れて行った。
 なぜマーシャは心配せずにいられる? 時折居間から聞こえてくるのは、何かを辛抱強く語り聞かせるオーリの低い声と、妙にとんがったエレインの声だ。話の内容まではわからないが、あまり和やかな話し合いだとは思えない。
 
 数分後、居間のドアが乱暴に開いて、エレインが憮然とした顔で出てきた。その腕をオーリが掴んで叫ぶように言う。
「だけど、これだけは言っておく。他の奴がなんと言おうが、僕は竜人の立場を下に見たことはない、ただの一度もない!」
 いつになく恐いオーリの表情に、エレインが一瞬ひるんだように見えた。が、すぐに腕を振り払って言い返した。
「わかってる! オーリは他の魔法使いとはちがう。でも、だからって何も状況は変わらないよ。あたしはやっぱり『野蛮な竜人』なんだ。いつかまたオーリを傷つけるかも知れないじゃない! それに森から一歩でも出たら、竜人の証を隠して生きていかなくちゃならないのよ。 魔法使いと竜人が対等なんて、嘘だ。もういいよ、一生『守護者』で。それ以上望まないでよ!」
 廊下で固まっているステファンには一瞥もくれず、エレインは庭の木立を揺らして消えていった。
 ひとり居間に残ったオーリは、まるでこの世の終わりみたいな顔でじっと目を閉じていた。そして心配したステファンが声をかけようとした時にやっと目を開き、
「行こう。遂道が開いたようだ」
 と出発を促したのだった。

 『遂道』とはよく言ったものだ。
 居間の床に現れた紋様はそのまま光の円柱となり、その中に立つと、円柱はゆるやかにカーブを描いてトンネルの形になった。
 上昇しているのか、下降しているのか、 前へ進んでいるのか、それとも? 自分の足元すらあやふやなまま、ステファンはオーリの袖口に掴まって輝く遂道の中を歩いた。
「ああ、まだるっこしいな。二人くらいなら『飛ぶ』ほうが早いのに」
 苛々した口調でつぶやくオーリの横顔は、光の加減だろうか、青白く見える。
 こんな時、なんと声をかければ良いのだろう? ステファンは黙々と歩くオーリを見上げた。
『パーティに誘って断られたからって、そんなに落ち込まないで』とか?
『しょうがないなあエレインは。でもまた仲直りの機会はあるよ』とか?
 だめだ。どれも、子どものステファンが言ったところで空々しいばかりだ。いっそユーリアンがここに居てくれたら、ちょっとは気の利いたジョークで和ませてくれたかもしれないのに。
 彫像のようなオーリの横顔を見上げながら、わざと明るい声で訊ねてみる。
「大叔父様ってどんな人? 北方の、ええとなんて国だっけ」
「ジグラーシ」
 オーリは前を向いたまま母国の発音で答えた。
「そう、そのジグラーシ出身の人って、みんな先生みたいな顔してるのかな」
 水色の目がやっとこちらを向いた。
「いや、わたしは一族の中でも変わり者だよ。父が東洋人だからね。目の色は母方の遺伝のようだけど」
「そうなんだ。じゃ、髪の色は?」
「これは子供の頃大病して、色抜けしてしまったんだ。もともとはトーニャみたいな黒髪だった」
 オーリは遂道の光に反射する銀髪に手をやりながら、少し表情を和ませた。
「アトリエに写真が飾ってってあったろ? あれが唯一の家族写真だ。病気から回復した直後だったから、情けない顔で写ってるけど……五歳かそこらだったな」
 ステファンはアトリエの壁に大切そうに飾られた古い写真を思い出した。なるほど、東洋人らしい男が写っていたっけ。では黒髪の大柄な魔女がオーリの母、白っぽい髪の男の子がオーリということか。
「じゃ、あの赤ちゃんは先生の弟か妹だね?」
「赤ちゃん? ああ、アガーシャのことか。見た目はあれだけど、赤ちゃんじゃないよ。彼女はガルバイヤン家に昔から棲んでた魔女だ。あの姿のまま二百六十年生きた」
「に、二百六十年ーっ? じゃ、じゃあインク壷に棲んでるやつって……」
「勘違いしないでくれ。インク壷のやつは、わたしが勝手に名づけたんだ。魔女のアガーシャとは全く別の存在だよ」
 遂道の中は音が反響しないようだ。その分、声の表情がストレートに伝わってくる。子供の頃の思い出話で少しは元気になったのか、オーリは淡々と言葉を継いだ。
「大叔父は祖父の弟だ。祖父が亡くなってから、移民一世の中では最長老になってしまったな――いや、ソロフ師匠のほうがひとつ上だったか」
「先生の先生だね? どんな人?」
「偉大な魔法使いだよ」
 オーリは光に満ちた遂道の天井を見上げた。
「母国の動乱とか、この国の戦争とか、酷い時代を生き抜いてきた、鋼のような人だ。わたしなんか、何百年生きたってあの師匠の足元にも及ばないだろうな。八歳の時から預けられて、ユーリアンや兄弟子たちと過ごした十年間はわたしの宝だよ。魔法以上のことをたくさん教わったからね。あの師匠の元からどれだけの魔法使いが巣立っていったか……わたしはその裾野の、ほんの一端に居るに過ぎないけど、ソロフ門下だということを最大の誇りにしているよ」
 ソロフのことを語るうちに、次第にオーリの目にいつもの力強さが戻ってきた。
「ぼくも会いたい、その先生に。会えるかな」
「もちろんだ。ステフはわたしの弟子だから、ソロフ師匠の孫弟子ってことになる。胸を張って紹介するさ」
 オーリの目にようやく笑みが戻ってきた。良かった、今日はもうエレインのことは話題にするまい。そうステファンが思った頃、頬に湿っぽい風を感じ始めた。
 遂道の出口は、突然に現れた。
――海岸だ。二人は波音と夕闇の中に浮かび上がる白い紋様の上に立っていた。
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