20世紀ウィザード異聞

プロローグ 2

 ややあって、遠慮がちに部屋に入ってきたのは、小がらで茶色い髪の男の子だった。
「ステファン、ご挨拶なさい」
 母親に促されて、少年は上目遣いに、
「こ、こんにちは……ステファンといいます」
 とほとんど聞き取れないくらいの声で名乗った。
「もっと大きな声で、はきはきと。いつも言っているでしょう? まったく十歳にもなって……こちらはお父様のお友達、画家で……魔法使い……の、オーリローリ・ガルバイヤンさん」
 ややこしい名前よりも「魔法使い」と発音するほうが難かしい事でもあるかのように、ミレイユは紹介した。
「やあステファン、目元がお父さんにそっくりだね」
 ミレイユがピク、と眉を吊り上げたが、オーリは無視してつかつかと少年に近づくと、次の瞬間には力強く右手を握っていた。まるで旧知の友人同士のように握手されて、少年は鳶色の目をまん丸くした。
「君は、目が凄く良いんだって?」
「え……ええと」
 
 言われた言葉の意味がわからず、戸惑いながら、ステファンは目の前の背の高い紳士を見上げた。
 オーリローリ・ガルバイヤンの名なら、父から何度も聞いていた。魔法使いにして画家であり、古魔法道具の蒐集家。あんな面白い男は居ないよ、と父はよく語っていた。
 でも魔法使いというからには、もっと神秘的で威厳が有り、絵本で見るような長い髭の年寄りなのでは、と勝手に想像していた。まさかこんなに若いとは思わなかった。
 確かに、東洋人みたいな顔つきは不思議な雰囲気だし、背中まである長い髪は魔法使いらしいといえばらしいが、それにしても会った途端に、なんと親しげな人か。なにより、この目は? 澄んだ水面を思わせるような目が、まるで子供のように無防備に、まっすぐステファンを見ている。

「火花、スパーク……羽根」
 ステファンは無意識につぶやいた。
「失礼ですよ、ステファン!」
 母の声にびくっとして我に返った少年は、
「ご、ごめんなさいっ」
 と首をすくめて後ずさった。
「素晴らしい!」
 オーリは顔を輝かせた。
「わたしの魔法の基本はスパーク、まさに火花なんだ。それに毎日羽根ペンたちに急かされて仕事をしている。よく見えたね!」

「お茶を入れなおしますわ。ステファン、お座りなさい」
 不機嫌そうなミレイユのことは無視して、オーリは矢継ぎ早に質問してきた。
 いつから「見える」ようになった? どんな風に? 相手が生き物の時は? 他にも「変なこと」は起こっている?
「あ、あのう……」
 さっきから、今にもティーポットを取り落とすのではないかと思うくらいイライラしている様子の母を気にしながら、ステファンは遠慮がちに言った。
「母は、こういう非科学的な話が嫌いで……」
「非科学的? とんでもない!」
 オーリの語気が強まった。
「こういうことが、心霊現象だの、何かオカルティックな現象だと誤解している人間が何て多いんだろう! きっと科学の方が追いついていないだけですよ。
いずれ誰にも納得できるように、ちゃんと解明される時代が来るでしょう。その為に魔法使いと、魔法に依らない人間の協力が必要だというのに!」
 オーリは明らかに、ステファンにではなく母親に熱弁をふるっている。
「お茶をどうぞ、オーリ先生」
 ミレイユは新しいお茶を置いたが、「先生」という呼称に精一杯の嫌味を込めているのがわかる。ステファンは身の縮む思いがした。

 どうも、と答えてカップを口に運びながら、オーリは考えを巡らせた。
 この母親の元に置いておいたら、せっかく開花しかけたこの子の力をみすみす潰してしまうのは目に見えている。できればすぐ連れ帰りたいくらいだが、どうやってかっさらう?
 他人の心を操作するのは本意ではないが、ひとつやってみるか。

「それで、どこの師匠に?」
「は?」
「弟子入りのことですよ。さっき教育のことをおっしゃっていたでしょう? これだけの才能があるんです、ゆくゆくはリーズ家の名を名乗るのですから、ふさわしい英才教育を受けなくては。ひょっとしてもう何かお考えがあるのでは?」
「あ、いいえ、それはその」
 ミレイユは舞い上がった。英才――なんと魅惑的な響きだろう。密かなプライドが頭をもたげてきた。そうだ、自分達は選ばれた血統のはずなのに、こんな田舎でくすぶっているなんておかしい、何か特別なことがなくてはならない、とずっと思ってきたのだ。今まで息子の変な癖にいらついてきたが、これは本当に、類まれなる才能なのかもしれない―― 何の才能だかは知らないが。
「そ、そうですわね、来年は上の学校に行く年齢ですし、どうしようかと」
 ミレイユは内心慌てながら、当たり障りのない言葉を選んだ。
「学校って普通の中等教育校、ですか? およしなさい、よき師匠を選んで預ける方がよっぽどいい。ちゃんとした所なら、一般教養も身につくはずです」
「はあ、でも、師匠と言われましても……学校の寮に入るのとはまた勝手が違いますわね? なにしろまだ息子は十歳ですし、誰にお任せしてよいやら……」
「まだ、では無いでしょう。十歳といえば、遅いくらいです。もっと幼い頃から、親元を離れて教えを乞う子もいますよ」
「そ、そんなに早くから、ですの?」
「ええ。このわたしも八歳の時に師匠の門を叩きました」
 当たり前のことを言っているようなオーリの話しぶりに、ミレイユは焦った。
 しまった、自分の認識不足だ。息子の才能とやらが何なのかは分からないが、そういう分野の教育があったのか。夫のオスカーが家に居た間に、息子の変な力について何も言ってくれなかったせいだ――
 ミレイユの頭の中に、パチパチと火花が飛んだ。考えがまとまらないままうろたえていると、ふいに目の前の人物の名前が鮮明に浮かんできた。
 ミレイユは身を乗り出した。

「そぉぉですわ、オーリ先生! 先生にお願いできませんこと?」
「は? わたしに、ですか? ステファンを弟子にしろと?」
 オーリはなるべく意外そうに驚いて見せた。
「ええ! ええ! 先生なら安心ですわ! オスカーとも親しくしていただいてますし、ご身分もしっかりしてらっしゃるし」
 ご身分ねぇ……やれやれこの人もか、とオーリは思った。
 ミレイユの父が生活のために爵位を売ったという話は聞いていたが、彼女はまだ納得していないらしい。まったくこの国ときたら、二十世紀半ばになっても身分だ、血統だとくだらないことにプライドの基を置こうとする人の、なんと多いことか。まあそのぶん御しやすい相手ともいえるが。
 オーリは内心笑いながら、さも困った、という顔をしてみせた。
「そんな、わたしのような若輩者に大事なご子息の教育なんて。それにわたしは弟子をとらない主義なんですよ」
「そうおっしゃらずに! ああ、お礼なら、いかほどでも! ステファン、ステファン、あなたも他の魔……お師匠より、オーリ先生のようなちゃんとした方のお弟子にさせていただいたほうがいいでしょう?」
「え? え? あのう、ぼく……」
 
 ステファンは、さっきから大人達が勝手に話を進めていくのをおろおろしながら見ていた。
「ね? それがいいわ、そうしましょう。あなたからもちゃんとお願いするのです!」
 こういう物言いをする時の母には、ステファンの意思を聞くつもりなど塵ほどもないのだ。なにしろ母はこの家のルールであり、自分の意見こそが正論と信じて疑わないのだから。ステファンは消え入りそうな声で「はい」という他なかった。
「さあ困ったな。ステファン、本当にわたしのような師匠でいいのかな?」
 オーリはステファンのほうに向き直った。言葉とは裏腹に、ステファンにだけ見えるようにVサインをしている。水色の瞳が、まるで悪戯をたくらむ子供のようだ。
 あ。あの空だ。
 ステファンはオーリの背後に、父と居る時にいつもイメージした、広々とした青空を感じた――同じだ。この人は、大好きな父と同じ世界を持っている。
「はい、ぜひ!」
 ステファンは、自分でも驚くほどはっきりと答えた。
 今までとは違う何かが始まるのだ。不思議な高揚感があった。

 それから一時間のうちに、オーリはすべての手はずを整えた。
 ステファンの通う初等教育校への提出書類、役所関係、ウィッチ&ウィザードユニオンへの宣誓書……オーリが指をはじく度に次から次へと書類がテーブルに現れるのを、ミレイユはぼうっとした顔で見守った。
「こちらに最後のサインを……結構。ステファンの教育課程は引き継がれます。来年の七月までうちで真面目に学べば一般の初等教育終了証書が発行されますのでご心配なく。それともステファン、学校の友達と離れるのは残念かな?」
 ステファンは急いで首を横に振った。残念がるどころか、学校と聞いただけで怯えたような表情を見せたのを見て、オーリは苦笑した。
「じゃあ夕方の列車に間に合うように行こう。ステファン、荷物をまとめておいで」
 ミレイユはようやく焦った顔を見せた。
「先生? ステファンをこのままお連れになるんですの? 待って、いろいろと支度が……」
「善は急げ、ですよ。何、特別な支度など要りません」
 オーリは余計な時間をかけるつもりはなかった。今、ステファンの母親はオーリの魔法の影響で舞い上がっている。一気に事を運ばねば。ここで日数をおいて、冷静になる時間など与えてはいけない。
「それにわたしも忙しい身でね。また次いつ来られるかわかりませんので。九月になって学年が変わってからでは、手続きがいろいろと面倒でしょう? ああそれから」
 オーリはミレイユを振り返った。
「オスカーのコレクションのことですが、うちで契約している一番大きな保管庫を無償で提供させていただきますよ。ご連絡いただければいつでも、使いの者に搬出に伺わせます」
「無償」という言葉に反応したミレイユの表情を見て、オーリはやれやれと思った。コレクションなんてものは、そういうものだ。蒐集している本人にとっては宝の山だが、興味の無い家族にとっては邪魔なガラクタの山。まして二束三文と言われたのだから、置いておくスペースすらもったいないと思われてもしょうがないだろう。

 嵐のような勢いで出発の支度を終えると、ステファンが古いトランクを引きずって玄関に下りてきた。
「ま、そんな古いトランクを。もっと他にあるでしょう?」
「お父さんのだよ。ぼく、どうしてもこれを持っていきたいんだ」
「ま……」
 ミレイユは灰色の目を大きく見開き、独り言のようにつぶやいた。
「この子が言い張るのを初めて聞きましたわ……!」
 
 雨はすでに小降りになっている。葡萄畑の向こうから、一台の黒い車がこちらに向かって来る。
「迎えが来たようです。ステファン、お母様にしっかりお別れを。当分会えないのだからね」
 ミレイユは、それこそ「しっかり」と息子を抱きしめてあれこれ言い聞かせたが、ステファンは儀礼的にキスを返しただけで、さっさと車に駆け寄って、嬉しそうに叫んだ。
「じゃ、行ってきます!」



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