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◇第二部◇ステファンの杖

4.ルゥカー

 ふいに、重い金属音を立てて壁際で何かが動いた。
「ルゥカー?」
 先ほどオーリと交代したはずの甲冑が、剣を携えたまま近づいてくる。呆気に取られている二人の間に割って入ると、そのままステファンに背を向け、オーリと対峙する形で止まった。
「何のつもりだ。もう役目は終わったはずだぞ、ルゥカー」
 不機嫌そうな声がステファンの耳に届いた。重厚な金属の鎧で遮られてオーリの姿は見えないが、どんな顔をして言ったかは声で想像がつく。が、無視するかのようにルゥカーはじっと立ち尽くしている。
 どきなさい、とオーリが手を伸ばして押し退けようとすると、初めて金属の腕が動き、剣を構えた。先程ステファンの相手をしていた時とは違う動きだ。
「お前は!」
 反射的に脇に避けるオーリの顔がステファンの位置からも見えた。信じられない、というように目を見開いて、彼もまた剣を構えている。
 信じられないのはステファンも同じだ。目の前で壁のように立つがらんどうの甲冑は、明らかに攻撃の意志を見せている。魔女の言った事が本当なら、この家の主であるオーリに刃向かうなど、有り得ないはずだが。
 胴体部分から離れて宙に浮いた腕が軋み始めた。剣先が窓からの陽を受けて鈍く光る。危ない、とステファンが言うよりも早くそれは振り下ろされ、飛び退くオーリの足元で床石をしたたかに穿ち、破片が散った。
「全く!――どいつもこいつもここの住人ときたら」
 再び剣が振り下ろされ、今度はオーリも長剣で受けた。そのまま嫌な音で軋みつつ押し続けるルゥカーの重みに耐えかねてか、顔を歪めたままじりじりと後退していく。
「エレインを筆頭に……言う事を聞かない奴ばかりだな!」
 見ている三人の魔女が手を叩いて笑い出した。オーリは唸り、僅かに剣を押し返すと体を斜めに捻ってルゥカーの腹の部分を蹴り飛ばした。
 石の床に金属音が反響し、甲冑がバラバラになって転がった。が、それらは別々の生き物のように床を這いずり、すぐにまた一体の甲冑として組みあがっていく。
「ああ、そういう奴だったなお前は」 
 オーリは舌打ちし、最後に胴体部分とくっつこうと跳ね上がった頭部をすかさず長剣でなぎ払った。まるで頸を刎ねるようなその動作にステファンがぞっとして後ずさると、その足元に金属の頭部が転がってくる。ルゥカーの頭部はしばらく抗議するようにガシャガシャとマスク部分を動かして床石の上で跳ねた。
 オーリは長剣を捨て、杖を手にしてくびの無い甲冑に向けた。
「どういうつもりか知らないが、ルゥカー。今の行動がうちの守護者に知れたらえらいことになるぞ。なにしろきかん気のくせにわたしを害しようとする者には容赦がないんだから。さあどっちにする。後でエレインからこっぴどいお仕置きをうけるか。それともここでバラバラにされるほうがいいか?」
 知ったことか、というように金属の腕は剣を振り上げ、脚部が軋みながら一歩を踏み出す。
 その踏み出した脚に、両腕に、もう片脚に。オーリは眉一つ動かさず杖を向けて光を放った。弾かれたように床に放り出されたそれぞれのパーツは、濁った金属音を立てて暴れたが、さっきのように寄り集まることはできないようだ。
「失礼、査定官。少し余計な時間をいただきます」
 ルゥカーから目を離さないまま、オーリは杖の先端に光を集めている。
「ひゃ、ひゃ、まあゆっくりおやり。時間はいくらでもある」
 魔女たちは銘々に張り出し窓に座り、面白そうに見物を始めた。

 ステファンは全くもってどうしたら良いのか分からなかった。
 ルゥカーがなんだって契約主のオーリに背いたのかは知らないが、このままではひどくまずいことになりそうな気がする。
「先生、あの……」
 オーリの長髪がさわさわと逆立ち始めている。何をするつもりか、などとは聞いてはいけないような張り詰めた空気の波が満ちてきた。オーリは光を集めた杖を、ルゥカーの胸部中央に――人間なら心臓があるべき辺りに――向けて垂直に構え、カッと目を見開いた。
 刹那、強烈な青白い光が走り、ステファンは思わず目をつぶった。雷に打たれたような衝撃に床が揺れ、金属がぶつかり合う音が響く。
 ステファンが恐る恐る開いた目に見えたのは、床石のあちこちで玩具のように痙攣する甲冑の各部が、金属の接合部からバラバラに外れていくさまだった。オーリは尚も杖に光を集め、まだ剣を握ったままの腕に向けようとしている。
「止めて、先生」
 ステファンはもどかしくマスクを外して駆け寄った。
「ルゥカーはもう抵抗していないじゃないか。これ以上酷くすると死んじゃうよ!」
「こいつは最初から生きてなどいない。どきなさい」
 それでも、と言い返そうとして、ステファンは息を呑んだ。床を這いずってきた金属の腕がゆっくりと手首を曲げ、オーリに狙いを定めようとしている。
「哀れだな」
 ルゥカーの剣に杖の先端を合わせ、オーリはもう一度光を放った。
「だめだよ!」
 悲鳴に近い声ステファンの声が石の床に反響した。
 
 目の前の全てが、妙に緩慢に動いていた。
 耳障りな音を立てて、剥がれた金属がひとつひとつ床に落ちてゆく。その度に錆びた鉄の臭いが鼻をかすめる。
「あの……あのさ」
 さっきまで甲冑の一部だったものに、ステファンは恐る恐る呼びかけてみた。人の手を模した指先はミトン型ではなく確かに五本指の形をしていたはずだが。それらはもう原型を留めない金属片の集まりに過ぎず、最後まで離さなかった剣の周りで崩れ落ちた。
「ルゥカー……?」
 こいつは最初から生きてなどいない、オーリはそう言った。
 確かに生き物ではなかった、ただ人の姿に似たモノに過ぎなかったかもしれない。けれど、確かにルゥカーは自ら動いていた。オーリの命令に背いてステファンを庇うように立ちはだかった姿は、意志を持っているようにさえ見えたのだ。そんな行動をするものは『生きていた』とは言えないのか。金属片のひとつを手に取ってみる。ついさっきまで動いていたものが、魂を持たないただの物体になってしまった。この冷たい変化は『死』とは言わないのか。
「酷いよ、先生」
「何だって?」
「酷いって言ったんだ! 何もここまでしなくたって!」
 両手の拳を握り締めてステファンは立ち上がった。
 細かな振動が足元から波紋のように広がり、壁の武器類が揺れて音を立てる。一番近い窓のガラスが立て続けに二枚割れた。目の前に緑色のもやが広がり始める。視界の真ん中だけが輪のように閉ざされずオーリの姿を捉えていたが、その輪の範囲も次第に狭まってきた。これが全部緑色になったらどうなるのか、という声と、どうなろうが構うものか、という声が混じり合って頭の隅で反響している。その間にも振動はますます激しくなり、天井の漆喰が欠片になってぱらぱらと落ちてきた。
 針。針だ。自分の胸の中にはっきりとしてきた物の存在を感じながら、尚もステファンが睨みつける空間で、子どもの声がした。
『酷い? 自分も似たようなことしたくせに』
 
 ぎょっとして息を吸い込んだ途端、振動が止まり、緑の靄も消え始めた。再び鮮明になる視界の真ん中に立っていたのは長身の魔法使いではなく、ステファンと同じ背丈、同じ茶色い髪と鳶色の目、誰よりもよく知っている顔――『あいつ』と名づけてきた者の姿だった。
『やあ。やっとぼくを見てくれたんだ』
 ステファンと同じ顔の少年は無邪気に笑顔を向けてくる。
「な……なんで……なんでおまえ、が」
 心臓が凍りつくようだった。これまでにも『あいつ』の姿を見た、と思ったことは何度かあった。けれどこれほどはっきりとした姿で向かい合うのは初めてだ。まして声を聞くなど。
『ね。バラバラにしたんだよね。満月の夜にさ――』
 すいと伸ばした手の指先に、見覚えのある古いカップがぶら下がっている。笑ったままの口元が、ハ・リ・ネ・ズ・ミと動こうとするのを見たステファンは、全身の血管に氷の粒が走る思いがした。
「違う、ぼくじゃない。おまえが破裂させたんじゃないか」
『そう、破裂させたのはぼく。ぼくはおまえ、ステファン・ペリエリ。オスカーの息子』
「違う! ちがう! おまえはぼくなんかじゃない!」
 ほとんど泣き叫ぶようにステファンが必死に否定するのを、鳶色の目が面白そうに見ている。
『なんだ、忘れちゃったの』
 足音を立てることもなく、ステファンと同じ顔が近づいてくる。
『十年と十ヶ月、一緒に育ってきたのにさ。都合の悪いことは忘れるんだね、あの大人の記憶を盗んだ時みたいに』
 あの大人、とはオーリのことか。ステファンは近づく相手を威嚇するように足を踏み鳴らした。
「盗んだんじゃない! ぼくだって知らなかったんだ。あれはオーリ先生が読心術なんて使ったせいで」
『ほーらやっぱり。そんな風に知らない、とかぼくじゃない、とか言うのはそうしないと都合が悪いからだよ。ね、ステファン・ペリエリ。おまえはいい子じゃないといけないから。お母さんに嫌われたら生きていけないから。お父さんが帰ってこないのはお前のせいだって言われたくないから』
「うるさーいーっ」
 ステファンは腕を振り回し、踵(きびす)を返して走った。ともかく『あいつ』から離れたい。この場から外へ出なくては……
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