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20世紀ウィザード異聞

第六章 6

 一緒に庭を振り返ったトーニャが、突然顔をひきつらせて叫んだ。
「アーニャ! だめ!」
 庭先では、小さいアーニャがロバの縫いぐるみにまたがってフワフワと飛んでいる。まるで風船のようにたよりなく、それは屋根の高さに届こうとしている。
 ユーリアンは庭に飛び出し、豹のように高くジャンプして縫いぐるみごとアーニャを捕まえた。
「こーら、オテンバめ。ロバさんを飛ばしていいのはお家の中だけだって言ったろう」
「や! や! もっととぶの!」
 アーニャはそっくり反って暴れ、帽子を振り落とした。
「ああごめん、あたしがちょっと目を離した隙にあんなに高く……でも魔女なんだから飛ぶのは普通でしょ? いけないの?」
「この街では禁止されてるのよ。先月なんか隣の男の子にパチンコ玉で狙い撃ちされたんだから」
 小さな娘をユーリアンから受け取って抱きしめるトーニャは、微かに震えている。
「アーニャ、パパはね、今にオーリおじちゃまみたいに田舎に家を構えるよ。そしたら好きなだけ飛んでいいから、それまではちょっとガマンだ。ごめんな」
 ユーリアンは膝を屈めて、自分に似たくせっ毛の頭をなでた。けれどアーニャは口をとがらせていやいやをするばかりだ。
 せっかく飛ぶ力を持っているのに……ステファンにはアーニャの中のはち切れそうな思いが見える気がした。
 帽子を拾って小さな頭に乗せてやると、きょとんとした黒ブドウのような目が見上げる。つまんないよね、と心の中でつぶやくと、アーニャはそれが聞こえたかのようにぱあっと表情を明るくし、ステファンの手を引っ張った。
「アーニャ、おにいたんとあとぶ……」
 ステファンは思わず笑ったが、ユーリアンは頭を抱えた。
「うああ変わり身の早いやつめ。パパと、じゃなくて『おにいたん』とかよ。よし、じゃ一緒に遊ぼう」
 
 ユーリアン、ステファン、エレインの三人を相手に大喜びでアーニャがボールを転がし始めたのを見て、トーニャはホッと息をつき、庭の見える位置に腰掛けた。
「あの様子じゃ、パーティの日のシッターを雇うのも一苦労だわ」
「まったくだ。おかげでこっちはユーリアンのおせっかいから逃げられたけど」
 オーリはトーニャのすぐ隣に立って苦笑いをした。
「魔女もいろいろ大変だな。人の心は平気で操作できるくせに」
「あら、なんのことかしら」
 トーニャは元の落ち着いた顔に戻って、しらっとして答えた。
「まあ、お陰でふんぎりがついたけどね、策士だな。さっきの手鏡だってタイミングが良すぎるよ。事前にミレイユの行動を調べていたとしか思えない」
「ふふ、どうだか。そっちこそ、人づてに聞いた話にしてはミレイユの記憶を随分細かく覚えてたのね。まるで自分が直接見てきたみたいに」
 ぐ、と言葉に詰まって、オーリは眉を寄せた。
「お察しの通り、オスカーに頼まれて直接、記憶を読み取ったんだよ。仕方がないだろう、彼にはそこまでの力は無かったんだから。親友の頼みでなけりゃ、あんな愚痴と悔恨だらけの記憶を読むなんて二度とゴメンだね。ステフがよく歪まずに育ったもんだ」
「子供はもともと、真っ直ぐに育とうとする力を持っているのよ。あとは関わる人しだい。自分もそうだったでしょ」
 トーニャは自分の隣に立つ背の高い従弟を見上げた。
「あの時私は八歳だったかな。覚えているわよ、家族を失って泣いてばかりだった『オーリャ坊や』が来た日のこと。あの痩せっぽちで泣き虫の子が、今やガルバイヤン画伯だなんて、二十年前に誰が想像できて?」
「『画伯』ってのは嫌味か?」
 オーリは横目でトーニャを睨んだが、すぐに表情を和ませた。
「ああ、トーニャの両親にも、ソロフ師匠にも感謝しているよ。親代わりに守ってくれたし、鍛えてもくれた。おかげでオスカーやユーリアンのような親友にも出会えたんだ。だけど僕がステフに同じものを与えられるかどうかは――甚だ自信ない。正直、弟子なんて一生要らない、と思ってたからな」
「よく言うわ。うぬぼれ屋のくせに」
「うぬぼれてるって? 僕が?」
「そうよ。保管庫の件も、辞書の件にしてもそう。魔法使い以外の人間が高度な魔法を使えるなんて思ってもみなかったでしょ。ステファンやオスカーの魔力を甘く見てたせいで、騒動を起こしたんだって自覚してる?」
 容赦ない従姉の言葉にオーリは反論しようと振り返った。
「そうは言っても……いや、確かに……あ、そういえばアガーシャが脱走した時も……」
 次第に小声になり、叱られた子供のようにしゅんとしてしまった。
「まあそれが悪いとは言わないわ。魔法使いは自信過剰くらいが丁度いいのよ。少なくともステファンの前では堂々としてなさい『オーリローリ先生』」
 バシッと背中を叩かれて、オーリは目をしばたたき、改めて三つ年上の従姉を見た。
「かなわないな、トーニャ姉さん。魔女ってのはどうしてこうたくましいんだろ」
 
 夏の日差しの中に、かすかに午後の翳りが見えてきた。オーリは庭に出て、エレインに帰る時間が来たことを告げた。林檎の葉陰で向かい合う銀髪と赤毛が綺麗なコントラストを描きながら風に揺れる。
「『姉さん』か。実の弟なら、お尻を蹴飛ばしてやるわよ。もっとしっかりしろって」
 トーニャはつぶやくと、まだ遊びたそうなアーニャの手を引いて部屋に戻った。
 
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